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映画「バービー」ネタバレ考察&解説 ほとんどのシーンに意図や示唆があるような作品!映画的な隠喩も多く、完全に大人向けの傑作!

「バービー」を観た。

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レディ・バード」「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」のグレタ・ガーウィグが監督を務め、全世界累計興行収入では10億ドルを突破、さらに「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」を越えて、2023年に公開された映画中No.1となる大ヒットを記録しているコメディドラマ。世界中で愛され続けるアメリカ産のオモチャ「バービー」をテーマに描いているが、それだけに留まらない思いのほか広い射程範囲の映画だった。脚本は「フランシス・ハ」でグレタ・ガーウィグを起用し、彼女の実夫でもあるノア・バームバックが共同で手がけている。タイトルロールを演じる主演はマーゴット・ロビー、ボーイフレンドの”ケン”をライアン・ゴズリングが演じている。共演は「エンド・オブ・ウォッチ」「セザール・チャベス」のアメリカ・フェレーラ、女性キャスターリブート版「ゴーストバスターズ」のケイト・マッキノン、「スーパーバッド 童貞ウォーズ」「スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団マイケル・セラなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:グレタ・ガーウィグ
出演:マーゴット・ロビーライアン・ゴズリングアメリカ・フェレーラ、ケイト・マッキノンマイケル・セラ
日本公開:2023年

 

あらすじ

ピンクに彩られた夢のような世界「バービーランド」。そこに暮らす住民は、皆が「バービー」であり、皆が「ケン」と呼ばれている。そんなバービーランドで、オシャレ好きなバービーは、ピュアなボーイフレンドのケンとともに、完璧でハッピーな毎日を過ごしていた。ところがある日、彼女の身体に異変が起こる。困った彼女は世界の秘密を知る変わり者のバービーに導かれ、ケンとともに人間の世界へと旅に出る。しかしロサンゼルスにたどり着いたバービーとケンは人間たちから好奇の目を向けられ、思わぬトラブルに見舞われてしまう。

 

 

感想&解説

7月21日、本国アメリカで同日公開された「バービー」とクリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」に関するインターネット・ミーム「バーベンハイマー」への公式アカウントの対応が、ここ日本で大炎上してしまった件で、不本意な盛り上がりをみせてしまった本作「バービー」。ワーナー・ブラザーズが全世界のプレス向けに声明を発表し沈静化を見せているが、非常に残念な出来事だったと思う。だがこれはSNSマーケティング部門の失態であり、この作品のクリエイターの思想や作品メッセージとはまったく関係のないことなので、この事象とは別で感想を書きたい。ちなみに未だ「オッペンハイマー」の日本公開日は決まっていないが、いち映画ファンとしては劇場公開を切に願っている。もちろん未見なのでどんな内容になっているのかは分からないが、「原爆」を映画のテーマとしていることだけで、日本公開自体を見送るのは違う気がする。ハリウッド映画は作品の中で、アメリカの過去の行いを自己批判してきた事例も山ほどあるし、映画には「公開されているが観ない」という観客側の選択肢もあるからだ。その為に作品ごとにレーティング制度が設定されているのだし、それを一律で制限されることは納得できない。おそらく遅くても数か月後には公開日が発表されると思うが、日本配給元には早めの判断をお願いしたいと思う。

閑話休題話を戻すとグレタ・ガーウィグ監督の新作「バービー」は想像以上に、メタ構造で作られた複雑でかつ、素晴らしい作品だった。ただ「バービー」という女児向け人形の映画だと思って観に行くと、かなり面食らうだろう。逆にこの映画のメッセージは、小さな子供では理解できない気がする。ただこれは作り手も意識的なようで、映画の冒頭から「2001年宇宙の旅」オマージュシーンから始まり、女の子たちのオモチャが今までの”赤ちゃん人形”から、完璧なプロポーションとスタイリッシュさを誇るバービーへ移行する様子を、主演マーゴット・ロビーの登場と共に告げるシーンとなる。この時のマーゴット・ロビーの着ている”白黒のボーダー”は、1959年バービー発売当初のファッションであり、この人形の登場により女の子たちは今まで持っていた”赤ちゃん人形”を叩き壊して、アップデートを遂げる。「2001年」には猿が動物の骨を武器として使えるようになり、遂には宇宙船や核兵器まで作れるようになったという、映画史的にも屈指の有名なモンタージュがあったが、この場面におけるバービーの登場は「2001年宇宙~」の”モノリス”と同じだと描いているのである。そして、この場面は「本作は大人向け映画です」という宣言のような気もする。そういう意味で本作は、決して”女性向け”の映画ではなく、男性にもしっかりとリーチしてくる作品なのである。

 

鮮やかなピンクに彩られ、様々なタイプのバービーがケンたちと幸せに暮らすバービーワールド。そんなある日、マーゴット・ロビー演じる主人公バービーはふと”死”について考えてしまう。その日から、ヒールを履くために上がっていた踵はフラットになり、皮膚にはセルライトが現れ始める。そんなバービーとして完璧ではない自分に気づき、”変てこバービー”に相談を持ち掛けたバービーは、現実世界でバービー人形の持ち主の女の子に会い、その子の持つ問題を解決すれば、また完璧な自分に戻れるかもしれないと告げられ、一緒に着いてきたケンと共に、嫌々ながらも人間が暮らす現実の世界へと旅立つことになる。そしてそこは、バービーの考えていた”女性が自立して、自由に夢が叶えられる世界”ではなく、男性優位の現実社会が待っており、バービーは落胆するが、逆にケンは大きく影響を受ける。その後、Z世代の女の子サーシャと母グロリアと共に3人はバービーランドへ帰ることになるが、そこでは現実世界で“男社会”に魅了されてしまったケンが、男性優位社会“ケンダム”を築こうとしていたのだった、というのが中盤までのストーリーだ。

 

 

それにしても本作は、ウォシャウスキー監督「マトリックス」シリーズからの引用が多い。”変てこバービー”に、ハイヒールか歩きやすいサンダルのどちらかを選べと言われる場面は、赤と青のカプセルをネオに選ばせるモーフィアスのシーンそのままだし、箱で仕切られたオフィスでスーツの男たちに追いかけられる場面も一作目の序盤にあったシーンからの引用だろう。ドアの沢山ある通路で、ひとつのドアを選んで入る場面は「リローデッド」で観た場面だし、ルースという老女とキッチンで会話するシーンは、まるで預言者ラクルとの対面シーンを彷彿とさせる。そしてこれらは「マトリックス」という作品が、現実と仮想の世界を行き来しながら”本当の自分”に目覚めるストーリーだったように、本作でも「バービーランド」という不自然に理想化された女性だけの世界と、男性優位の現実世界を行き来したバービーたちが成長し、自らの存在価値やアイデンティに目覚める話となっている。宇宙飛行士にも医者にもパイロットにも、人種をも超えてどんな仕事にも就けて、夜はガールズナイトを楽しんでいるバービーたち。見た目は完璧で老いも死もない世界は、「マトリックス」におけるマシーンに支配されている現実世界と対極にある、”仮想世界”の置き換えなのだろう。だからこそ、実はこのバービーランド自体も決して完璧な世界ではない。女性が優遇されすぎた不均衡な世界だと描くのである。この作品は決して一方的なフェミニズム映画ではなく、男女のどちらかに権力が偏ることの危険性を説いた映画でもあるのだ。

 

バービーが到着する「現実世界」のグロテスクさは、身につまされる。バービーの格好を見た男たちは次々に卑猥な言葉をかけ、バービーが「恥ずかしい」と思うシーンがあるが、これは旧約聖書「創世記」におけるエデンの園にいた裸のアダムとイブが、悪魔の化身である蛇にそそのかされ、禁断の実を食べてしまったことによって”恥ずかしさ”を覚え、イチジクの葉で腰巻きを作って身につけたというエピソードを思い出させる。そこで彼らが身に付けたのは、カウボーイ&カウガールの衣装だったというのが、いかにもアメリカっぽい皮肉が効いている。さらにバービーを作っているマテル社の上層部は男性だらけで、口だけの男女平等を振りかざし、街中では男たちが筋トレとビジネスと出世の話をしているのだが、これらがまったく映画的に誇張された表現ではなく、ほとんどアメリカ社会をそのまま切り取っているのが恐ろしい。特に”ケンダム”において、”考えないで済むから”と思考停止となり、女性大統領や女医たちが男たちに給仕しているシーンには、鋭いメッセージ性を感じる。だが、ここでの男たちの行動や言動が一流のコメディとして笑えてしまうのも、この映画のすごい所だ。ここからネタバレになるが、80年代シルベスター・スタローンクリントン大統領の写真に見とれ、”ケンダム”における男性優位社会に目覚めてしまったケンたちに対して、バービーたちは『ゴッドファーザー』や車のウンチクを話したがり、スポーツやITツールのノウハウを教えたがり、ギターを弾き語る男たちを追い込み、嫉妬で男同士を争わせようとする。そして、その罠にまんまとかかってしまう男たち。このシーンは、爆笑しながらも実は思い当たる場面だらけで、男としては死ぬほど恥ずかしい気持ちになってしまった。

 

そしてこの映画は、この”ケン”というキャラクターにも、しっかりと寄り添ってくれる事が素晴らしい。そもそもこのバービー世界におけるケンの存在は、バービーをひたすらに愛するだけの存在で、女性から見た理想の男性像の象徴だ。ムキムキの腹筋にブロンドの髪に甘いマスクは、ライアン・ゴズリングにピッタリで、完全にハマリ役だったが、むしろ本作において彼の役割はとてつもなく大きい。今までバービーのおまけで決して主役にはなれなかったケンは、バービーランドでは自分の存在価値を見失っている。そんな中で彼が見出したのが、“男らしくあること”だったからだ。その強迫観念と自己顕示欲の果てに、ラストではバービーから「ケンは、ただケンであるだけでいい」と伝えられ、彼は目を覚ます。これは物語の中盤で登場したバービー人形の生みの親、ルース・ハンドラーからバービーが伝えられた「貴女はそのままで美しい」という言葉を、言い換えて伝えているのだろう。終盤、母親であるグロリアが、現実社会の女性がいかに大変な環境で生きているか、あふれ出る言葉によって表現する場面がある。スタイルに気を遣いながらも痩せすぎはダメで、謙虚でありながら意見を持っていないとダメで、しっかりお金を稼ぎながらもガツガツしない生き方を求められる女性たち。その理不尽さを怒涛の勢いで聞かされることによりバービーも目覚めるのだが、これらの場面からは男女の役割や立場はありながらも、”言葉”によってお互いにそれを伝え、尊重することで固定概念に縛られず、性別に関係なく自分らしく生きようという、シンプルなメッセージを感じる。だからこそ本作は、安易な”男女間の恋愛”の着地にはならないのである。

 

ラストシーン、バービーはルースとの対話を経て人間になることを決意する。断固として変化することを拒否していたバービーが、女の子のステレオタイプな理想像である”バービー人形”であることをやめ、老化しいつか死ぬ運命の人間になることを決めるのである。彼女は人間として歳を重ねて生きることの美しさに触れたからだ。女性はいつもハイヒール用に踵が上がってる必要はないし、服はピンクじゃなくていい。そして”バービー”という名称の元ネタとなった、ルース・ハンドラーの実娘バーバラ・ハンドラーを名乗り、バービーが婦人科を訪れる場面でエンドクレジットとなる。人形の時には「自分には性器がない」と言っていたが、この行動によって、彼女が人間になったことを湾曲的に伝えるシーンで、この映画は終わるのである。そして、グロリアの夫がスペイン語を学んでいて、バービーにスペイン語で語り掛ける場面があったが、こういう小さなシーンからも「男性だって、学んで成長している」というメッセージを感じるのも嬉しい。

 

最後に音楽についても書きたいが、本作は音楽も素晴らしい。サウンドのエクゼクティヴ・プロデューサーを務めるのはあのマーク・ロンソンらしく、2014年のブルーノ・マーズとの共作「Uptown Funk」が有名なアーティストだ。他にもエイミー・ワインハウスの「Rehab」のプロデュースやマイリー・サイラスとのコラボなど、ダンスミュージックやR&Bの名手であり、その手腕は本作でも発揮されていたと思う。他にもデュア・リパ、リゾ、ニッキー・ミナージュ、テーム・インパラ、ビリー・アイリッシュらの楽曲が劇中でもしっかりと使用されており、各シーンを盛り上げていた。このサントラは必聴だろう。本作は題材としてバービーというオモチャの世界を描きながら、”ルッキズム”や”男女格差”など現代社会のテーマに切り込みつつも、最終的には人間賛歌に着地する素晴らしい作品だった。ほとんど全てのシーンに、なんらかの意図や示唆があるような作品なので、何度も観返すのが楽しいタイプの映画だろう。ただかなりメッセージ性が強いので、ややお説教臭いと感じてしまう人も多いかもしれない。同じ女性監督オリビア・ワイルドによる、2022年「ドント・ウォーリー・ダーリン」と同じテーマを描いているので比べてみるのも面白いと思う。

 

 

 

8.5点(10点満点)