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映画「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」ネタバレ考察&解説 身体の臓器を見せるという行為は、何を意味しているのか?クローネンバーグの集大成的 な作品!

「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」を観た。

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ザ・フライ」「クラッシュ」「ビデオドローム」「ヒストリー・オブ・バイオレンス」などの独特な世界観の作品を多く手がけた、まさに鬼才と呼ぶにふさわしいデビッド・クローネンバーグ監督による8年ぶり、待望の新作が公開となった。今までのクローネンバーグ監督のエッセンスを凝縮したような、”SFボディホラー”で、レーティングとしては"PG12"となっている。出演は「ロード・オブ・ザ・リング」3部作のヴィゴ・モーテンセン、「アデル、ブルーは熱い色」のレア・セドゥ、「スペンサー ダイアナの決意」のクリステン・スチュワート、「アンダーワールド」のスコット・スピードマンなど。2022年第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作品。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:デビッド・クローネンバーグ
出演:ヴィゴ・モーテンセン、レア・セドゥ、クリステン・スチュワートスコット・スピードマン
日本公開:2023年

 

あらすじ

そう遠くない未来。人工的な環境に適応するため進化し続けた人類は、その結果として生物学的構造が変容し、痛みの感覚が消え去った。体内で新たな臓器が生み出される加速進化症候群という病気を抱えたアーティストのソールは、パートナーのカプリースとともに、臓器にタトゥーを施して摘出するというショーを披露し、大きな注目と人気を集めていた。しかし、人類の誤った進化と暴走を監視する政府は、「臓器登録所」を設立し、ソールは政府から強い関心を持たれる存在となっていた。そんな彼のもとに、生前プラスチックを食べていたという少年の遺体が持ち込まれる。

 

 

感想&解説

これぞ”クローネンバーグ監督の集大成”のような作品だと思う。ただし、これを面白いと感じるかどうかは全くの別問題で、過去作と同じくかなり観客を選ぶ作品だろう。個人的にはクローネンバーグ作品の中では、「ザ・フライ」「ヒストリー・オブ・バイオレンス」「イースタン・プロミス」あたりが特に好きで、「ヴィデオドローム」「イグジステンズ」「裸のランチ」路線はやや苦手、「クラッシュ」「ザ・ブルード 怒りのメタファー」「戦慄の絆」「スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする」などがその中間という感じだ。特に近作である「危険なメソッド」「コズモポリス」「マップ・トゥ・ザ・スターズ」は、まったくピンと来なかったので、今回の8年ぶりの新作「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」もあまり過度な期待をせずに鑑賞したのだが、クローネンバーグの尖ったアート感とメッセージ性がバランス良く融合した作品だったと思う。そして歳を重ねたクリエイターが、いよいよ”自分自身”を表現した作品だったという感想だ。

表現として特に思い出したのは、1999年の「イグジステンズ」だろうか。脊髄にバイオポートという穴を開け、そこに生体ケーブルを挿しこみ、有機体であるゲームポッドと人体を直接つないでプレイするVRゲームという設定で、この穴をまるで性器のように愛撫するシーンがあったが、今回の主人公ソールの身体に開いた穴やジッパーのように付いた傷に対しても同様のシーンがあったり、”サーク”という解体モジュールを操作するコントローラーも、「イグジステンズ」のポッドを強く思い起こさせる。クローネンバーグ作品の中でも、ストーリーとして強い推進力があるというタイプではなく、圧倒的な世界観と観た事のないようなガジェットの数々で楽しませるような作品だろう。そういう意味では、本来は個人的にやや苦手なタイプの作風であるはずなのだが、本作はこの世界観が特に作り込まれていて面白い。まるで美術品を観るような気持ちになってくるのだ。

 

人類が感染症の恐怖と「痛み」の感覚から解放された未来、ヴィゴ・モーテンセン演じるソールとレア・セドゥ演じるカプリースは、ソールの体内に生まれる未知の臓器を、公開手術というかたちでカプリースが切除するという、アート・パフォーマーとして活動していた。ソールに新しい臓器が生まれるのは「加速進化症候群」という病のせいだが、ある程度ソールの意思でコントロールしているらしい。だが各国の政府はこの事態を危惧しており、人類が誤った進化をしないように監視している。この新しい臓器が遺伝によって、親から子へ受け継がれてしまうことを懸念しているのだ。そんなある日、ソールとカプリースは新しい臓器を登録するため、政府の秘密機関“臓器登録所”へ向かう。そこにいるウィペットとティムリンは、NVUという機関で新たな臓器の所在を把握するため、臓器にタトゥーを入れて登録していた。その一方でソールは、人体改造にまつわる犯罪を捜査中のコープ刑事にも、ひそかに協力していた。そんなソールのところにラングという男が、死んだ8歳の息子を公開解剖してほしいと依頼してくる。ブレッケンというその少年は、プラスチックしか食べないという体質を持っていたが実の母親によって殺されており、その身体には特別な秘密があったというストーリー概要だ。

 

 

齢80歳のデビッド・クローネンバーグのイマジネーションと、クリエイターとしての”生き方”がそのまま表現されたような作品だ。ソールの身体の中で生まれる”新しい臓器”が表現するものとは、クローネンバーグにとっての”アート”であり”映画”なのだと思う。主人公のソールは、身体の中から生まれる臓器を観客に観せることによって観客を呼び、パフォーマンスとして成立させている。劇中でコープ刑事が、「ソールに生まれる新しい臓器が芸術であるなら、自分の脇腹にあるこの瘤もアートなのか?」と質問する場面がある。だがソールにとっての臓器とは、自らの身体に負担をかけ、苦しみの果てに生み出している”我が子”のような存在だ。だからこそソールとカプリースは新しい臓器の誕生に喜び、他のアーティストのパフォーマンスに対して敏感に反応して、その客入りに嫉妬したりもする。コープ刑事のただ偶発的に発生した腫瘍とは違い、ソールの臓器は自分でコントロールし演出した”作品”なのだ。

 

また、身体中にたくさんの耳を付けた男がダンスするパフォーマンスに対して、「客入りは良いかもしれないが、あの耳はデザインが悪いし機能していない、見せかけだ」という趣旨のセリフがあり、ソールとは比較対象のように配置されているが、彼は「自分の内側=臓器を見せていない」という意味で、表面的な作品だと批判しているように感じる。目と口を縫い込み、全身に耳を付けて音楽に合わせて踊る男の造形はとてもキャッチーだが、彼は肉体的に”進化”している訳ではないからだ。それに対してソールは、食事から睡眠まで“オーキッド・ベッド”や”ブレックファスター・チェア”(すごい名前だ)という器具に頼り、食べる/寝るという人間の根源的な営みすらままならない。臓器の位置を調整しながら、狭くなった喉に何とか食べ物を流し込み、パフォーマーとしてのカリスマ性を獲得しているのである。これは世の中で自分の芸術を表現している、アーティストやクリエイターの苦悩を表現しているのだろう。本作におけるソールは、まさにデビッド・クローネンバーグ監督その人なのだと感じるのだ。

 

ここからネタバレになるが、ラストの展開としては、解剖機器”サーク”によってブレッケン少年の死体を解剖するカプリースだったが、ブレッケンの臓器には既にタトゥーが施されており、これは臓器登録所のティムリンが行ったことが判明する。これは人類の身体に手術を施し、プラスチックで製造された紫色のバーを食べられる新人類を作り上げていた、ブレッケンの父親ラングの活動を妨害するためだった。ブレッケンは先天性としてプラスチックを食べることが出来る”新人類”として生まれた子だったからだ。政府としては、ブレッケンが遺伝により既存の人類とは違う能力が受け継がれてしまった事を隠蔽したい為に、彼の臓器にタトゥーを入れることで、進化した臓器の痕跡を消したかったのだろう。そしてそのラングもライフフォームウェアを経営するバーストとルーターという、政府の裏稼業を請け負う女性2人によって殺害されてしまう。ラストシーンでは、ソール自らがこの紫プラスチックバーを口にすることで、進化した人類として目覚めたことを示唆してこの映画は終わる。正直かなり唐突に終わるのだが、もうこの作品の中で監督が語るべきことはないのだと解釈した。

 

このラストは明確な説明がなく終わるので、ソールがプラスチックバーを食べたことによって死んだという解釈ももちろん可能だが、上記のように本作におけるソールはクローネンバーグ本人の投影だと思うと、新人類に目覚めたという解釈の方を積極的に支持したいし、この「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー=未来の犯罪」というタイトルは保守的な政府に反乱して起こした、この”ソールの進化”自体を指しているのだと感じる。鑑賞中は、この独特な世界観と専門用語の多さに頭の中を振り回されるのだが、ストーリーとしては意外とシンプルな作品だと思うし、過去のクローネンバーグ作品の中でも映像的な満足感の高い一本だと思う。ただし本作は娯楽映画ではなくほとんどアート映画なので、その前提で鑑賞した方が良い映画だろう。それにしても最近ダリオ・アルジェントマーティン・スコセッシリドリー・スコット宮崎駿など高齢の映画監督が放つ作品の出来が凄まじい。クローネンバーグ監督はまだ80歳なので、まだまだ尖った映画を撮ってくれると思う。次回作がまた早く観たいものである。

 

 

7.0点(10点満点)