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映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」ネタバレ考察&解説 「中身は何だったの?」あの質問に込められた意図とは?スコセッシ作品の集大成であり、アメリカにおける暗部を描いた骨太の傑作史実!

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」を観た。

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レイジング・ブル」、「グッドフェローズ」、「ギャング・オブ・ニューヨーク」、「ディパーテッド」などのマーティン・スコセッシ監督が、アメリカ先住民連続殺人事件について描いたノンフィクション小説「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」を原作に描いたサスペンス。出演はマーティン・スコセッシ作品の常連主演であるレオナルド・ディカプリオロバート・デ・ニーロに加え、「ブラック・スキャンダル」のジェシー・プレモンス、「ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択」のリリー・グラッドストーン、「インターステラ―」のジョン・リスゴーなどの豪華キャストを迎えて制作されている。脚本は「フォレスト・ガンプ 一期一会」「DUNE デューン 砂の惑星」などのエリック・ロスとスコセッシ監督が共同で手がけている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:マーティン・スコセッシ
出演:レオナルド・ディカプリオロバート・デ・ニーロジェシー・プレモンス、リリー・グラッドストーンジョン・リスゴー
日本公開:2023年

 

あらすじ

1920年代、オクラホマ州オーセージ郡。先住民であるオーセージ族は、石油の発掘によって一夜にして莫大な富を得た。その財産に目をつけた白人たちは彼らを巧みに操り、脅し、ついには殺人にまで手を染める。

 

 

感想&解説

マーティン・スコセッシの音楽ドキュメンタリーを除いた長編劇映画としては、2019年「アイリッシュマン」以来4年ぶりとなる作品であり、レオナルド・ディカプリオとのタッグとしては、2002年の「ギャング・オブ・ニューヨーク」から始まり、「アビエイター」「ディパーテッド」「シャッター アイランド」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」に続く、6度目のタッグ作となる。ヒューゴの不思議な発明」「沈黙 -サイレンス-」などの例外はあるが、2000年以降のスコセッシはほとんどディカプリオと一緒に映画を作ってきたと言っても過言ではないだろう。そして、スコセッシのもう一人の戦友といえばもちろんロバート・デ・ニーロだ。前作「アイリッシュマン」が彼らの9度目のタッグ作だったが、アメリカ公開1973年の初期作「ミーン・ストリート」から大傑作が続き、「タクシードライバー」「ニューヨーク・ニューヨーク」「レイジング・ブル」「キング・オブ・コメディ」「グッドフェローズ」「ケープ・フィアー」「カジノ」と、監督の70~90年代におけるフィルモグラフィーを彩ってきたのは、紛れもなくデ・ニーロだったと言える。

そしてそんなレオナルド・ディカプリオロバート・デ・ニーロが、マーティン・スコセッシ監督作で共演するという事は、これだけで映画ファンには大事件だろう。ちなみにディカプリオとデ・ニーロの共演は、1993年のマイケル・ケイトン=ジョーンズ監督「ボーイズ・ライフ」以来なのも意外だ。この作品でもデ・ニーロ演じる、一見社交的な紳士に見えた実母の再婚相手が暴力的な男で、その父親から脱却する少年をディカプリオが演じており、本作における主人公アーネストと叔父ウィリアム・ヘイル(キング)との関係を彷彿とさせるのも面白い。そして何と言っても本作の大きな特徴は、206分という上映時間だ。前作「アイリッシュマン」も209分だったし、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」も179分と長尺だったが、さすがに”3時間26分”は劇場で観るには、覚悟が必要な上映時間だろう。

 

だが結論から言えば、この206分は全く退屈しない。もちろん物理的に長いのでお尻は痛くなるしトイレは気になるが、つまらなくて眠くなったり興味が途切れる瞬間がないからだ。120分の映画でも退屈で観ていられない作品も多い中で、やはりこの作品クオリティは凄まじい。ダラダラと分かり切ったセリフをキャラクターが言い合ったり、作劇上で意味のないシーンがまったくなく、かなり場面転換が早い上に画面構図とカメラワークが巧みでまったく飽きさせない。デ・ニーロの煽り気味のバストアップからカメラが背後に回り込み、ドローン撮影によってグッと視点が上がると、そこには何十人もの人達が映り込むというショットは贅沢なロングテイクだったし、デ・ニーロが髭を剃ってもらっている理容店のシーンは、ブライアン・デ・パルマの「アンタッチャブル」の1シーンを彷彿とさせてニヤニヤさせられた。爆破の衝撃を表現するのに木の上にベッドが乗ってるシーンなども、画面に映るのは一瞬なので”必要なし”と割り切っても良いと思うが、こういうシーンもスコセッシは手を抜かないのである。

 

 

この映画は1921年オクラホマ州で、先住民であるオセージ族の住民が次々と謎の死を遂げた、”インディアン連続怪死事件”という史実を描いている。そもそもは1894年にその土地で石油が発見されたことで、オセージ族はたちまち裕福な民族となったが、そこに白人たちが押し寄せてきてオセージ族の女性と結婚し、部族の人々が有する「均等受益権」を多く相続するために、オセージ族の人々を殺害。さらに彼らの財産は後見人である白人によって管理され、搾取されていったという事実が描かれていく。アメリカ国民ですら現在ではあまりこの事件を覚えてはいないらしく、先住民への人種差別意識もあり風化しつつあった事件を、デイヴィッド・グランというジャーナリストがノンフィクション小説「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」として刊行したものが、スコセッシ監督の元に持ち込まれて、今回の映画化となった訳だ。タイトルに”FBIの誕生”とあるのは、この殺人事件の捜査のために”FBIの前身”となる捜査局から、ジェシー・プレモンス演じる捜査官トム・ホワイトが現場に訪れるが、彼はFBI初代長官ジョン・エドガー・フーヴァーの命令によって、送り込まれたことに起因している。ちなみにディカプリオは、クリント・イーストウッド監督の「J・エドガー」という作品で、このフーヴァーを演じていたことがあるのが何とも奇遇だ。

 

どうやらディカプリオは、当初この捜査官トム・ホワイトの役を演じる予定だったのだが、本人の希望によりアーネストを演じることになったらしいが、これは大正解だろう。ここからネタバレになるが、オセージ族の妻モリーと叔父ウィリアム・ヘイルとの間で揺れ動く、信念のない矮小な男アーネストは、自分にとって大事なものが何かを分かっていながらも、保身と叔父への恐怖で犯罪に手を染めてしまう。彼は自分で自分を「怠け者」だと表現するが、常に彼を支配しているのは”無知ゆえの恐怖”だ。彼はほとんど自分の置かれている状況を把握していない。捜査の手が自分に伸びてくると半狂乱になり、キングを頼っては叱責され、彼の言いなりになって書類にサインしてしまう。そんな彼をもっとも表現するアイテムは、例の”インスリン”だろう。キングに言われるがまま、愛しているはずの妻モリーに、毒物入りのインスリンを注射し続けるアーネスト。最後にはウィリアム・ヘイルと自分の犯罪を証言するが、その裁判が終わった後、「ショミカシ、注射の中身は何だったの??」とモリーに問われると、アーネストは挙動不審になりながら「インスリンだ」と答えてしまう。するとモリーは彼に背を向けて去ってしまうのだが、彼女は夫に対して未来が描けなくなったのだろう。あれがただのインスリンではない事は、アーネストもモリーも気づいているからだ。

 

”ショミカシ”はオセージ族の言葉でコヨーテを意味し、出会った頃にモリーが金目当てで近づいてきたアーネストに対して使っていた言葉だ。あえてここで、アーネストに”ショミカシ”と呼びかけたことにより、モリーは彼の行動の全てを知っていること、そしてそれを知りながらこの質問することで、罪を白状し赦しを乞う最後のチャンスを彼に与えたのである。だがアーネストはそれすらも裏切ってしまう。あの最後の表情はディカプリオ渾身の演技だと思うし、本作を観ると本当に上手い役者だと改めて感じる。やはりレオナルド・ディカプリオロバート・デ・ニーロが出演している作品は、それだけで映画の格が上がってしまうのである。音楽も2023年8月に亡くなったばかりのロビー・ロバートソンが担当しており、印象的なブルースギターを聞かせていた。ロビー・ロバートソンは「ザ・バンド」というロックバンドのギタリストであり、解散後も「レイジング・ブル」「ハスラー2」「ディパーテッド」などの音楽監督を務め、度々スコセッシの監督作品でタッグを組んできたミュージシャンだ。彼自身もモホーク族というネイティブアメリカンの出自であることを明かし、「ネイティヴ・アメリカン」というタイトルのアルバムを発表している。本作がロビー・ロバートソンの遺作になったことには、何か必然を感じてしまった位だ。

 

劇中では、白人至上主義団体クー・クラックス・クランの存在が仄めかされ、白人が黒人住民を虐殺した事件の地名「タルサ」というワードが出てくるが、約100年前の白人がオセージ族を殺して金を奪おうとしたこの史実も、レオナルド・ディカプリオロバート・デ・ニーロというスター俳優を使って、マーティン・スコセッシが監督したこの映画によって、世界中の人に改めて知られることになるだろう。この時代にアメリカの暗部をしっかりと描いてる作品だからこそ、この映画は作られる意味があったのだと思う。ラストシーンではスコセッシ本人が登場して作品を締めくくるが、映画としての強度やメッセージ性なども含め、監督作品の中でも集大成といえる完成度だった、本作「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」。206分の上映時間だが、心底劇場で鑑賞して本当に良かったと思える映画だ。ストーリーも難解な映画ではないしエンタメ性も非常に高いため、至福の時間が過ごせる映画体験になると思う。

 

 

9.0点(10点満点)