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映画「ドミノ」ネタバレ考察&解説 ベン・アフレックの起用も納得!ロドリゲス監督の”映画愛&ヒッチコック”愛”に溢れた、B級どんでん返し映画!

映画「ドミノ」を観た。

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デスペラード」「パラサイト」「スパイキッズ」「シン・シティ」「アリータ:バトル・エンジェル」など個性的な作家性のロバート・ロドリゲス監督が、監督/製作/原案/脚本/撮影/編集をこなした、SFサスペンス。主演は「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」「ゴーン・ガール」のベン・アフレック、その他の出演は「ブラックホーク・ダウン」「ダークナイト」「ローン・レンジャー」などのウィリアム・フィクトナー、「アイ・アム・レジェンド」「ザ・スーサイド・スクワッド“極”悪党、集結」のアリシー・ブラガ、「ワイルド・スピード ジェットブレイク」のJ・D・パルド、「ウォッチメン」「シャッターアイランド」のジャッキー・アール・ヘイリーなど。原題は「HYPNOTIC(催眠状態)」で、邦題とは違うタイトルが付けられている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。


監督:ロバート・ロドリゲス

出演:ベン・アフレックアリシー・ブラガウィリアム・フィクトナー、J・D・パルド、ジャッキー・アール・ヘイリー

日本公開:2023年

 

あらすじ

公園で一瞬目を離した隙に娘が行方不明になってしまった刑事ロークは、そのことで強迫観念にかられ、カウンセリングを受けるようになるが、正気を保つために現場の職務に復帰する。そんなある時、銀行強盗を予告するタレコミがあり、現場に向かったロークは、そこに現れた男が娘の行方の鍵を握っていると確信する。しかし男はいとも簡単に周囲の人びとを操ることができ、ロークは男を捕まえることができない。打つ手がないロークは、占いや催眠術を熟知し、世界の秘密を知る占い師のダイアナに協力を求めるのだった。

 

 

感想&解説

「はまっていくどんでん返しのドミノ連鎖」「ラストに待ち受けるのは、想像の3周先を行く驚愕のラスト」「冒頭5秒、あなたは既に騙されている」「必ず、もう1度観たくなる」などの煽り文句が並び、日本ではタレントのカズレーザーがCMを務めるなど、結構なプロモーションを仕掛けている本作。まるで昔のM・ナイト・シャマラン作品のような”どんでん返し”を期待させるキャッチコピーと、クリストファー・ノーランの新作のような大作感のある広告には、大いに期待させられた。だが本作の監督はあの”ロバート・ロドリゲス”だ。製作費7,000ドルという「エル・マリアッチ」で華々しくデビューした彼は、「デスペラード」「スパイキッズ」「シン・シティ」「プラネット・テラー in グラインドハウス」といった、手作り感のあるウェルメイドなアクション映画を撮る作家というイメージだろう。アメリカ南部のテキサス州にある自らが運営する「トラブルメーカースタジオ」において、家族的な雰囲気で映画作りをする監督で、近作でこそジェームズ・キャメロンと「アリータ:バトル・エンジェル」を作ったり、「マンダロリアン」の"Chapter 14”を担当したりとSF映画も手掛けてきたが、驚くようなどんでん返しがある”巧いサスペンスの脚本”というイメージからは、ほど遠い監督だったと思う。

そんな「ドミノ」だったが、蓋を開けてみればしっかりとロバート・ロドリゲスらしい、良くも悪くもB級感のあるウェルメイドな作風になっており、監督の”映画愛”に溢れた作品だった。インタビューを読むと、ロドリゲス監督は2002年に4Kリマスター版が再公開された、アルフレッド・ヒッチコックの「めまい」を見たことで脚本を書き始めたらしく、ひねりの利いたスリラー作品を作りたくなったと語っている。そもそもヒッチコックの大ファンであるロドリゲス監督は、タイトルもワン・ワールド(「めまい」「サイコ」「鳥」「マーニー」など)にしたいと思い、「HYPNOTIC」と付けたらしい。物語も「間違えられた男」的ということで、巻き込まれ型の主人公を意識して書いた脚本だったようだが、本作では相当ヒッチコック映画にインスパイアされて作られた作品だったことが分かる。この”巻き込まれ型主人公”という設定が最初にあっての、ベン・アフレックの起用だったのだろう。彼くらい周りで起こっている事態に順応できず、オロオロする男が似合う俳優はいないからだ(失礼)。

 

 


主人公の刑事ダニー・ロークは、3年前に娘が誘拐されて行方不明になった事件を、カウンセリングを受けながら回想している。セラピストから仕事に復帰して良いと告げられたロークは、相棒のニックスと共に銀行の貸金庫に強盗が入るという匿名の通報を受けて現場に向かうと、”謎の男”が民間人や警察官をまるで催眠術のように操っている様を目撃する。あの謎の男が怪しいと後を追い銀行に入ったロークが貸金庫の中身を調べると、そこには何故か「デルレーンを探せ」と書かれたロークの失踪した娘ミニーの写真が入っていた。混乱するロークは男を追い詰めるが、まんまと逃げられてしまう。謎の男が娘の居場所を知っていると確信したロークは、匿名電話の主だった占い師ダイアナ・クルスのもとを訪ねるが、またしてもあの男によって操られた客が店を襲撃し命を狙われる。ロークはダイアナを警察署で保護することで謎の男について詳しく聞き出すと、あの男こそが「デルレーン」であり、彼は人間を操る強力なマインド・コントロール能力を持っていること、そしてダイアナもその能力を持っていること、さらにロークには過去のトラウマがあることで、マインドコントロールへの耐性があることなどが告げられる。そして襲ってきた相棒ニックスを射殺してしまったダイアナとロークは、逃亡のためにメキシコに移動することになる。


まずここまでが、構成的には最初の”第一章”となるだろう。ここで個人的には”マインド・コントロール”という物語上の設定を聞き、大いに失望させられた。今更こんな手垢の付いた設定を見せられるのかと心底ゲンナリしたからだ。この”マインド・コントロール”が使えるという設定では、国境だろうが警察だろうがなんの障害にもならず、”なんでもあり”の展開になってしまうために、ストーリー展開の幅としては単なる”超能力合戦”となってしまうケースが多い。これでは物語上のサスペンスは起き得ないからだ。しかし、ここからネタバレになるが、次の”第二章”で大きなツイストが用意されている。メキシコに入ったロークとダイアナは組織の仲間であったプログラマーのリバーの元を訪れ、彼がデータベースを調べることで、ロークの元妻が組織のエージェントだったことが判明する。なんと彼女との結婚生活は偽りだったのである。落ち込んだロークは流れでダイアナと身体の関係を持ってしまうが、その夜自らデータベースを調査するロークは、さらに衝撃的な事実を目にしてしまう。実はダイアナこそが元妻であること、娘のミニーが「ドミノ」という強力なコントロール能力を持つ存在であり、デルレーンが探している対象であることを知る。そしてロークはこれまでの出来事はすべて、組織の施設内で作られた仮想の世界であること、ダイアナやデルレーンなども全て組織のエージェントたちであり、ロークが催眠中に見ている世界でそれぞれの役割を演じており、それも今回で12回目だったことなどを知ってしまう。ロークは娘ミニーの能力を組織に利用されることを阻止するため、自分の記憶をリセットしてしまったことから、組織は何度もロークにシナリオの中で自分の娘を探させていたという真相だったのだ。


1998年に「トゥルーマン・ショー」という作品があり、主人公にバレないようにリアリティショーを製作するため、周りの友人や妻も全員役者だったという作品があったが、本作はそれの近未来SF版という感じだろうか。それからラース・フォン・トリアーの「ドッグヴィル」におけるセットも思い出したが、それにしても「何故そんなややこしい方法を?」というツッコミは当然浮かぶが、”超能力モノ”から”仮想世界SF”へのジャンルシフトは確かに面白い。「どんでん返しのドミノ連鎖」というコピーも、(やや大袈裟ではあるが)、納得できる展開だろう。そしてこれからが三幕構成の終章だ。この後は13回目のリセットを経て、また冒頭のカウンセリングシーンからやり直しになるが、ロークは途中でこの世界の秘密に気づき、「デルレーンを探せ」というメッセージのアナグラムを解いて、ロークの里親の住む牧場に向かう。そしてそこで成長した娘ミニーと3年ぶりに再開するが、エージェントたちも牧場にやってくる。だが成長したミニーにとってデルレーンたちは敵ではなく、難なく組織を壊滅させてしまう。ダイアナもミニーを守るために記憶をリセットしていたことが描かれ、この”組織の壊滅”こそがロークたち家族3人の真の目的だったことが示されるのである。この後家族が抱擁して、この映画は終わる。


ただエンドクレジットでの最後のどんでん返しは、ラストの意味合いがブレてしまうしカタルシスも激減してしまっているという意味で、明らかに蛇足だろう。続編の匂わせだったのかもしれないが、一本の作品としての質が下がってしまっていては本末転倒だ。こういうところも全体的に大味で、B級感を感じさせる要因なのかもしれない。そして正直、もう一回最初から観たくなるタイプの作品ではないとも思う。細かい伏線の積み上げがあって、もう一度観ることで意外な発見がある映画ではなく、基本的には”後出しジャンケン”によって強引にツイストさせた脚本だからだ。脚本の巧さではなく、この荒唐無稽な設定に身を任せて楽しむべき映画なのだと感じる。それにしても組織の施設内で作られた”仮想の世界”の現実は、まるで映画のセットのように書き割りで作られ、エージェントたちは役者のように自分のロールを演じているという設定は面白かった。これこそまさに、”映画作りそのもの”だからだ。先ほどの「間違えられた男」でもヒッチコック自らが作品冒頭で登場し、ストーリーテラーとしての役割を果たしているが、本作はロバート・ロドリゲスのオリジナル脚本/監督作ということで、相当楽しんで撮影したのだろう。94分というタイトな上映時間も素晴らしく、「このアイデア自体を映画にしたい」という監督の気概に溢れた、そして映画作りへの愛情を感じる意欲作だったとは思う。

 

 

6.0点(10点満点)