映画「エクソシスト 信じる者」を観た。
2019年から始まった新「ハロウィン」三部作で名を上げたデビッド・ゴードン・グリーンが監督を務め、ブラムハウス・プロダクションズのジェイソン・ブラムとタッグを組んで製作された名作ホラーのリブート作。2023年8月に亡くなったウィリアム・フリードキン監督による、1974年日本公開の傑作ホラー映画「エクソシスト」の正統続編とされており、同作より50年後の現在を舞台にしている。出演は大ヒットミュージカル「ハミルトン」のレスリーオドム・Jr.、「ヘレディタリー 継承」のアン・ダウド、「ハリエット」のジェニファー・ネトルズの他、オリジナルの「エクソシスト」でクリス・マクニールを演じたエレン・バースティンが、本作でも登場することで話題になっている。ジェイソン・ブラム&デビッド・ゴードン・グリーンによる、ホラーリブートシリーズの出来栄えはどうであったか??今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:デビッド・ゴードン・グリーン
出演:レスリーオドム・Jr.、アン・ダウド、ジェニファー・ネトルズ、エレン・バースティン
日本公開:2023年
あらすじ
ヴィクターは12年前に妻を亡くし、娘のアンジェラを1人で育てている。ある日、アンジェラが親友キャサリンと一緒に森へ出かけたまま行方不明になってしまう。3日後、2人は無事に保護されるがその様子はどこかおかしく、突然暴れたり叫んだりと常軌を逸した行動を繰り返す。ヴィクターは50年前に同じような経験から愛娘を守り抜いた過去を持つクリス・マクニールに助けを求め、悪魔祓いの儀式を始めるのだった。
感想&解説
ウィリアム・フリードキン監督による「エクソシスト」は、ホラー映画史に燦然と輝くマスターピースであり、トビー・フーパーの「悪魔のいけにえ」やジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」などと並んで、今でも高く評価されている作品だろう。少女に憑依した悪魔と神への信仰に揺らぐ神父との戦いを描いた、いわゆる”オカルト映画”の代表作であり、アメリカ本国においては社会現象を生み出した結果、1973年の興行収入1位を記録し、第46回アカデミー賞では「脚色賞」と「音響賞」を受賞している。その後、ジョン・ブアマン監督によって大きく方向性の変わった「エクソシスト2」、原作者であるウィリアム・ピーター・ブラッティが監督/脚本を手掛けた「エクソシスト3」、レニー・ハーリン監督による大失敗作「エクソシスト ビギニング」などシリーズ作を重ねていった訳だが、オリジナルから50年経った新たなシリーズとして、「ハロウィン」リブートで成果をあげたジェイソン・ブラム&デビッド・ゴードン・グリーンのコンビに白羽の矢が立ったという事らしい。(ちなみに「エクソシスト3」は傑作なので、見逃している方はぜひ)
それにしても「Rotten Tomatoes」などを中心に、海外レビューサイトでは公開直後から批評家からの評価がかなり悪く、あまり期待しすぎないようにして鑑賞したのだが、確かにこれは特に海外では評価の分かれる作品だと思う。恐らく(自分も含めて)信仰心の薄い日本人が観れば、エンタメホラー映画としてまずまず楽しめる作品だと思うが、そもそも「エクソシスト」は悪魔とカトリック神父であるエクソシスト(悪魔祓い)との戦いであり、どうしてもそこには”宗教観”が顔を覗かせる。1973年の初代「エクソシスト」は、母親の死に対して自責の念を持ち信仰が揺らいでいるカラス神父と、持病の心臓病を持つメリン神父というカトリック教会サイドと、人間を言葉巧みにたぶらかそうとする狡猾な悪魔との戦いが描かれていたのだが、そのやり取りには心底恐怖を感じたものだ。それはいわば”プロの悪魔祓い”と悪魔の戦いで、これに負けたら”人間としての尊厳”や”信仰そのもの”が負けるという絶体絶命感と、あまりに不憫な娘リーガンと母クリスへの感情移入で結末まで気が抜けなかった為である。
ところが本作では(ここからネタバレになるが)、明らかに悪魔に憑かれ豹変した少女たちがいるにも関わらず、カトリック教会は「危険すぎる」というよく理解できない理由で悪魔祓いを許可せず、そのため父親のヴィクターは非カトリック教派団体パブテストの牧師、元修道女を目指しながらも挫折した看護師、プロテスタントで聖霊による洗礼を重視するペンテコステ派、伝統医療を行うヴードゥーの女性など、多種多様な宗教観を持つ”近所の人たち”を集め、実践経験のない素人たちだけで悪魔祓いを行うという、驚きの展開になるのである。これには初代「エクソシスト」を熱心に観てきたファンほど無謀だと思うだろうし、なぜこの非常事態にカトリック教会はもう一度手を貸さないのか?と普通に疑問に思ってしまうだろう。あんな狂暴な状態の少女を精神病院に隔離できるはずがないのだ。しかも満を持して登場したマドックス神父は、悪魔の念力で首の骨を破壊されてあっけなく死亡してしまい、今回の教会側の判断には疑問しか残らない。
さらに言えば、50年前に愛娘が悪魔に憑りつかれ涙ながらに神父に懇願していたクリス・マクニールが再登場するが、無謀にも彼女が悪魔祓いの真似事を始める展開にも驚かされる。クリスは前回の悪魔祓いの現場には立ち会っていない上に、なんのエクソシストの経験もない女性なのだ。そして案の定、十字架で目を潰されて、中盤からは病院で寝ているだけの存在となってしまう。50年前にあれだけ恐怖を感じ、長い時間をかけて学んだはずの悪魔という存在に対して、今作のクリス・マクニールは無謀なうえに無知で馬鹿な存在に見えてしまう。ほとんど”正統派続編”としての理由を担保する、唯一の存在にも関わらず、この扱いはあまりに勿体ない。年齢的に撮影時間が限られていたのかもしれないが、それでも彼女が学んだ知識が活きてヴィクター親子を救うという展開も可能だったはずだ。わざわざ90歳近いエレン・バースティンという大女優を起用したにしては、彼女のお粗末な扱いは残念だったと言わざるを得ない。
ラストは悪魔に憑依されて変貌したアンジェラとキャサリンのうち、「死ぬ一人を選べば、もう一人を救ってやる」という悪魔の取引きを持ちかけられるという流れになり、娘を溺愛する父親による「キャサリンを選ぶ」という選択によってキャサリンは死に、アンジェラが生き残るという結末になる。要するに悪魔にまんまと”騙された”訳だ。ここからも分かる通り、本作は”悪魔が完全勝利する映画”になっているのである。先ほどの寄せ集められた素人エクソシスト集団たちによるバラバラの祈りはほとんど役に立たず、カトリックの神父は瞬殺され、クリス・マクニールは目を潰される。そして悪魔と取引きした父親によって愛娘が亡くなるという、凄まじいバッドエンドを迎える本作は、敬虔なクリスチャンほど許せないだろうし、あまりにアンチカタルシスな展開だ。だが実際はこの展開こそが、個人的に本作でもっとも”面白いポイント”だとも感じる。この想像をしていなかった着地には、かなり虚を突かれたからだ。一方でアンジェラが平穏な日常に戻ってきた事を表現する、いかにも”良さげ”な場面を見ながら、なんという胸糞なエンディングなのだろうとスクリーンを眺めていたが、こういう”エクソシスト映画”があっても良いと思う。
13年前のハイチ地震によって、身重の妻を救うか胎内の子供を救うか?という選択を医者に迫られた父親ヴィクターが、妻を選んだにも関わらず娘が生き残ってしまった事を悪魔に指摘される場面も、イマイチ効果的に繋がってこない。先ほどの「死ぬ一人を選べば、もう一人は救ってやる」という展開において、ヴィクターは「どちらも選ばない」という選択をするのだが、医師からどちらか一方の命を”救うため”に迫られる選択と、悪魔によって少女の命を"選別する"選択とは、根本的に違う問題なのである。だから彼の「どちらも選ばない」という選択に対しても、何の感動も生まないし感慨も湧かない。「悪魔と決して会話するな」とは、前作においてメリン神父がカラス神父に告げるアドバイスだが、この悪魔の選択の先には悲劇しかない事が容易に想像できるため、当然の選択に思えるからだ。だが結局は、人間が悪魔の誘惑に負けてしまうというのは前述のとおりで、徹底的にダークで胸糞なエンディングなのである。
保護されたキャサリンが病院のガラスに顔を押し付けるという奇行を始めるシーンや、マドックス神父の首がねじ曲がって殺されるシーンなどは、オリジナルへのオマージュなのだろうし、エクソシストのテーマ曲を垂れ流しにしない演出なども、抑揚が効いていて良かったと思う。だがやはりローリーという一般市民が、マイケル・マイヤーズという殺人鬼と戦う「ハロウィン」シリーズとは違い、「エクソシスト」における悪魔祓いは専門性が高く、素人が易々と行える行為ではないのだ。ラッセル・クロウ出演の「ヴァチカンのエクソシスト」でも、カトリック教会の総本山であるヴァチカンのローマ教皇に仕えたエクソシストが悪魔と戦う話だったからこそ、こちらも存分にスリルを味わえた訳だが、デビッド・ゴードン・グリーン監督の「皆が力を合わせて悪と戦う」というお得意の展開と、この「エクソシスト」の悪魔祓いという行為は相性が悪い気がする。ただ個人的には役者の熱演とビジュアルのクオリティの高さ、そして何よりこのブラックで胸糞なエンディングが楽しい、気楽なエンタメホラー作品として楽しめた。脚本のユルさやホラーとしての恐怖感の薄さは課題だろうが、本作品は三部作らしくあと二作品残っているようなので、ここからどのように巻き返すのか?と次回作も楽しみに待ちたいと思う。
6.5点(10点満点)