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映画「サン・セバスチャンへ、ようこそ」ネタバレ考察&解説 海岸のチェスシーンについて解説!今のウディ・アレンを形成する”老いと映画”の2つにフォーカスした作品!

映画「サン・セバスチャンへ、ようこそ」を観た。

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アニー・ホール」「タロットカード殺人事件」「ミッドナイト・イン・パリ」のウディ・アレン監督が、2020年「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」から4年ぶりに日本公開する新作で、スペインのサン・セバスチャン国際映画祭を舞台に、妻の浮気を疑う熟年男性が体験する不思議な出来事を描いたヒューマン・コメディ。出演は「トイ・ストーリー」シリーズのレックス役で声の出演を務めたり、ウディ・アレン作品でも「マンハッタン」でのデビュー以来、「メリンダとメリンダ」「スコルピオンの恋まじない」などに多数出演しているウォーレス・ショーン、「バウンド」「サンクスギビング」などのジーナ・ガーション、「オフィサー・アンド・スパイ」「パリの恋人たち」のルイ・ガレル、「私が、生きる肌」「ワンダーウーマン」のエレナ・アナヤなど。久しぶりの公開となった本作の感想はどうだったか?今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:ウディ・アレン
出演:ウォーレス・ショーン、ジーナ・ガーションルイ・ガレルエレナ・アナヤ
日本公開:2024年

 

あらすじ

ニューヨークの大学の映画学を専門とする教授で、売れない作家のモート・リフキンは、有名なフランス人監督フィリップの広報を担当している妻のスーに同行して、サン・セバスチャン映画祭にやってくる。リフキンはいつも楽しそうな妻とフィリップの浮気を疑っているが、そんな彼が街を歩くと、フェデリコ・フェリーニ監督の「8 1/2」の世界が突然目の前に現れる。さらには、夢の中でオーソン・ウェルズ監督の「市民ケーン」、ジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」の世界に自身が登場するなど、クラシック映画の世界に没入する不思議な体験が次々と巻き起こる。

 

 

感想&解説

ウディ・アレンはもはや、”賞レース”や”興行収益”といったものに興味はないのだろう。ただひたすらに自分の語りたいストーリーを書き、撮りたい映像を撮ってそれを”映画”にしているように感じる。アニー・ホール」の心の中の言葉を字幕にしてしまう演出や、「マッチポイント」に見られたような奇をてらった脚本のツイストもない。シンプルに自分自身の気持ちを投影しているように見えるのだ。ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ暴露をきっかけに起きた「#MeToo」運動の余波により、業界からキャンセルされたウディ・アレンは、前作の「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」に出演したキャスト陣から「出演を後悔している」とコメントを出されたり、映画の無期限公開延期や契約キャンセルなどが報じられたりしていた。本作「サン・セバスチャンへ、ようこそ」は、原題を「リフキンズ・フェスティバル(Rifkin's Festival)」と言い、実際は2020年に制作されているがアメリカ公開は2年後の2022年、そして日本での公開は2024年と遅れたのはこういう事情からだろう。

そして本作「サン・セバスチャンへ、ようこそ」のウォーレス・ショーンが演じる主人公モート・リフキンは、紛れもなくウディ・アレン本人の投影だ。「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」のティモシー・シャラメ演じる主人公ギャッツビーも、生粋のニューヨーカーでピアノ弾き、そして早口しゃべりという設定で”ウディ・アレン要素”が強いキャラクターだったが、本作は老いたルックスまで似せてきている。ティモシー・シャラメと比べれば完全に華のない主人公だが、これはウディ・アレンの投影だから仕方ないのである。そんな彼がスペインで行われる映画の祭典「サン・セバスチャン映画祭」を舞台に、自分の妻が若き映画監督に寝取られていくことへの嫉妬と、成就する可能性の低い女医への淡い恋から頭が朦朧とし、遂にはヨーロッパの巨匠たちによる名画の世界に没入した夢や白昼夢を見るという、いかにもウディ・アレン的な映画だと言えるだろう。現代に住む映画脚本家が1920年代の黄金時代パリにタイムスリップし、ジャン・コクトーアーネスト・ヘミングウェイらの文化人と出会う「ミッドナイト・イン・パリ」も思い出させる。

 

ミッドナイト・イン・パリ」でもルイス・ブニュエル監督が登場していたが、本作でも不条理に屋敷の外に出られなくなってしまうという「皆殺しの天使」のワンシーンがオマージュで使われていたように、本作は”映画についての映画”でもある。その分、元ネタの作品を観ていないと、本作の楽しさはかなり目減りすると思うし、何を描こうとしているシーンなのか?が分からないかもしれない。なんの脈絡もなく画面がモノクロになったかと思うと、画角もスタンダードサイズに変化しながら、「市民ケーン」や「突然炎のごとく」といった名画のオマージュ/パロディシーンが出現するからだ。市民ケーン」における、”ローズバット(バラのつぼみ)”と書かれたソリの存在や、「突然炎のごとく」におけるジュール&ジムの青年と、その間で二人を翻弄するジャンヌ・モロー演じるカトリーヌの三角関係を、モートとフィリップ、そして妻スーに置き換えて描く砂浜のシーンなどは、まるで”これらの名画を観ていること前提”に描かれていて、結構ハードルが高い。

 

 

他にはジャン=リュック・ゴダール勝手にしやがれ」のポール・ベルモンドジーン・セバーグのシーツを被るシーンを模した場面や、「ダバダバダ」というボサノバ風の曲で有名なクロード・ルルーシュの「男と女」の車中シーン、とにかく人々にひたすら話しかけられ、現実と妄想がごちゃごちゃになってくるシーンはフェデリコ・フェリーニ監督「8 1/2」、夢の中のベッドで妻スーと女医のジョーが抱き合うシーンは、イングマール・ベルイマン監督「仮面/ペルソナ」だろう。とにかくこれらがモートの夢の中や妄想という設定で、突然ポンポンといきなり表現されるので、ウディ・アレンがこれらへのオマージュシーンをやりたかったんだろうなとある意味で微笑ましい。そしてそれらの極めつけは、終盤のクリストフ・ヴァルツ演じる死神と海辺でチェスをする、イングマール・ベルイマン「第七の封印」の有名なシーンだろう。ウディ・アレン自身、過去のベルイマン作品から影響を受けたと語っているが、クリストフ・ヴァルツの死神が非常に滑稽で笑える場面になっているが、この場面にこそ本作で監督の語りたいことが詰まっていた気がする。

 

ここからネタバレになるが、このモートという主人公は大学で映画を教えていた教授だという設定で、新進気鋭の映画監督を見下し、過去の名画にしか興味がない。だが本人は偉大な小説家を目指しているが、平凡な作品は書きたくないと書いては捨てを繰り返し、実際には1ページも進んでいない。要は懐古主義のスノッブな上に、仕事も行き詰っていて、妻にも捨てられそうな孤独な老人なのである。そんな彼が女医ジョーに出会い恋をすることによって、少しだけ生きる活力を取り戻し、”自分は偏屈な男だった”と認めた上で「それでも生きる価値はある」と宣言する場面が、あの海岸のチェスシーンなのだ。「第七の封印」では主人公は死神とのチェスに敗れて”神の不在”が描かれたが、本作の死神は「野菜を食べろ」「大腸検査を受けろ」など健康に生きる為のアドバイスをして、”勝負の途中で帰っていく”。そして妻スーに離婚を告げられ、ジョーにも想いを告げられずにニューヨークに帰ってきたモートが、冒頭のシーンと同じくカウンセラーと話をしている場面でこの映画は終わる。彼の最後のセリフは「さぁ、どう思う?」で、それに対するカウンセラーの返答はない。

 

この問いかけは、モートに扮したウディ・アレンからの観客への問いかけだ。そしてそれは「勝負の途中で死神が帰っていった」位だから、俺はまだ死なないし、自分の好きな芸術や好きな人も理解できた自分は、これからどうやって人生を生きていこうか?というポジティブな問いかけなのだろう。このあたりが本作の公開がこれだけ遅れた理由なのかもしれないが、彼の創作意欲が衰えていないことがハッキリと明示されたラストシーンだったと思う。ただやはり、過去の名画のシーンをこれでもかと使い、「これくらいは観ていて当然でしょ」という感じで引用してくる姿勢には、ウディ・アレンらしい高慢さを感じなくもないが冒頭で書いたとおり、今の彼は作りたい映画を本能のままに作っているだけなのだろう。本作の紹介では”ロマンティック・コメディ”と紹介されているが、正直ロマンティックな要素は薄く、過去の「アニーホール」や「マンハッタン」、「カフェ・ソサエティ」や前作「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」のような大人の恋愛映画を期待するとやや肩透かしを食うと思う。

 

恋愛映画というよりは、もう少し今のウディ・アレンを形成する”老いと映画”という2つにフォーカスしたような作品なのだ。そして最初から最後まで映画の主人公としては華のない、ウォーレス・ショーンを愛でる”お爺ちゃん映画”にもなっていた本作。近作だとイーライ・ロス監督のスプラッターホラーである、「サンクスギビング」にも出演していたジーナ・ガーションの登場にも驚かされたし、クリストフ・ヴァルツも短い出演時間ながらも美味しい役だったと思う。そして88歳という年齢で、世界でも屈指の映画人であり、ジャズマンでもありコメディアンでもあるウディ・アレンがこれから作る作品は、きっとこれまで以上に彼の人生そのものが投影されたものになる気がする。次回作もすでに決まっているらしいので、日本公開される日を楽しみに待ちたい。

 

 

6.5点(10点満点)