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映画「パスト ライブス 再会」ネタバレ考察&解説 ポイントは序盤のあの分かれ道!本作は画面構図が重要な作品!

映画「パスト ライブス 再会」を観た。

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本作が長編映画監督デビュー作となるセリーヌ・ソンが、子供の時に家族と海外へ移住した自身の体験をもとにオリジナル脚本を執筆し、メガホンを取ったラブストーリー。家庭の事情から離れ離れになった幼なじみの2人が、24年の時を経てニューヨークで再会する7日間を描いた、アメリカ/韓国合作映画だ。製作/配給はA24。出演は「マネーモンスター」「スパイダーマン スパイダーバース」のグレタ・リー、「ニューイヤー・ブルース」のユ・テオ、「ファースト・カウ」のジョン・マガロ。第81回 ゴールデングローブ賞では5部門にノミネート、第96回アカデミー賞でも「作品賞」「脚本賞」にノミネートされ、残念ながら無冠に終わったが、世界中で評論家・観客共に高い評価を得た作品だ。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。


監督:セリーヌ・ソン

出演:グレタ・リー、ユ・テオ、ジョン・マガロ

日本公開:2024年

 

あらすじ

韓国・ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソンは、互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。12年後、24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいた2人は、オンラインで再会を果たすが、互いを思い合っていながらも再びすれ違ってしまう。そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れ、2人はやっとめぐり合う。

 

 

感想&解説

本作を監督したセリーヌ・ソンは、12歳の頃に家族とソウルからカナダに渡り、いまは劇作家としてニューヨークの劇場を中心に活躍し、アメリカ人の夫と暮らしているらしい。そういう意味で、本作の主人公ノラはほとんど監督の実体験から生まれたキャラクターだと思うが、このオリジナル脚本の作品が世界中から愛されるには納得だ。本作は誰しもに経験がある、「あの時にこうしていれば、今は違う人生だったかもしれない」という”選択と時間”の物語だからだ。だからといって、過去の選択を悔やむのではなく、全ての人の人生を肯定する大人のラブストーリーとして、上質な作品に仕上がっている。本作のキャラクターはむやみに感情を爆発させたりしない、自分の感情をコントロールできる大人たちだ。だからこそ、ラストシーンがよりエモーショナルに届くのである。

序盤、韓国ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソンは成績優秀な二人であり、お互いに特別な感情を持っていることが描かれる。ところがノラの両親が海外に行くことになり、彼女たちは子供ながらに別れを経験することになるのだが、この下校時における最初の別れのシーンから重要な場面になっているし、本作の映画的な演出力に驚かされる。画面は二股に分かれており画面左側にヘソン、右側にノラがいるのだが、彼女たちがこれから辿る人生がこのシーンからハッキリ示唆されている。ノラの行先はかなり急な右奥に向かう階段に対して、ヘソンの道はなだらかな左奥への勾配だ。韓国からアメリカに移住し、芸術で評価されたいと国際的な場で活動しているノラと、韓国で何年も同じ男友達と飲み明かし、今でも両親と共に住んでいるヘソン。ノラはヘソンを”韓国的な男性だ”と表現していたが、逆に自分を韓国人のアイデンティティが薄れていると表現している。映画後半では彼らの住む世界は文字通り変わってしまっており、序盤のシーンから生き方自体を、彼女たちが向かう道によって示唆しているのだ。


それでも子供時代から12年後の24歳の時、オンラインによって再会を果たし、ニューヨークとソウルでやり取りしている時に感じているノラとヘソンの間の愛情は本物だ。この時、二人のどちらかが海を越えて会いにいけば、彼女たちの運命は変わっていたかもしれない。だが海外で成功するという”急な階段”を登っている途中のノラは、しばらくオンラインで会わないという選択を取ることによって、再び彼女たちは疎遠になってしまう。そしてノラはユダヤ系白人男性のアーサーと出会い、結婚することになるのである。本作においては、このアーサーが非常に重要なキャラクターとなっている。それはノラにとってこの男性こそ、未来の象徴であり戻るべき場所だからだ。アーサーはノラが韓国語で話す寝言が分からないことから、韓国語を学ぶような実直な男性だ。

 

 


それどころか、妻の初恋の相手が韓国から訪れると一緒に酒を飲み、ひたすら韓国人の理解できない会話を聞き続けて、二人の親密な空気に耐えている。そしてヘソンに会えてよかったと握手しながら伝えるアーサー。本作においては、普段だと欧米や北欧で蔑ろにされがちなアジア人の立場を、このアーサーが一手に引き受けているのだ。だが彼はその全てを許容する。大人の男として、パートナーを信頼し、人種の壁を乗り越えてノラの言動を全て受け入れるのである。ここからネタバレになるが、やはり本作でもっとも印象的なのはラストシーンだろう。ヘソンをウーバー(タクシー)まで送ると言い出かけるノラと、それを静かに送り出すアーサー。画面の右から左に歩き出す二人は、青いシャッターの前で立ち止まる。ウーバーが来るまで2分だと言うヘソン。そして黙って見つめ合う二人。この2分間の沈黙は完全に二人だけの時間であり、何が起こってもおかしくはない。ここで最後にキスすることも可能なのだ。


だが本作はそうはならない。長い長い2分を経て二人は別れの言葉を交わし、ヘソンはタクシーに乗り込んで左側に去っていく。そしてノラは今来た道を右に”戻って”、その先で待つアーサーと合流する。そして子供の時ヘソンの前でそうしていたように、ノラはアーサーの前で泣くのだ。ノラにとって、これからの人生を一緒に歩むのはアーサーであり、ヘソンとの時間は終わったことを映像的に伝える素晴らしいラストシーンだったと思う。そしてヘソンは独りでタクシーに乗り、自分の人生を進んでいくのである。これは子供時代にタクシーに乗っていたシーンと意図的に被せてあるのだろう。本来時間は一定の速度なのだが、映画という表現においてはそれをコントロールできる。12年の経過をテキストと共に一瞬で表現したかと思えば、2分の沈黙を10分のように感じさせる演出も可能だ。そして、このラストにおけるシークエンスにおいては、ノラの揺れ動く感情と時間経過を”行って戻ってくる”という横移動だけで見事に表現しているのである。動画編集のタイムラインのように左への移動は過去、右への移動は”未来への移動”だからだ。


前述の子供時代の階段シーンと同じく、本作は人物の配置と構図が重要だ。特にメインビジュアルにもなっている、メリーゴーランドのシーンは顕著だろう。遂にニューヨークで再会を果たした二人はメリーゴーランドの前で会話する。子供時代の階段のシーンと同じく左側にヘソン、右側にノラが配置されているのだが、ヘソンはノラへの想いが断ち切れないのに対して、ノラはヘソンの純朴さに惹かれながらもすでに違うステージに立っている。その感情の変化と非可逆性を、この逆時計回りのメリーゴーランドの回転によって表現しているのだ。もう時間は12年前のあの頃には戻せないのである。こういうシーンに込められたひとつひとつの演出意図が、本作を非常に重層的なものにしていると感じるし、監督のセンスを強く感じる。


本作はある意味で、「R18+」作品だと思う。明らかに大人向けに設計されており、解りやすいセリフや大仰な演出をあえて取り去っている為、ある程度の人生経験を経ないと単なる”地味な作品”に見えてしまうかもしれないからだ。本作では「縁(イニョン)」という言葉が繰り返し使われ、タイトルにもなっている「PAST LIVES(前世)」にも、この現世において出会えた人との運命的な縁について描かれている。決して結婚や恋愛の相手だけが縁の全てではないのである。最後に劇伴の素晴らしさについても書きたい。音楽は2000年代に活躍した、NYブルックリン発のインディ・ロックバンド「グリズリー・ベア」のダニエル・ロッセンとクリストファー・ベアが手掛けている。バンドは現在休止状態だが、ダニエル・ロッセンの音楽性が強く出たアンビエントサウンドは、本作の柔和な画面にマッチしていて耳に残る。演技/演出/撮影/音楽と、総合的に高いレベルで融合した大人の恋愛映画の傑作であった。

 

 

8.5点(10点満点)