映画「ランサム 非公式作戦」を観た。
「最後まで行く」「トンネル 闇に鎖(とざ)された男」のキム・ソンフン監督がメガホンをとり、1986年に実際に起きた韓国人外交官の拉致事件に着想を得たポリティカルアクション。ベイルートにて実際に拉致され、21か月後に救出された韓国人外交官というテーマだけを使って、具体的な内容に関してはほとんど映画用に脚色された作品らしい。出演は「哀しき獣」「ベルリンファイル」「お嬢さん」などのハ・ジョンウ、「アシュラ」「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」などのチュ・ジフン、「パシフィック・リム」「クリムゾン・ピーク」のバーン・ゴーマン、「非常宣言」「白頭山大噴火」のイム・ヒョングク、「密輸1970」「ハント」のキム・ジョンスなど。ハ・ジョンウとチュ・ジフンは、キム・ヨンファ監督の2019年日本公開の「神と共に」シリーズでも共演している。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:キム・ソンフン
出演:ハ・ジョンウ、チュ・ジフン、バーン・ゴーマン、イム・ヒョングク、キム・ジョンス
日本公開:2024年
あらすじ
内戦下のベイルートで韓国人外交官が行方不明になった。その事件が忘れ去られた頃、現任の外交官ミンジュンは、消えた外交官が人質として生きているという情報をつかむ。身代金を手にベイルートへと向かったミンジュンは、大金を狙った武装組織に襲われたところを、韓国人のタクシー運転手パンスに助けられる。協力の見返りを求めるパンスと渋々ながらも行動をともにすることになったミンジュンは、戦火のベイルートを突き進んでいく。果たして二人は外交官を救出することができるのか?
感想&解説
本作の監督キム・ソンフンは、「最後まで行く」「トンネル 闇に鎖(とざ)された男」と2作品続けて傑作を撮った稀有なクリエイターだと思う。2015年日本公開のデビュー作「最後まで行く」は岡田准一&綾野剛共演で日本版リメイクも作られたが、イ・ソンギュン主演の韓国版でも冒頭から、主人公をグイグイと悲惨な状況に追い込んでいきつつ、物語の展開に目が離せないという秀逸なサスペンスに仕上げていたし、「トンネル 闇に鎖(とざ)された男」もトンネルが崩落し、生き埋めになってしまったサラリーマンのサバイバルを描いたエンタメ作品だった。どちらも究極に追い詰められたシリアスな男たちを描きながらも、どこまでも”娯楽性”を追求した作品だったと思う。そんなキム・ソンフン監督の最新作が公開になると聞いて劇場に駆け付けたが、まず公開館数の少なさには驚かされる。作品クオリティに対してあまりに上映館が少なすぎて残念だ。
さて本作は映画冒頭に表示されるように、1986年に実際に起きた韓国人外交官の拉致事件に着想を得たフィクション作品だ。ベイルートにて実際に拉致され、21か月後に救出された韓国人外交官にまつわる事件という事実だけを設定として使い、具体的なキャラクターや”非公式作戦”の具体的な内容に関しては、ほとんど映画用に脚色された作品らしい。よってハ・ジョンウ演じるイ・ミンジュンもチュ・ジフン演じるタクシー運転手も完全に空想のキャラクターなのだ。ただしここからネタバレになるが、作品の終盤に描かれているレバノン武装組織に対して、土壇場で韓国政府が身代金を払わなかったという判断については、史実に基づいているようだ。映画内ではやっと救出したオ・ジェソク外交官を無事に国外に脱出させる為、イ・ミンジュンが身代金の振り込みを電話で韓国政府に依頼する姿が描かれる。だが韓国政府は間近に大統領選とソウルオリンピックを控えていることもあり、テロリストと交渉した結果の救出失敗を恐れて、お金を払わないと宣言されてしまうのだ。そのせいでイ・ミンジュンたちは窮地に陥るのだが、これは実際の事件でも韓国政府の安全企画部が、後払い金を払わなかったという史実から描いている。
結果、映画の中でも描かれていたが、ジュネーブにいた画商の仲介人が残金を払ったことで何とか事なきを得たらしいが、この身代金の踏み倒しを行っていたのは、最近でも映画「ソウルの春」で描かれていた”粛軍クーデター”を起こして大統領まで昇りつめた、全斗煥(チョン・ドゥファン)政府だ。結局、この250万はいまだ韓国政府から支払われることはなく、人質救出のためにジュネーブの仲介人を紹介したアメリカ情報機関の”関係者”によって、後年この踏み倒しの事実が暴露されている。そしてその暴露記事によって本作のシナリオが作られたというのだから、この映画の重要な骨格部分はかなり史実に基づいていると言えるだろう。それにしても70~80年の韓国近現代史を描いた作品群は、その内幕が分かってくると本当に面白い。本作は大統領選挙とソウルオリンピックを控えた、1988年直前の1986~1987年という韓国民主化前を舞台にした、政治色の強いポリティカルサスペンスだろう。
序盤の展開としては、レバノンで拉致された外交官の事件が忘れ去られた頃、現任の外交官ミンジュンがたまたま省内にかかってきた電話に出ると、関係者しか知らないほずの暗号が受話器から聴こえてくる。そしてそれは、誘拐された外交官が人質として生きていることを知らせる暗号だったことから大きく物語は走り出していくのだが、まずこの冒頭に登場するミンジュンは、後輩に出世を先越されたことで祝い花に殺虫剤を撒くわ、アメリカ外交官になることを条件にして外交官の救出を引き受けるわと、まったく好感の持てないキャラクターとして登場する。そしてそれはチュ・ジフン演じるキム・パンスも同じで、彼は詐欺師まがいのくせ者であり、金の為なら裏切りもいとわないタクシー運転手として描かれる。中盤でミンジュンの持つ身代金を盗んで逃げるシーンは、まさにその筆頭だろう。そんな二人の冒険だが旅が終わるころには、彼らは自己犠牲を払ってでも他者を救おうとする英雄になる。特に自分の危険も顧みず、キム・パンスを韓国に送るために国連の飛行機に乗せるミンジュンには心を揺さぶられるが、最初は卑近な男たちだった主人公の成長譚でもあるのだ。
そしてこの題材を、エンタメ色の強いキム・ソンフン監督が最新作のテーマとして選んだのが面白い。ポリティカル色の強い作品ながら、アクション部分だけを観れば、やはりキム・ソンフン監督らしさが各所に刻印されているからだ。この監督は細かくて小さなサスペンスの積み重ねで観客にスリルを与えるのが得意な監督だと思うが、特に「最後までいく」での死体安置所の通風孔で、オモチャの兵隊をリモコン操作するシーンでの電波が届くか届かないか?の場面や、冒頭の検問所におけるトランクを開けられそうになる駆け引きなど、俳優の演技の巧さと細かい演出が利いていて本当にドキドキさせられる。本作「ランサム」においても、深夜の荒涼地帯で盗まれた身代金を巡るカーチェイス中に車が故障してどうなるか?と思えば、突然現れた野犬に追いかけられたり、終盤にビルの間のハシゴをおんぶしながら渡るようなシーンを、これでもかと派手なアクションシーンのように演出したりする。実は小さく地味なアクションシーンを、スリリングに演出するのが上手な監督で感心させられるのだ。
終盤のカーチェイスシーンは、「モガディシュ 脱出までの14日間」を思い出したし、細い道を車で走っていると途中で引っかかって動けなくなるシーンも、他のアクション映画で見慣れたシークエンスだが、主人公が凄腕エージェントではない分ハラハラさせられる。また身体に結ばれた紐で宙ずりになる場面は、ブライアン・デ・パルマの初代「ミッション:インポッシブル」へのオマージュのようで微笑ましい。展開としてはシリアスなポリティカルアクションなのだが、ハ・ジョンウとチュ・ジフンの演技がコミカルな分、アクションシーンが重くなり過ぎないバランスが保たれているのだ。「ランサム=身代金」ということで、政府からも見放された二人の男たちが、最後は力を合わせて立ち向かうバディムービーになっていく本作。実際にあった外交官誘拐事件という重いテーマに対して、キム・ソンフン監督らしい軽妙で娯楽性の高いアクションシーンが追加されることで、丁度良いバランスに着地していると思う。
個人的には「最後まで行く」「トンネル 闇に鎖(とざ)された男」に比べると、特にアクションシーンの既視感が強かった印象だが、それでも十分に面白い娯楽映画に仕上がっていた。この事件の全容が韓国で公式に情報開示されるのは2047年だそうだが、過去の政府が行った非人道的な判断を描く、こういう作品が定期的に作られる韓国映画界は健全だと感じる。絶対に観て損はない一作だろう。
7.0点(10点満点)