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映画「EO イーオー」ネタバレ考察&解説 あの赤いシーンや驚きの”変形”シーンとは何なのか?イエジー・スコリモフスキによる、ロバ・ロードムービー!

「EO イーオー」を観た。

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「早春」「アンナと過ごした4日間」「エッセンシャル・キリング」などで知られる、ポーランドの巨匠イエジー・スコリモフスキ監督が手掛けた、ロバを主役としたロードムービー。2015年「イレブン・ミニッツ」以来、7年ぶりに長編映画のメガホンを取っている。出演は、タコ/マリエッタ/オラ/ロッコ/メラ/エットーレの6匹のロバを中心に、ポーランド人俳優のサンドラ・ジマルスカ&マテウシュ・コシチュキェビチのほか、「ザ・キャビン 監禁デスゲーム」のロレンツォ・ズルゾロ、「エル ELLE」のイザベル・ユペールなど。第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門では、審査員賞と作曲賞の2部門を受賞したほか、第95回アカデミー国際長編映画賞にもノミネートされた作品だ。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。


監督:イエジー・スコリモフスキ

出演:サンドラ・ジマルスカ、マテウシュ・コシチュキェビチ、ロレンツォ・ズルゾロ、イザベル・ユペール

日本公開:2023年

 

あらすじ

愁いを帯びたまなざしと溢れる好奇心を持つ灰色のロバ”EO”は、心優しい女性カサンドラと共にサーカスで幸せに暮らしていた。しかしサーカス団を離れることを余儀なくされ、ポーランドからイタリアへと放浪の旅に出る。その道中で遭遇したサッカーチームや若いイタリア人司祭、伯爵未亡人らさまざまな善人や悪人との出会いを通し、EOは人間社会の温かさや不条理さを経験していく。

 

 

感想&解説

イエジー・スコリモフスキ監督の7年ぶりの新作であり、キャリア初のアカデミー国際長編映画賞ノミネート作品ということで、さっそく鑑賞。イエジー・スコリモフスキ監督作としては、個人的にジェーン・アッシャーとジョン・モルダー・ブラウンの共演作であり、日本でも2018年にデジタルリバイバル版が公開された、1972年日本公開「早春」が鮮烈な印象を残す傑作だったが、前作「イレブン・ミニッツ」が2016年日本公開だったことを考えると、寡作な監督だと言えるだろう。本作はイエジー・スコリモフスキ監督が「唯一、人生で涙を流した映画」と語っている、ロベール・ブレッソン監督による1966年「バルタザールどこへ行く」に影響されて作られた約7年ぶりの新作だ。「バルタザールどこへ行く」はロバの”バルタザール”が、次々と人間のエゴによって酷い扱いを受ける様子を描きつつ、ロバの視線を通して人間社会の過酷さと残酷さを浮かび上がらせる、結末も救いのないダークな一作だった。特にセリフの少なさが印象的だったが、ロバを主人公にしている点以外にもそのあたりが、本作「EO イーオー」も影響を受けている点なのだと思う。

「EO イーオー」とは本作の主人公ロバの名前なのだが、実際の撮影には6頭のロバを使ったらしい。それぞれの性格の違いに合わせて、撮影を進めていったことが監督の口から語られているが、本作のロバたちはしっかりと場面に合わせて”演技”していて驚かされる。おそらくCGはまったく使われていないだろうから、さぞかし撮影は大変だったであろう。本作は、このロバである”EO”がさまざまな人間との出会いと別れを繰り返し、旅を続けていく様子を描いていく。もちろん「ベイブ」のように”EO”は人間の言葉でしゃべったりはしないし、人間同士が深く交流するような場面もほとんどないので、映画の大部分はロバや馬たち動物の行動を見つめることになる。ロバの眼や毛並みの超クローズアップがたびたびインサートされ、この作品における主人公は人間ではなく、ロバの”EO”であることが強く示唆されるのである。よって本作には、いわゆる”ストーリー性”は希薄だ。”EO”はほとんど人間の都合だけで、行先が振り回されるので、観客の視点もそれに追従するような構成になっている。


冒頭、サーカスのステージで赤い服の女性カサンドラとパフォーマンスを終えたEO。カサンドラはEOを大切に扱ってくれる存在だったが、他の団員からは家畜のような扱いを受けていることが描かれる。その後、サーカスの動物虐待から解放を求める活動家のデモもありサーカスが閉鎖となってしまい、EOは新しく完成した馬の厩舎に連れていかれる。だがそこでも、EOは荷物を引く作業を強いられ、サーカス時代と大きく待遇は変わらない。さらに馬たちは綺麗に洗われるが、ロバであるEOは人間に大事にされることもなく、突発的にトロフィーの棚を倒してしまったEOは、今度は田舎の農場に引き渡されることになる。そんなある夜、なんとサーカスで一緒だったカサンドラがEOを訪ねてきてくれ、誕生日のキャロットマフィンをもらうことで、EOは柵を壊して農場を飛び出していく。ここからネタバレになるが、その後、街に迷いこんでしまったEOはまたしても捕獲され、サッカーの試合に負けたフーリガンの腹いせに殴打されたり、自分を運んでいたトラックドライバーが行きずりで殺されたり、義母と恋人関係にある司祭の家に連れていかれたりと人間に振り回されながら、旅を続ける。そして巨大ダムから遂に屠殺工場へと辿り着いてしまい、家畜を殺すボルトガンの音と共にEOの旅は終わる。

 

 


基本的に本作はロバによるロードムービーなのだが、本作では何度か意味のわからないカットが挟み込まれる。特に「赤」が印象的に使われており、冒頭のカサンドラとのシーンから始まり、厩舎で馬が柵の外側を回るショットやEOの脳内ビジョンと思われるシーンなどで、この「赤いシーン」は頻発する。これはEOが恐怖を感じていたり、もしくはこれから何か良くないこと、危険な事が起こる前の前兆のような意図で使用された演出だろう。またEOが暴力を振るわれた後に、いきなりロボットのように変形するシーンは、もちろん実際に起こっている場面ではないだろうが、EOの脳内でのビジョンを映像化しているのではないだろうか。本作ではEOを動物のロバとして描きつつ、実際には”小さな子供”のように描いた演出が多いと感じる。突然に別れによって離れ離れになったカサンドラを回想したようなショットが挟みこまれたり、丘の上から空中を飛ぶようなドローンショット、そして先ほどのロボット変形シーンなどはその最たるものだろう。


ロバを人間の子供のような無垢な存在として描きつつも、まるで全てを超越した”聖なる存在”としても描くため、理不尽な暴力に晒されてもまるでロボットのように復活できるという、EOの脳内を映像化したショットが突然挟み込まれたりと、観客が大いに戸惑う本作。だが劇中のロバの可愛さと次の行先がまったく分からないという構成のお陰で、スクリーンから目が離せなくなる展開だからこそ、ラストの無情な展開には暗澹たる気持ちにさせられる。風力発電のプロペラに直撃して死ぬ鳥のショットと、ダムの水が逆流するシークエンスによって、強烈に”あの世”を想起させられる場面が続き、EOは運ばれる馬や豚や牛に交じって、家畜として人間に奉仕して上で死ぬという、避けられない流れに自ら身を投じているようにさえ見える。そして例の殺傷音が響いて、スクリーンが暗転しエンドクレジットが始まるのである。なんという苦い後味だろう。


さらに突然のイザベル・ユペールの正面ショットにも驚かされた。ほとんど彼女の出番はないのだが、そもそもの役者としての存在感から大きな印象を残すのは監督の思惑通りなのだと思うが、ここにイザベル・ユペールという大物をキャスティングするあたり、イエジー・スコリモフスキのしたり顔が透けるようだ。それにしてもサーカスにいたEOに暴力的な行動を取る男性や、女性に食べ物を恵んであげたにも関わらず、軽口のせいで悲惨な末路を辿るトラック運転手、サッカー試合の祝賀会での酔っ払いたちの行動など、物言わぬロバに比べて人間たちの取る行動の愚かな事と言ったらない。特に前述のイザベル・ユペール演じる義母と恋人関係にある、ヴィトーという司祭の存在も含めて、スコリモフスキの宗教観も感じられて興味深い。84歳の映画監督が、今回ロバを主人公にした作品を撮ったのも、何か彼なりの必然があった気がしてしまう。もはや監督は人間の善意や良心を、作品の中心に置くことに興味を失っているのかもしれないと勘ぐってしまった位だ。


「エッセンシャル・キリング」で主演のヴィンセント・ギャロは、一言も言葉を発しない役柄を演じていたが、本作「EO イーオー」もとにかく”自由な映画”だったと思う。いわゆる娯楽映画としての面白さとはかけ離れているが、イエジー・スコリモフスキ監督ならではの世界観が堪能できるのは間違いない。上映時間88分とかなりタイトな作品だし、映像的な挑戦も多いためスクリーンに惹きつけられるだろう。ただ動物が酷い目に遭う映画であることは否めないので、そこにまったく耐性の無い方には辛い作品かもしれない。またアート映画特有の、”感覚で楽しむ作風”が苦手だと評価が下がる作品だと思う。とにかく解釈の幅が広く、観る人によっても感想や見解が変わる作品だと思うので、いろいろな方の意見を聞いてみたくなる作品だった。次のイエジー・スコリモフスキ監督の新作が観れる日が楽しみだ

 

 

7.0点(10点満点)