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映画「エンゼル・ハート」ネタバレ感想&解説 解説!あの”ゆで卵”とはなんなのか?宗教色の強いダークな世界観!オカルトスリラーの傑作!

エンゼル・ハート」を観た。

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ウィリアム・ヒョーツバーグの小説「堕ちる天使」を原作に、名匠アラン・パーカー監督が映画化したオカルト・ホラー。先日、たまたまケビン・スペイシー主演の「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」を観返したところだったので、個人的にアラン・パーカー監督作品に惹かれている時期なのかもしれない。1988年「ミシシッピー・バーニング」も早くブルーレイ化してほしいものだ。本作は80年代後半の最も輝いていた時期のミッキー・ロークが主演しており、そこが堪能できるのも大きな魅力だろう。共演はロバート・デ・ニーロシャーロット・ランプリングなど。1987年の作品という事で今回ブルーレイで観返したのだが、90年代以降のスリラージャンル作品に大きく影響を与えた作品なのではと改めて思った。今回もネタバレあり感想を書きたい。


監督:アラン・パーカー

出演:ミッキー・ロークロバート・デ・ニーロリサ・ボネット、シャーロット・ランプリング

日本公開:1987年

 

あらすじ

謎の富豪ルイス・サイファーからの依頼で、失踪した人気歌手ジョニーの行方を追うブルックリンの私立探偵ハリー・エンゼル。捜査を開始するハリーだったが、彼の行く先々では目を撃ち抜かれたり、心臓をえぐられたりといった奇怪な殺人が続発し、ジョニーの捜索は難航する。だが手がかりを元にルイジアナまで渡り、徐々に事件の行方を手繰り寄せていくハリーを待っていた真実は、思いもかけない結末だった。

 

 

感想&解説

久しぶりに観て、かなり印象が変わった作品だ。正直、大学生の時にレンタルビデオで観た時はあまりパッとしないイメージだったが、改めての鑑賞を通じてこれほど美しい映画だったとはと驚いた。アラン・パーカー監督の美意識がそこかしこに貫かれており、「悪魔崇拝」という作品のテーマから浮かび上がるダークでオカルティックな雰囲気がしっかりフィルムに焼き付いている。アラン・パーカーいわく、本作はカラー作品ではあるがモノクロ映画のように、なるべく色を抜いて撮影したいと話していたらしい。そのコンセプトは見事に成功していると思う。アラン・パーカーはCM界出身で、映像には特にこだわる監督だが、この作品では暗がりの撮り方がうまく、影を効果に使うことで映画全体のトーンを明示していく。当時の日本における同時上映作品は、ジョン・マクティアナン監督の「プレデター」だったが、本作は80年代ブロックバスター映画とは一線を画す映像美に仕上がっていると思う。

繰り返される回転する換気ファンのショット、古いエレベーターの上下運動、鏡のモチーフ、踊る少年の足元、滴り落ちる大量の血痕、意味ありげで不穏なショットが断続的に繰り返され、その連なりがこの作品のダークな世界観を作っている。また主演のミッキー・ロークがとても艶っぽい。私立探偵という役柄の為、病院の女性看護師から情報を聞き出すシーンがあるのだが、その時の「自分の男としての魅力」を知りながら、それを使いこなしている佇まいが自然でカッコいいのである。そして映画が後半となり真相に近づいていくにつれて、彼の精神が徐々に壊れていき、汗だくで走り回りながら葛藤する様も、前半との良いコントラストになっている。2008年の「レスラー」における寂れ切ったミッキー・ロークも悪くなかったが、本作にはこの時期独特の色気が炸裂している。


またエピファニーという少女を演じたリサ・ボネットという女優も素晴らしい。あまり他の作品で見ない女優さんだったので調べてみたが、この「エンゼル・ハート」の公開年である1987年に、アーティストのレニー・クラビッツと結婚して一児が誕生したものの、その後離婚し、今はあの「アクアマン」で主演したジェイソン・モモアと再婚しているらしい。役柄としては17歳にして2歳児の母親、さらにブードゥー教を崇拝しており、父親と近親相姦してしまうというとんでもない役を体当たりで演じているのだが、ミッキー・ロークを誘惑するシーンの官能的な魅力は、当時まだ20歳前とは思えないほど、魅惑的である。またここからネタバレになるが、「ルイス・サイファー=ルシファー」という悪魔そのものを演じる、ロバート・デ・ニーロの存在感はいわずもがなだ。特に中盤のゆで卵を食べるシーンは、いい意味で気持ち悪さ満点で最高である。「ある宗教では卵は魂のシンボルだ」と言い放ち、そのゆで卵を食べてしまうこの男の正体を”画的”に表現しているのだろう。彼の爪が長く手入れされているのも、典型的な悪魔の容姿を示唆しているのだと思う。

 

 


映画のストーリーとしては、デニーロ演じる悪魔ルシファーに行方を捜せと依頼されていた「ジョニー」とは、ミッキー・ローク演じる主人公ハリー・エンゼルその人だったという展開で、彼は歌手としての名声を得るために悪魔と契約したが、その契約から逃れる為に若き軍人の心臓を食べて他人に乗り移っていたのだという、オカルティックなストーリーだ。要するに、ハリー・エンゼルとはジョニーが乗り移った肉体であり、各所で真相を知る者を殺して回っていたのは自分だったというストーリーなのだが、最後にフラッシュバックでハリーが殺人を犯している真相シーンだけを見せる手法は、今や「ソウ」シリーズなどでもお馴染みだがやはり小気味良いし、少女エピファニーの子供もまた悪魔の血を引いているのだというオチも、子供の目の色を変える事で恐怖感を出しておりインパクト大だ。いわゆるドンデン返しモノ系譜の作品だと言えるだろう。


本作は悪魔崇拝や乗り移りという日本ではなじみの薄い、宗教色の強いテーマである為、「エクソシスト」や「オーメン」などのオカルトホラー作品と比べると、恐怖描写そのものとしては大人しいと言えるかもしれない。いわゆる画として派手な演出で怖がらせる事に主軸を置いていない作品の為、正直地味に映るからだ。日本では公開当時、ストーリーの意味がよく分からなかったという声も多かったようだが、キリスト教圏であるアメリカでは、原作自体が「悪魔のバイブル」と呼ばれ発売禁止運動まで起きているほどの為、本作「エンゼル・ハート」は観客に相当なショックを与えたようだ。


今観ると、主人公がズブズブと闇の深みにハマっていく「フィルムノワール」としての側面が強く、印象的な雨の使い方も含めて、デヴィッド・フィンチャー監督95年の傑作「セブン」を彷彿とさせる画作りだったと思う。意外と本作は、後年のサスペンススリラージャンルの作品に影響を与えている気がする。エンドクレジット中のラストシーンで、「ハリー=ジョニー」がエレベーターに乗り下へ下へ向かうイメージショットは、ルシファーの導きにより彼が地獄へと向かっている様子を表現していると思うが、こういったシーンになんの説明もなく、いきなり映画が終わるという編集も粋である。アラン・パーカーの作り込まれた世界観と、輝いていた時代のミッキー・ロークが観れたという意味では、久しぶりに鑑賞して良かったと思える快作であった。

 

 


採点:7.5点(10点満点)