「Coda コーダ あいのうた」を観た。
「ブリムストーン」や「ゴーストランドの惨劇」のエミリア・ジョーンズが、家族の中で1人だけ耳が聞こえるという難しい役どころの主役ルビー役を演じ、「愛は静けさの中に」でオスカーを獲ったマーリー・マトリン、「マンダロリアン」のトロイ・コッツァーなど、実際に聴覚障害を持つ俳優たちがルビーの家族を演じているヒューマンドラマ。トロイ・コッツァーは、本作で男性の聾者の俳優では初めてオスカー候補になっている。監督は「タルーラ 彼女たちの事情」のシアン・ヘダーで、本作が長編二作目である。2022年第79回ゴールデングローブ賞では最優秀作品賞にノミネートされたほか、第94回アカデミー賞でも作品賞/助演男優賞/脚色賞の3部門にノミネートされ、批評家、観客ともに非常に高い評価を受けている。2021年に開催されたサンダンス映画祭では、観客賞をはじめ“史上最多”の4冠に輝き、映画祭史上最⾼額となる約26億円で落札されたことも話題になっていた。2014年製作のフランス映画「エール!」のハリウッドリメイクでもある作品だが、今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:シアン・ヘダー
出演:エミリア・ジョーンズ、マーリー・マトリン、トロイ・コッツァー、ダニエル・デュラント、エウヘニオ・デルベス
日本公開:2022年
あらすじ
海の町で仲の良い両親と兄と暮らす高校生のルビーは、家族の中で1人だけ耳が聞こえるという環境で育つ。幼い頃から家族の耳となり通訳をこなすルビーは、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、合唱クラブに入部したルビーの歌の才能に気づいた顧問の先生は、都会の名門音楽大学の受験を強く勧めるが、 ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられずにいた。また漁師という家業の方が大事だと大反対する両親に、ルビーは自分の夢よりも家族の助けを続けることを決意するのだが。
感想&解説
今年もアカデミー賞ノミネート作品が発表になった。日本勢からは濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」がノミネートされ大注目されているが、他にも非常にクオリティの高いリメイクだった、スティーブン・スピルバーグ監督「ウエスト・サイド・ストーリー」、大本命と名高いジェーン・カンピオン監督「パワー・オブ・ザ・ドッグ」、アダム・マッケイ監督の傑作風刺コメディ「ドント・ルック・アップ」、ギレルモ・デル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター」以来の監督作「ナイトメア・アリー」、アカデミー7部門ノミネートのケネス・ブラナー監督の自伝的映画「ベルファスト」など、どれも必見の作品が名を連ねている。そんなノミネート作の一本である「Coda コーダ あいのうた」も、日本では1月に公開になっており、気にはなりつつもなかなか観れずにいたのだが、今回やっと鑑賞。タイトルの「CODA(コーダ)」とは、「Children of Deaf Adults=“耳の聴こえない両親に育てられた子ども”」のことらしく、個人的には本作で初めて知った言葉なのだが、映画を観ると健聴者である子供への負担は予想以上に重く、これは社会的な仕組みで解決すべき問題だと強く感じる。そういう意味でもこういうテーマの作品が制作される意義は大きいし、多くの人に観てもらいたい作品だ。
まず結論から言ってしまうと、最高の映画だった。そもそも個人的に”音楽テーマ”の作品には弱いのだが、それでもこれだけ各キャラクターの感情移入させられ、泣かされてしまっては貶しようが無い。まず役者陣が全員素晴らしい。高校生ルビーを演じるエミリア・ジョーンズは、本作で手話ができて歌の才能があるという非常にハードルの高い役柄であるにもかかわらず、まるで昔から手話で家族と会話してきたような見事な手つきを披露しており、手話の機能性だけでなく”美しさ”も表現していたと思う。それが特に顕著なシーンは、音楽教師に「歌を歌っている時の気持ちは?」と質問されたときに、彼女が「言葉ではうまく表現できない」と手話を使って伝える場面だろう。もちろん、このシーンで彼女の行う手話に字幕が付くわけではないので、僕を含んだ観客のほとんどは手話の表現している「単語」自体は理解できないと思うが、彼女が表現している”感情”は見事に伝わってくる。このシーンだけで、ルビーが普段音楽にどんな感情を載せて歌っているのか?どんなに大事にしているのか?が伝わる繊細で美しい場面だったと思う。
他にも母親ジャッキー役のマーリー・マトリンの娘を愛しているのだけど、どうしても耳が聴こえないというハンディのために利己的になり、心無い一言を言ってしまうというキャラクターや、不器用ながらも妹の将来を本気で考えている兄レオ役のダニエル・デュラント、言葉は荒いのだがルビーが持つ真の才能を見抜き、彼女のメンターとして活躍する教師役のエウヘニオ・デルベスなど、それほど有名ではないし大スターではないかもしれないが、本当に魅力的な役者たちがスクリーンを彩る。また音楽映画の大傑作「シング・ストリート 未来へのうた」のフェルディア・ウォルシュ=ピーロが出演しているのも、嬉しいサプライズだった。
母親がルビーの部屋で抱き合う場面や、兄が家族のために自分の人生を犠牲にするなと怒る浜辺のシーン、ヴィラロボス教師がルビーのバークリー音大への試験中、彼女の歌唱を聞きわざとピアノをミスタッチしてやり直す場面など、彼らにはそれぞれ記憶に残る名シーンが用意されており、本作を重層的な映画にしている。そして、なんと言ってもアカデミー助演男優賞にもノミネートされた、父親フランク役トロイ・コッツァーの演技は特に印象的だろう。一見、UKロックアーティストのトム・ヨークを思わせる風貌だが、特に終盤に彼が聴こえない耳で娘の歌の才能を知り、家族という檻の中に閉じ込めていてはいけないと気づく一連の場面には、涙なくしては観られない。
合唱クラブの発表会で母親からプレゼントされた赤いドレスを身にまとい、マイルズとルビーがデュエットする場面。マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの「You're All I Need To Get By」を二人は歌うのだが、途中から聾者である父親の状態を観客は体験し、まったくの無音になるという演出がある。そこで父親のフランクは、ルビーの歌声を聴いている人たちの反応に気付く。うっとりと声に聞き惚れている人、思わず涙をぬぐう人などその場にいるオーディエンスの表情から、娘がどれほど非凡な才能を持っているかに初めて気づくシーンなのだが、そのあと星空の下で「俺のために歌ってくれ」とフランクはルビーにリクエストする。そして、歌っている娘の顔を喉に触れることで、改めて彼女の音楽を”体験”するのだ。耳が聴こえない父親にもルビーの歌が伝わったという名場面なのだが、ここは演出的に見事な流れでフランクの気持ちが強く伝わってくる。彼女を失うことでの稼業に対しての不安、それでも才能を持ったルビーに自分の人生を生きてほしいという父親としての気持ち、そして遠くに娘を行かせてしまうという寂しさ、これらの一連の感情がすべてトロイ・コッツァーの表情から感じられる素晴らしい演技であった。
ちなみにマーヴィン・ゲイ&タミー・テレルは「Ain’t No Mountain High Enough」という、ジェームズ・ガン監督「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」でも特徴的に使われていた楽曲を歌っていた人気アーティストだが、当時人気絶頂だったタミー・テレルが突然のガンに冒されてしまい、彼女の人生最後のパフォーマンスにマーヴィン・ゲイとのデュエットで歌った曲が、マイルズとルビーが歌った「You're All I Need To Get By」であったことも記しておきたい。劇中で二回登場する二人が崖から飛び込むシーンは、「運命をゆだねる」という意味で過去の数々の映画にも登場する場面だが、一度目はこれをきっかけにして二人は仲直りしキスをする。そして二回目はボストンに行くことが決まったルビーと地元に残るマイルズが、再会の約束をしたキスをし崖から飛び込む。二人がデュエットで歌った曲が、この「You're All I Need To Get By」だということが、これから遠距離恋愛となるマイルズとルビーのほろ苦い未来を予感させる楽曲という意味で、感慨深い選曲だと感じる。
そして本作を代表するもう一曲は、ジョニ・ミッチェルの1969年「Both Sides, Now(日本タイトル:青春の光と影)」だ。今までも数々のアーティストにカバーされてきた名曲なのだが、本作でもラストの最もエモーショナルなシーンで使われている。オーディションの場面で彼女が手話をしながら、家族に歌いかけるというシーンなのだが、それにしてもこの原題である「Both Sides, Now(今、二つの立場から)」というタイトルほど、本作のテーマを明確に表現している曲は無いだろう。大きなテーマとして、「健聴者と聾唖者」という二つの立場を描いた作品だからだ。そして本作が優れているのは、それでも一番大事なのは「相手を思いやり愛することだ」というシンプルで力強いメッセージを伝えてくる点だ。車で出発しかけたルビーが突然車を止めて、家族の元に走り寄り4人が抱き合うシーンの美しさには何の説明も要らないだろう。特に驚くような展開がある訳でもない、基本的にはシンプルなストーリーながら、間違いなく映画的な快感に溢れた傑作だと思う。ただ「PG12」というレーティングなのは、下ネタ&性描写が意外と多い作品だからかもしれない。
ルビーの部屋にイギリスのバンド「ザ・クークス」のポスターが貼ってあったし、普通にスマホで出会い系サイトが使われていることもあり現代が舞台なのだろうが、使われている楽曲はデヴィッド・ボウイの「STARMAN」やシャッグス「My Pal Foot Foot」など、とにかく60~70年代の楽曲ばかり。特に目覚ましにザ・クラッシュ「I Fought the Law」をかける場面には、「どんな17歳なんだ」と笑ってしまった。ただ上記のマーヴィン・ゲイやジョニ・ミッチェルにしても、これらの楽曲の美しさにはあらためて驚かされる。シアン・ヘダー監督の前作も観てみたいと思ったし、これからも注目していきたい作り手だ。それにしても改めて音楽が好きになる作品で、個人的にはこれからの人生でも大事な一作になりそうである。
9.0点(10点満点)