映画「満ち足りた家族」を観た。

「八月のクリスマス」「四月の雪」「危険な関係」などの韓国の名匠ホ・ジノ監督による、ある弁護士と医者という価値観の違う兄弟家族に起こった悲劇を描いたサスペンス映画。出演は「シルミド SILMIDO」「ペパーミント・キャンディー」「オアシス」のソル・ギョング、「ブラザーフッド」「泣く男」などを経て約5年ぶりの映画出演となったチャン・ドンゴン、「ユンヒへ」「THE MOON」のキム・ヒエ、「アベンジャーズ エイジオブウルトロン」「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」とハリウッド映画でも活躍するクローディア・キムなど。2023年のトロント国際映画祭でワールドプレミアが開催され、約1年間で20前後の映画祭に入選するという快挙を達成した作品だ。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ホ・ジノ
出演:ソル・ギョング、チャン・ドンゴン、キム・ヒエ、クローディア・キム、ホン・イェジ
日本公開:2025年
あらすじ
弁護士の兄ジェワンと小児科医の弟ジェギュ。ジュワンは道徳よりも物質的な利益を優先し、年下の2人目の妻ジス、10代の娘らと豪華なマンションに暮らしている。一方、常に道徳的で良心的が信条の弟のジェギュは年長の妻ユンギョンと10代の息子と暮らし、痴呆気味になった母の介護にも献身的だ。兄弟でありながら正反対な信念を持つ2人は、それぞれの妻とともに4人で月に一回高級レストランの個室でディナーをともにしている。あるディナーの夜、事件が発生した。この事件により、4人は家族に関するある秘密に直面することとなる。
感想&解説
ホ・ジノ監督は韓国恋愛映画の名手というイメージだが、今回はサスペンス映画かつ、ソル・ギョング&チャン・ドンゴンの主演作ということで劇場鑑賞。結果、演出と脚本の巧さに舌を巻く快作だったと思う。いわゆる”人間”がしっかり描けているので、各キャラクターが多面的で魅力的なのだ。最初に設定された人物像から物語の変化に合わせて様々な顔を見せていき、最後は思わぬ地点まで連れていかれるのだが、これはやはり役者が圧倒的に巧いためだろう。2組の夫婦を演じているソル・ギョング、チャン・ドンゴン、キム・ヒエ、クローディア・キムはそれぞれ完璧に自分の役どころを表現している。また今作では弁護士の兄ジェワンの娘ヘユンを演じたホン・イェジと、医者ジェギュの息子を演じたキム・ジョンチョルの存在も大きく、全員が重要な存在になっていると思う。
本作「満ち足りた家族」の原作は、2009年のオランダ小説「冷たい晩餐」で、これまでもオランダ、イタリア、アメリカで映画化されて今回の韓国版は4作目の映画化作品らしい。それだけこの映画で描かれている事案は世界中の普遍的なテーマなのだろうが、この韓国版で原作から変更された要素もある。まず弁護士と医師という設定は原作にはないし、子供たちが大学受験を控えているという設定も今回の追加要素だが、これは意図的に監督が描きたいことがあった為の追加なのだろう。だが通して今作を鑑賞すると、まるで本作オリジナルのストーリーなのかと思うくらいに、作品のメッセージが伝わってくる。今回追加された設定が、映画の骨格を更に強くしているからだ。
ソル・ギョング演じる兄ジェワンは優秀な弁護士であり、世間の道徳よりも仕事としての利益や法律を優先して生きてきた男だ。冒頭から、明らかに意図的に自動車事故を起こした殺人犯の弁護も引き受ける。再婚した妻ジス、娘ヘユンと共に高級マンションに住み、何不自由ない生活を送っている。一方でチャン・ドンゴン演じる医者として働く弟ジェギュは、道徳的であることを信念に生きている。年上の妻ユンギョンは義母の介護で疲れ果てているが、夫婦ともにボランティア活動にも精を出し、10代の息子と共に地に足のついた生活をしている。真逆の人生を歩む兄弟は、それぞれの妻を伴って月に1回高級レストランの個室でディナーをしながら、母親の看護の話などを話し合うのだが、やはり考え方の違う二組の家族の会話はぎこちない。だがあるディナーが行われた夜、家に残してきた子供たちがパーティに出かけ夜遅くに帰宅してきたこと、そしてある衝撃的な動画がニュースを賑わせたことから、この二組の親の苦難が始まっていく。
ここからネタバレになるが、まず序盤から本作はミスリードによって観客を惑わしてくる。兄ジェワンのファーストカットであるイノシシ狩りをしてトドメを刺すシーンなどは、彼の残虐なイメージを植え付けるのに一役買っているし、自動車事故の犯人に対して、「一旦バックしているのは、被害者を迂回して避けようと思ったんですね?」などと示唆する場面も、彼が世間的な正義感よりも弁護士としての”職業倫理”を優先させる男だと感じさせる。同時に弟ジェギュは、同じ事故で大ケガをした子供を必死に救おうとする姿から、彼もまた命を救う職業に就く身として誠実に生きている男だと描く。同じ事故の加害者と被害者に対する対応の差を描くことで、彼らのキャラクターと考え方を明確にしているのだろうが、これはあくまでも”仕事”を通じての彼らの姿勢であり、深層にある”人間の本性”とはまた別であることが分かってくる。
ジェギュの息子がてんとう虫を潰すシーンや、子供たちが自動車動画の暴力を楽しそうに観るシーン、自分の息子に手を挙げそうになっている場面でジェギュの母親が「あの子は残虐なところがある」と告げるシーン、レストラン前でジェワンの車が急停車して「今のが意図的だと証明できるか?」と言うシーン、些細で地味なシーンのすべてがラストへの伏線になっており、セリフ回しも含めて唸らされる。そして本作で特に印象的なシーンは、ジェギュが鹿をひいてフロントガラスが割れる場面だ。息子に対しての猜疑心が抑えられないジェギュは、今までの道徳的な生き方との葛藤に悩んでいるが、遂に彼の理性が”割れてしまった(壊れてしまった)”ことを示す大事な場面であり、車は本作において重要なアイテムだ。結局、彼は息子を自首させることも出来ず、妻からの息子を守りたいというプレッシャーと被害者の浮浪者が亡くなったこと、そして”息子の涙”から事件を闇に葬るという判断をしてしまう。
このあたりのジェギュ夫婦の描写も素晴らしい。浮浪者が死んだという連絡を受けた直後、小さな笑顔を浮かべたと思ったらいきなりモリモリ昼食を食べ始めるシーンにおける人間臭さたるや。他にもコンプレックスを抱いている妻に対して冗談とはいえ、「若さが全てだ」と言ったり、母親を施設に入れようというジェワン夫婦に対しての「妻は介護をやりたいんだ」という発言から、善良な人間なのだろうが人間的な未熟さが漂っていて、多層的なキャラクターになっていると思う。対してジェギュの妻も息子を溺愛するあまり、ボランティア活動を通じて人命の尊さを知っているはずなのに、思わず浮浪者に対して選民的な発言をしてしまうのも印象的で、彼らは本来決して悪い人間ではないのに、この極限のシチュエーションに陥ったことで、深層に眠っていた部分が最後に覗いてしまうのだ。そして反対に最終的には理知的な判断をするのがジェワン夫婦であり、冒頭で見せていた彼らのイメージが全て逆転するという構造になっている。冒頭こそ成功者における”トロフィーワイフ”のような存在だと感じた、若き妻ジスも本作の中でもっとも人間的な感情を持ったまともな人物だと分かるのだ。
劇中、ジスが「私たち(親に)にやれることは何もない」というセリフを言うが、ラストではこのセリフが胸に刺さる。これだけ親を悩ませた子供たちの”本音”を聞いたとき、観客も含めて大人たちは暗澹とした気分になるのだ。だが同時に本作は、単純に子供たちの”道徳観の欠如”だけに問題を矮小化させない。韓国版に追加になった”受験生”という設定を入れることで、弁護士と医者という職業の親を持った子供たちのプレッシャーも突きつけてくるのだ。実際に韓国のエリート家系では、小さな頃から熾烈な進学戦争に勝つ事によって、優良企業や稼げる仕事への就職が期待されているらしい。そんな子供たちが陰惨な事件を起こすことで、この韓国版は社会自体にも警鐘を鳴らしているようにも感じるのである。基本的には会話劇なので派手な作品ではないし、決して上映館も多くはないが、突き放したラストシーンも含めて、家族ものサスペンスの新たな良作に仕上がっていると思う。
8.0点(10点満点)