映画「愛はステロイド」を観た。

「セイント・モード 狂信」で鮮烈デビューした女性監督ローズ・グラスがメガホンをとり、「A24」と組んで製作したサスペンス。海外のレビューサイト「ロッテントマト」では94%フレッシュの他、世界各国の映画賞に44ノミネートを果たし、鬼才ジョン・ウォーターズが”2024年最高の映画”として挙げたらしい。出演は「スペンサー ダイアナの決意」「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」のクリステン・スチュワート、「ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング」「ツイスターズ」のケイティ・オブライアン、「エンジェル ウォーズ」「ハンガー・ゲーム2」のジェナ・マローン、「グランド・イリュージョン」のデイブ・フランコ、「アビス」「トゥルーマン・ショー」のエド・ハリスなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ローズ・グラス
出演:クリステン・スチュワート、ケイティ・オブライアン、ジェナ・マローン、デイブ・フランコ、エド・ハリス
日本公開:2025年
あらすじ
1989年。トレーニングジムで働くルーは、自分の夢をかなえるためラスベガスへ向かう野心家のボディビルダー、ジャッキーと運命的な出会いを果たし恋に落ちる。しかしルーは、街の裏社会を仕切り凶悪な犯罪を繰り返す父親や、夫からDVを受けている姉など、家族にさまざまな問題を抱えていた。そんなルーをかばおうとするジャッキーは、思いもよらない犯罪網へと引きずりこまれていく。
感想&解説
本作の監督であるローズ・グラスは、2019年のイギリス作品「セイント・モード 狂信」で長編映画デビューし、海外の批評家から絶賛されたことで鮮烈な印象を残した監督だ。ジャンルとしてはいわゆるサイコホラーだが過度に信心深い女性モードが、余命わずかな元ダンサーの魂の救済をしようと狂気に陥っていくという内容で、アレクサンドル・アジャ監督の「クロール 凶暴領域」やドラマ「ロード・オブ・ザ・リング 力の指輪」などでも熱演していたモーフィッド・クラークを主演に迎え、ラストに訪れる1秒ほどのワンカットで全てが理解できるという、構造の巧さに驚かされた作品だ。劇場未公開作だが、配信では鑑賞できるのでオススメしたい。
そんなローズ・グラス監督の長編2作目が、本作「愛はステロイド」だ。これは邦題で、原題は「Love Lies Bleeding」なので、直訳すれば”愛は血を流す”というタイトルなのだろうが、実はエルトン・ジョンによる1973年のアルバム「Goodbye Yellow Brick Road(黄昏のレンガ路)」の中にも、同名タイトルの曲が収録されている。邦題は「血まみれの恋はおしまい」というタイトルで、「Funeral for a Friend」という曲と共に11分を超える大作としてアルバム1曲目を飾るメドレー曲になっているが、この映画との共通点も多い。エルトン・ジョンが同性愛をカミングアウトしているのは有名だが、「血まみれの恋はおしまい」は、エルトンのクリエイティブ・パートナーだった作詞家バーニー・トーピンとの愛憎についてのナンバーとなっている。その後、彼らは再びタッグを組むことになるが、バーニーとの複雑な愛憎はデクスター・フレッチャー監督によるミュージカル映画「ロケットマン」でも描かれていた。
そして本作「愛はステロイド」は、ボディビルダーであるジャッキーとルーによる恋愛劇を想起させるタイトルだが、彼女たちもやはりクィアだ。ウォシャウスキー監督による1997年公開のフィルムノワール「バウンド」や、リドリー・スコット監督による1991年のロードムービー「テルマ&ルイーズ」など、女性同士の恋愛やシスターフッドものの傑作は数あれど、本作ほど風変わりなアプローチの作品は記憶にない。ストーリーがどこに向かっていくのは想像できない上に、ラストの展開は観客の想像を超える”映画的な飛躍”を見せるのだ。また本作の主人公であるクリステン・スチュワートの憂いを帯びた表情や髪型が本当に素晴らしく、本作のネオ・ノワール的な展開にピッタリだ。そしてルーの父親役としてエド・ハリスが出演しているのだが、このキャラクターが更に良い。忘れられない髪型と共に、強烈な印象を残すヴィランなのである。これだけ顔面アップの構図に耐えられるのは、エド・ハリスならではだ。
冒頭、男に殴られたジャッキーを介抱しながら、ルーがステロイドをプレゼントするシーンがあるが、「どこに打つ?」と聞くルーに対して「お尻に打って」と言いながら、お尻を突き出す場面から猛烈にセックスを想起させる。その後二人はキスを交わして恋人同士の関係になっていくが、このステロイドの乱用によってジャッキーは正気を失っていくことになる。ここからネタバレになるが、ルーの姉ベスが夫JJのDVによって意識不明なったことを知り、怒りに震えるルー。そしてその姿を見て、ジャッキーはJJの家まで行き彼を殺してしまう。その事を知ったルーは殺人の証拠を必死に隠滅して、死体を車ごと崖から落とし火を付けるのだが、それは過去にその場所で死体を隠滅していた父親を罠にはめる工作だったのだ。
ルーは最初から、誰かが残した汚物をひたすら処理している女性だ。トレーニングジムのトイレのつまりを解消していたかと思えば、ジャッキーが殺したJJの顔から飛び散った血や歯を掃除し、弱みを握られたデイジーがジャッキーによって銃殺されれば、その後始末も彼女が行っている。そして冒頭からタバコを吸いまくっており、明らかにニコチン中毒でもある。彼女はタバコに依存しながら生きてきたが、それがジャッキーと出会ったことで、彼女は”ジャッキーへの愛”に依存することになるのだ。卵の黄身を抜いてくれと言われれば抜き、ルーの父親によってジャッキーが囚われれば、自分の身の危険も顧みずに救出に向かう。反対にジャッキーはステロイドの過剰摂取で暴走し、ボディビルコンテストに単身向かうが暴力事件を起こして、遂にはルーの父親にうまく使われてしまう。ジャッキーが幻覚を見るシーンがあるが、本作においてステロイドは”ドラッグ”や”アルコール”の代わりなのだろう。よって物語の構図としては、典型的な”ダメな男”と”尽くす女”だ。そして依存し続ける人たちを描いているが、これをクィアの関係で描いているのが面白いのである。
そして本作でもっとも印象的なのは、エド・ハリス演じる父親に銃を突き付けられ、絶体絶命のルーを救う、例の”巨大化”したジャッキーだろう。ステロイドを打ち、身体を鍛えてルーの危険を察知することで、ついに変身するジャッキーの姿は、いきなり劇中のリアリティラインが崩れて、まるでファンタジーのような展開になる。だがこれはルーが見ている、想像上のジャッキーだということだろう。客観的な映像の中に、主観映像が放り込まれるのは前作からお馴染みの表現だし、最後に颯爽と現れて、邪悪な父親から自分を救ってくれるのは、スーパーヒーローのように大きくて力強い、そして”愛する人”なのだ。さらにジャッキーが巨大化して父親を拘束している後ろでは、満天の星空が広がり、そこにはなんと”流れ星”まで流れるのである。このままエド・ハリスを真っ二つに引き裂くのかと思いきや、ルーが銃を父親の口の中に突っ込み、FBIに逮捕されることを示唆してこの場面は終わる。そこまで血管や筋肉の膨張、そして身体そのものが大きく見えるような描写の伏線が最後に爆発するのだ。そして満点の星空の中、二人は笑顔で駆け出すのだが、なんというロマンチックでファンタジックな場面だろうか。
そしてエンドクレジット前、車の荷台で息を吹き返したデイジーの首を無言で絞めて、そのまま放置した死体の横で禁煙していたはずのタバコを吹かすルーと、車の中で眠るジャッキーを捉えながらこの映画は終わる。ルーはもう他人の世話ばかりする”尽くす女”ではなく、自分で決着を付けられる人物になったという事と、ジャッキーへの依存が解けて対等な恋愛関係になったという表現に感じた。80年代の土を埃にまみれたニューメキシコを舞台に、とてつもなく風変わりでクールな物語が描かれていた本作。ボディホラーの要素もありつつ、サスペンスフルで純愛劇でもある奇妙な作品だった。しかも音楽も80年代エレクトロ風でカッコいい。ニコラス・ウィンディング・レフン監督の「ドライブ」を思い出したが、作品に流れる空気感も近いかもしれない。それにしても本作を手掛けたローズ・グラス監督は、前作の「セイント・モード 狂信」からは想像できないくらいに、大きく飛躍した規模とクオリティの映画を撮ったと思う。A24との相性もピッタリだと思うので、次の作品を楽しみに待ちたい。
8.0点(10点満点)