「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(エブエブ)」を観た。
ダニエル・ラドクリフとポール・ダノが出演した異色作「スイス・アーミー・マン」の監督コンビであり、CMディレクター出身のダニエルズ(ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート)が手がけた、アクションコメディ。ダニエル・シャイナート個人では、「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」という珍作監督作があるが、監督コンビの”ダニエルズ”名義では長編二作目となる。出演は「グリーン・デスティニー」「007 トゥモロー・ネバー・ダイ」などで知られるミシェル・ヨー。さらに「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」「グーニーズ」に出演していた名子役キー・ホイ・クァンが、20年ぶりに出演しているのも話題だ。他にも「ハロウィン」シリーズで有名なジェイミー・リー・カーティスや、「シャン・チー テン・リングスの伝説」のステファニー・スーなどが共演している。第95回アカデミー賞では作品、監督、脚本、主演女優ほか同年度最多の10部門11ノミネートを果たしており、今年のアカデミー大本命作品だろう。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ダニエル・クワン/ダニエル・シャイナート
出演:ミシェル・ヨー、キー・ホイ・クァン、ジェイミー・リー・カーティス、ステファニー・スー、ジェームズ・ホン
日本公開:2023年
あらすじ
経営するコインランドリーは破産寸前で、ボケているのに頑固な父親と、いつまでも反抗期が終わらない娘、優しいだけで頼りにならない夫に囲まれ、頭の痛い問題だらけのエヴリン。いっぱいっぱいの日々を送る彼女の前に、突如として「別の宇宙(ユニバース)から来た」という夫のウェイモンドが現れる。混乱するエヴリンに、「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」と驚きの使命を背負わせるウェイモンド。そんな“別の宇宙の夫”に言われるがまま、ワケも分からずマルチバース(並行世界)に飛び込んだ彼女は、カンフーマスターばりの身体能力を手に入れ、まさかの救世主として覚醒。全人類の命運をかけた壮大な戦いに身を投じる。
感想&解説
第95回アカデミー賞では、「作品賞」「監督賞」「脚本賞」「主演女優」「助演男優賞」「衣装デザイン賞」ほか、同年度最多の10部門11ノミネートを果たし、映画制作会社「A24」史上でもNo.1ヒット、全世界興行収入1億ドルを突破している超話題作が、遂に日本公開となった。これだけ興行的にも成功しつつ、さらにアカデミー賞でも高い評価を得ている作品というのは近年あまり記憶にない。そもそもアカデミー賞は、アメリカ映画業界の芸術科学アカデミー会員の投票によって決まるものなので、観客側というよりも業界内の評価が反映されるものだ。よってアカデミー賞受けする作品というのは、社会的なメッセージが強くかったりアート色が濃かったりと、一般的な興行的成功とは反比例しやすいのである。だが本作「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を観た後だと、これだけ業界内の評価が高いのも納得だ。ミシェル・ヨーやジェイミー・リー・カーティスといった有名俳優が出演しているとはいえ、いわゆる”スター映画”とは呼べない、このSFカンフーコメディは全ての観客の人生を肯定し、強烈にポジティブな気持ちにさせる稀有な作品だと思う。
そもそもこの”ダニエルズ”という監督コンビが、長編第二作目にしてこれだけのアイデアに富んだ大作を撮ったことに驚かされる。監督デビュー作だった前作「スイス・アーミー・マン」は、無人島に遭難したポール・ダノ扮する青年が、ダニエル・ラドクリフが演じる”死体”を使って、島からの脱出を図るというコメディ映画だったが、おなら噴射で水面スキーしたり、死体の口から出た水をシャワーとして使ったりと、アイデアは面白いのだが不謹慎かつシュールな作風で、かなり困惑させられた一本だった。さらにダニエル・シャイナート個人の監督作である、2020年日本公開「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」は、この作風をさらに”不謹慎方向”に振り切ったような映画で、あまりに下品すぎる驚愕のオチにはグッタリして劇場を後にした記憶があるのだが、このクリエイターがまさかアカデミー作品賞にノミネートされるような映画を制作するとは、想像もしていなかった。本作にも若干の悪ふざけ感は無くもないが、それもかなりライトになっている為、十分に老若男女に受け入れられる作品になっていると思う。
本作の主人公は、中国からアメリカに渡った移民で、今は夫婦でコインランドリーを経営する中年女性のエヴリン。彼女はコインランドリーの税金問題、頑固な父親の介護、反抗期でLGBTQの娘ジョイ、優しいだけで頼りにならない夫ウェイモンドに囲まれながら、日々ストレスフルな日常を送っている。そんなある日、国税庁に行ったエヴリンに対して夫ウェイモンドが、耳に小型の機器を押し込みながら「私は別の宇宙(ユニバース)から来た」「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」と告げてくる。何が何だかわからないまま、緑に光った機器のボタンを押してマルチバースに飛び込んだエヴリンは、カンフーマスターや女優として別の宇宙に生きているエヴリンとして、ヴィランである「ジョブ・トゥパキ」との壮大な闘いに挑んでいくというストーリーだ。これだけ聞くと、まるでMCUのような勧善懲悪なヒーロー映画だと感じるかもしれない。実際に仮想空間の中で、様々な能力を活かしながらカンフーで戦っていくというのは、ウォシャウスキー監督の「マトリックス」を強く想起させるし、実際にダニエルズは大きな影響を受けていると認めている。
この”マルチバース”という概念が、本作をユニークなものにしている大きな要因だろう。そしてこれが、まるで映画世界のマルチバースと言わんばかりに「マトリックス」以外にも、ジャンルを超えた多くの映画作品の世界観をパロディにしている。スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」の猿人が登場したかと思えば、ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」で使われたスローモーション撮影、また日本人監督からは湯浅政明「マインド・ゲーム」や今敏の「パプリカ」、宮崎駿「もののけ姫」の世界観には、大きな影響を受けたと監督自らが語っている。そして意外な引用元作品では、ブラッド・バード監督の2007年ピクサー・アニメーション・スタジオ作品「レミーのおいしいレストラン」だ。劇中ではネズミではなくアライグマが頭に乗っていたが、「レミー~」では見習いシェフ”リングイニ”の髪をネズミであるレミーが引っ張ることで、彼の身体を操作し、ネズミが天才的な料理を作っていくという奇抜なアニメーションだったが、「スイス・アーミー・マン」では死体の身体を操って無人島を脱出する物語だった事を考えると、監督にとってこの「人を操る/操られる」という行為は、創作上において重要な意味がある事なのかもしれない。
タイトルの「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」とは、「なんでも/どこにでも/いっぺんに」という意味で、この作品の設定となる”マルチバース”を表現したものだ。そして本作では、そのマルチバース間を平行して移動ができる、”バースジャンプ”という設定が採用されている。これはすべての世界が平行して存在しているため、職業や生き方は違えど、それぞれのバースで生きるエブリンはすべて同じ年齢であり、別宇宙で生きるエブリンのスキルにアクセスできるという面白いアイデアだ。そしてそのジャンプ方法は、”いかにバカバカしいことをやるか?”というもので、ここに本作のコメディ要素のほとんどが詰まっている。もちろん下半身まるだしの男&尻にトロフィーが入った男と戦うあのシーンは、その中でも特徴的だし、いかにもダニエルズの作品らしさが溢れたバカなシーンだろう(褒めてます)。彼らにとって下ネタは切っても切れない要素なのである。また人間の指がすべてソーセージになっており足の指が発達している世界など、シュール系のネタも相変わらず健在だ。だが、その中でもエヴリンと娘のジョイが生物の生きていない世界に住み、”石”として意思疎通する世界観は、特に面白いと感じた。身体性がなくなり、意識だけで語り合う素直な言葉の羅列は、シュールながらも美しい場面だったと思う。
ここからネタバレになるが、マルチバースの中でももっとも敗北者であるはずの、コインランドリーを営んでいるエヴリン。他のバースのエヴリンは歌手だったり女優だったりと華やかな世界に生きていたり、鉄板焼きやピザ屋の宣伝をしていたりと職人芸を極めていたりするが、なぜ「アルファバース」から来たウェイモンドは、もっとも敗北者であるエヴリンを選んだのだろうか?それは彼女が夫であるウェイモンドが語る、「親切でいる事」という”究極の闘い方”を実行できる人物だからなのだと思う。ブラックホール・ベーグルに飲み込まれようとする娘ジョイを制止するために、取り巻きと戦うシーンでは、今までのヒーロー映画のように多くの敵がエヴリンの目の前に立ちふさがる。だが彼女は暴力ではなく、彼らを抱きしめ傷を癒すことで、敵を退けていく。そしてそれを教えてくれた、優しき夫ウェイモンドを”選んだ”エヴリンこそが、実はもっとも高いポテンシャルがあり、大いなる可能性を秘めている救世主という事なのだろう。冒頭の税務処理で頭を抱えているエヴリンは世界中にいる、われわれ一般人の投影だ。日々の生活に追われストレスを抱えて、大量の仕事に四苦八苦している。また「ブラックホール・ベーグル」とは、カラオケの領収書が却下された時に記された、”大きな黒丸”の具現化で、いつでも辛い現実は我々を飲み込もうとする。だがそんな中でも思いやりを忘れず小さな幸せを喜べる生き方の方が、どんな派手な人生よりも尊いのだということを、この映画は提示してくれる。エヴリンが開眼する”第三の眼”は、コインランドリーのシーンでウェイモンドが善意で洗濯物の場所を移した際に、目印で貼っておいたシールだ。最終的にエヴリンを開眼させるのは、夫ウェイモンドの善意と思いやりなのである。
そして、その夫ウェイモンドと対局にいるのが、娘ジョイ=ジョブ・トゥバキだ。自分のアイデンティティも否定され、保守的な母や人生への絶望から彼女はあらゆるバースの世界を否定し、「すべてが消えればいい」と宇宙の全消滅を図っている。そんなジョイとエヴリンを巡る母娘の物語でもある本作は、紆余曲折を経てもっともシンプルな解決方法にたどり着く。それは”本音”で対話することだ。「もし、こんな親なら最高なのに」「もっと素直な娘ならと」と、お互いに言いたいことはたくさんある。だがそれを言葉にして認め合い、「あんたと一緒にいたい」と抱き合うことが出来れば、宇宙全体の問題すらも解決してしまうという物語なのである。ラストシーン、家族で協力し合うことでレシートを整理し国税庁に向かう場面では、同じバースを描いているにも関わらず、まるで”別次元”のように幸せそうな家族が描かれる。そしてその良い影響が、ジェイミー・リー・カーティス演じるディアドラという女性職員にも、確実に伝播しているのだ。こうやって世界は繋がっているし、一度しかない自分の人生を生きていけば良いのだろう。このラストシーンのメッセージには、思わず胸が熱くなる。
面白いし、新しいし、正しい。さすがに世界中でこれだけ観客、評論家ともに高く評価されている作品だ。とはいえ、監督ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナートの手癖というか、悪ノリの部分が気に入らないという人もいると思うし、大上段に構えた正しいメッセージが鼻に付く、もしくは設定自体が解りづらいという意見もあるだろう。だが個人的にはエンターテイメント作品として、これだけのメッセージ性とクオリティを観せられれば大満足だ。おそらくスタントも入っているだろうが、ミシェル・ヨーのカンフーアクションも流石だったし、久しぶりの復活となったキー・ホイ・クァンも、別の作品で彼の演技が観たいと思うくらいに魅力的だった。これを書いている現時点では、2023年アカデミー賞の行方はわからないが、例え無冠に終わっても、この映画の価値はまったく変わらない。マルチバースのどこかでは、きっと「作品賞」を獲得するだろう。素晴らしい作品だった。
8.5点(10点満点)