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映画「ウィキッド ふたりの魔女」ネタバレ考察&解説 あまりに哀しい物語の前編!だからこそ訪れるラストのカタルシスは必見!

映画「ウィキッド ふたりの魔女」を観た。 

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「イン・ザ・ハイツ」「クレイジー・リッチ!」のジョン・M・チュウが監督と務め、アメリカが生んだ古典文学「オズの魔法使い」に登場する魔女たちの知られざる物語を描き、20年以上にわたり愛され続けるブロードウェイミュージカル「ウィキッド」を映画化したファンタジーミュージカル。2部作の前編であり、後編公開は本国アメリカでは2025年11月21日となっている。第97回アカデミー賞では「作品賞」「主演女優賞」「助演女優賞」など合計10部門にノミネートされ、「美術賞」と「衣装デザイン賞」の2部門で受賞した。出演はブロードウェイで数々の受賞歴を持つシンシア・エリボ、グラミー賞常連アーティストのアリアナ・グランデ、「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」のミシェル・ヨー、「ジュラシック・パーク」シリーズのジェフ・ゴールドブラムなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:ジョン・M・チュウ
出演:シンシア・エリボ、アリアナ・グランデミシェル・ヨージェフ・ゴールドブラム、ジョナサン・ベイリー
日本公開:2025年

 

あらすじ

魔法と幻想の国・オズにあるシズ大学の学生として出会ったエルファバとグリンダ。緑色の肌をもち周囲から誤解されてしまうエルファバと、野心的で美しく人気者のグリンダは、寄宿舎で偶然ルームメイトになる。見た目も性格もまったく異なる2人は、最初こそ激しく衝突するが、次第に友情を深め、かけがえのない存在になっていく。しかしこの出会いが、やがてオズの国の運命を大きく変えることになる。

 

 

感想&解説

名作小説「オズの魔法使い」で少女ドロシーがオズの国に迷い込む前、この国でもっとも嫌われた「悪い魔女」ともっとも愛された「善い魔女」が同じ学校の学生だったという過去を描いた「ウィキッド」は、2003年から始まった100以上の演劇賞・音楽賞を受賞した傑作ミュージカルであり、それを映画化したのが本作だ。この映画化も世界中で大ヒットしているが、元々は1900年に出版されたライマン・フランク・ボーム著の「オズの魔法使い」の世界観とキャラクターをベースに、「西の悪い魔女」として悪役だったエルファバを主人公に据えるという、やや複雑な背景を持った作品でもある。そして「オズの魔法使い」は1903年にミュージカル化、1939年にはヴィクター・フレミング監督/ジュディ・ガーランド主演で映画化され、後世に残る傑作として影響を与えており、数々の関連作品が生まれている。

特に冒頭部がモノクロで表現されていたと思ったら、オズの国のパートではテクニカラーで撮影され”色が付く”という場面は、映画版「オズの魔法使」の特徴的な演出で、サム・ライミ監督による2013年日本公開「オズ はじまりの戦い」でもそのまま踏襲されていた。オズの魔法使い」は竜巻に巻き込まれてオズの世界に飛ばされてしまったドロシーという少女がカカシ、ブリキ男、ライオンと共に自分の国に帰る方法を知っているという”オズの魔法使い”に会うために、エメラルドシティを目指す物語だ。その後、オズの魔法使いから”悪い西の魔女”を倒してくるように命じられたドロシーは、旅の末にバケツの水をかけることによって魔女を溶かして倒す。さらにオズは実は魔法使いではなくただの手品師だったことが分かるが、北の良い魔女グリンダが魔法の靴に願いをかければ家に帰れること教え、無事にドロシーは元の国に戻れるという内容の作品だ。

 

そして本作「ウィキッド ふたりの魔女」のオープニングは、映画「オズの魔法使」のオープニングとほとんど同じフォントを用いており、ドロシーたちが西の魔女を倒したことで、黄色いレンガの道を歩く後ろ姿が一瞬だけ描かれる。そして善き魔女のグリンダと共にマンチキンの人々が歓声を上げて踊るダンスシーンが始まり、ある女性から「西の魔女と知り合いだったの?」と聞かれたグリンダは、かつてシズ大学の学生寮で全身が緑色のエルファバとルームメイトだったころを回想することで、二人の過去が描かれていく。この後は基本的に”学園もの”として、ミシェル・ヨー演じる魔法学部長マダム・モリブルに気に入られたい、そして誰よりも”人気者”になりたいグリンダと、不倫の末に生まれた子供であり生まれつき全身が緑色だったため、忌み嫌われながらも強大な魔力を持つエルファバの二人を中心に、エルファバの妹ネッサローズ、人間の言葉を話すヤギのディラモンド教授、ウィンキー国からやって来た王子フィエロなどを巻き込みながら展開していく。

 

 

それにしても、この「PART1」は本当に哀しい話だと思う。ここからネタバレになるが、エルファバの肌の色が緑であることを皆が”問題だ”と言い、見た目だけで差別されるという表現は現実社会においての人種差別を強く想起させるし、王子フィエロを愛しかけるも、自分の容姿のために彼女は諦めざるを得ない。父親からも愛されず、希望を抱いてエメラルドシティまで会いにいったオズは動物実験の首謀者でありながら魔術も使えない詐欺師で、マダム・モリブルと共に魔法の力を悪用しようとする。とにかく161分という長い上映時間の間、エルファバは差別され抑圧され、搾取される。これは監督のジョン・M・チュウの前作「イン・ザ・ハイツ」でも描かれていたので、監督にとってはミュージカル映画を通して描きたいテーマなのだろう。だからこそ、ラストの「Defying Gravity(自由を求めて)」という楽曲が使われたシーンには、とてつもないカタルシスがある。

 

すべてに裏切られ絶望に打ちひしがれたエルファバは、それでもオズと和解した方が良いと自分を懐柔するグリンダと別れ、ホウキに乗って西の空へ飛んでいく。落下中、子供時代の自分の姿を見たエルファバはそんな自分を乗り越えることによって、超絶的な存在として覚醒するのだ。この長い上映時間中、どん底の中で耐えてきたエルファバの姿を見ているが故に、観客はこのエルファバの姿に共感し、最大限の喝采を送る。そして「to be continued」の文字が出て、この「PART1」の物語は終わる。このラスト15分のカタルシスが本作の大きな魅力であり、観客の感情が爆発するポイントだろう。ただ続編となる「PART2」は、恐らく西の魔女として覚醒したエルファバと良き魔女となったグリンダ、そしてドロシーと本作でも登場したボックが変化したブリキ男などの旅の仲間たち、のちに東の魔女となるエルファバの妹ネッサローズなどのやり取りが描かれるのだろうが、どう考えても本作以上にダークな展開になるのだと思う。

 

これはまるで「スターウォーズ」のプリクエルを観ているような気持ちに近い。アナキン・スカイウォーカーダース・ベイダーになる運命が避けられないように、エルファバの運命が確定しているだけに辛いのだ。本作には”西の魔女が倒され、グリンダも含めた皆が喜んでいる”という明確な結末が映画の冒頭に提示されているが故に、何があっても素直に喜べない。そもそもグリンダ側の心境の描き込みがほぼ無いということもあるが、この冒頭シーンのおかげでいくら終盤にグリンダが改心しエルファバに優しく接しても、その言葉にまったく信ぴょう性がないのである。ただこれは作り手の明確な意図があるだろうし、「ウィキッド」という作品がこれだけ支持されているのは「PART2」の展開に、観客が溜飲を下げられる要素があるという事だろう。ただこの1作目の展開については主人公エルファバに感情移入するあまりに、個人的には暗澹たる気持ちになってしまった。

 

ミュージカルの映画化という意味では素晴らしいクオリティだし、使われてる音楽も素晴らしい。カメラワークからエルファバの涙まで舞台では再現できないような演出の数々は、ミュージカル版の熱狂的なファンでも満足できる出来なのではないだろうか。もちろんシンシア・エリボとアリアナ・グランデの歌唱についても文句の付けようがないし、これをほとんどすべて撮影現場で演技をしながら歌って録音したという、スタッフの苦労も含めて神業の域だ。マイクの指向性の都合で動きながらの歌声には音量差が出るし、ノイズも乗りやすい。もちろんMAでかなりの処理を施しているのだろうが、あれだけクリアな音質とピッチで録音できているのは、素直に感心してしまう。そもそも「ウィキッド」は湾岸戦争時の報道の中で、「悪」のレッテルによって世論が動いていく様子に、作者が疑問を持ったことで生まれた物語らしい。世界最高峰のクリエイターと役者たちが素晴らしいアイデアと楽曲を使い、アメリカが誇る古典文学の設定を背景に作られた本作は、“悪の存在”に疑問を呈するという強いメッセージ性が含まれていたと思う。ただおそらく続編まで観てから、初めて本作の評価が定まるのだろう。

 

 

7.0点(10点満点)