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映画「教皇選挙」ネタバレ考察&解説 ラストシーンを解説!カトリック教団における”コンクラーベ”を描きながらも小難しい作品ではなく、娯楽性と現代的なメッセージ性を兼ね備えた傑作!

映画「教皇選挙」を観た。 

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第95回アカデミー賞で国際長編映画賞ほか4部門を受賞した「西部戦線異状なし」のエドワード・ベルガー監督による、ローマ教皇選挙の舞台裏に迫ったミステリー。第97回アカデミー賞でも「作品賞」「主演男優賞」「助演女優賞」「脚色賞」「美術賞」「衣装デザイン賞」「編集賞」「作曲賞」の計8部門でノミネートされ、「脚色賞」を受賞した。出演は「シンドラーのリスト」「イングリッシュ・ペイシェント」「007 スカイフォール」などの名優レイフ・ファインズ、「プラダを着た悪魔」「スポットライト 世紀のスクープ」のスタンリー・トゥッチ、「ミッドナイトクロス」「レイジング・ケイン」「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」のジョン・リスゴー、「ブルーベルベット」「永遠に美しく…」のイザベラ・ロッセリーニなど。もう少しアカデミー賞で評価されても良いと思うくらい、素晴らしい映画だったと思う。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:エドワード・ベルガー
出演:レイフ・ファインズジョン・リスゴーイザベラ・ロッセリーニスタンリー・トゥッチ、カルロス・ディエス
日本公開:2025年

 

あらすじ

全世界14億人以上の信徒を誇るキリスト教最大の教派・カトリック教会。その最高指導者で、バチカン市国の元首であるローマ教皇が亡くなった。新教皇を決める教皇選挙「コンクラーベ」に世界中から100人を超える候補者たちが集まり、システィーナ礼拝堂の閉ざされた扉の向こうで極秘の投票がスタートする。票が割れる中、水面下でさまざまな陰謀、差別、スキャンダルがうごめいていく。選挙を執り仕切ることとなったローレンス枢機卿は、バチカンを震撼させるある秘密を知ることとなる。

 

 

感想&解説

第97回アカデミー賞では「作品賞」「主演男優賞」「助演女優賞」「脚色賞」「美術賞」「衣装デザイン賞」「編集賞」「作曲賞」の計8部門でノミネートされ、結局は「脚色賞」の一部門だけの受賞に留まったが、個人的には本作こそ「作品賞」に相応しかったのではと思う。ただラストはかなりの衝撃があるので、カトリック信者の多いアカデミー会員に嫌われた可能性は大いにあるかもしれない。監督は、前作「西部戦線異状なし」が第95回アカデミー賞で「国際長編映画賞」ほか4部門を受賞したエドワード・ベルガー。「ぼくらの家路」「西部戦線異状なし」と、まだ長編キャリアとしては3作目のドイツ人監督だが、本作は本当に素晴らしい作品だった。邦題は「教皇選挙」だが、原題は「コンクラーベ」といいカトリックの最高指導者である新教皇を決める選挙のことを指す。過去にもロン・ハワード監督によるトム・ハンクス演じるラングドン教授が、カトリック教会の総本山たるバチカンを舞台に活躍する「天使と悪魔」の中でも描かれ、選挙で新しい教皇が決まれば、礼拝堂の煙突から白い煙が焚かれ、決まらなければ黒い煙が上がるという表現には驚かされた記憶がある。また文字通り「コンクラーベ 天使と悪魔」というヨーロッパ映画もあったが、これだけコンクラーベ自体を娯楽作品のテーマとして扱い、さらに成功している作品は過去になかった気がする。

本作はカトリック教会の前知識は何も必要ないし、小難しい作品ではまったくない。そしてミステリー作品としてかなりの強度を持った映画だと思う。主人公はレイフ・ファインズ演じるローレンス枢機卿だが、この映画では彼がひたすらに悩み、事態に振り回される姿が終始描かれる。深くため息をつきながら、次々に起こる不測の事態に戸惑いつつも対処していく姿を、大胆なクローズアップを多用しつつ、観客にもまるで”自分ごと”として感じられるような演出で切り取っていく。教皇のことを深く尊敬していたローレンス枢機卿は彼の死によって深く傷つき、自らの信仰すらも揺らいでいるのだが、このコンクラーベを無事に取り仕切らなければならないという義務感に突き動かされている。そして、チェスでは”8手先まで読んでいた”という前教皇の意志に導かれるように、”ある結末”に向かって彼は行動を続けていくのである。

 

それにしても本作は演出が本当に上手い。このコンクラーベのため、世界各国から次々にバチカンへ集まってくる枢機卿たちの中から、スタンリー・トゥッチ演じるリベラル派のベリーニ枢機卿ジョン・リスゴー演じる保守派のトランブレ枢機卿、前教皇を強く批判しており極端な思想を持つテデスコ枢機卿、初のアフリカ系教皇の座を狙うナイジェリア出身のアデイエミ枢機卿、そして突然この選挙に参加することになるアフガニスタン出身のベニテス枢機卿と、多くのキャラクターと内面の思惑が絡み合うことで観客は混乱しそうだが、これをしっかり情報整理しながらラストまで”並走”してくれる。まず圧倒的な”悪者”の差別主義者として、イタリアのテデスコ枢機卿を置くことで、彼と敵対するベリーニ枢機卿と主人公ローレンス枢機卿を含むその一派、さらに前教皇が最後に会っていて解任を宣告されていたらしいトランブレ枢機卿と、それぞれの立ち位置が序盤だけで解るようになっているのだ。

 

 

テデスコ枢機卿は登場シーンから横柄な態度と煌びやかな衣装で、分かりやすく”悪役キャラクター”とし差別化してくれているし、ベニテス枢機卿はローレンス枢機卿が皆に彼を紹介する食堂における祈りのシーンで、皆が終わったと思い席に着こうと思ったら、まだ慈悲の言葉を続けることで慌てるシーンを入れる事によって、ベニテス枢機卿の慈悲深い内面とその他の枢機卿たちとの差が描かれていた。さらに選挙の投票数が開示されるシーンでは、名前と投票数に合わせてそれぞれの表情が切り抜かれる親切設計によって、その時点でのパワーバランスの状況が明確に解る。こういう丁寧な演出の積み重ねによって、混乱なく観客はストーリーの行く末だけに集中できるのだ。ベニテス枢機卿の過去の医療処置についてなど、後から関係してくる情報などもあり、本来は整理と説明が難しい作品だと思うが、これだけ混乱せずに楽しめるのは監督の手腕だろう。

 

ここからネタバレになるが、ベリーニ枢機卿の「コンクラーベは戦争だ!」というセリフが印象的だったように、美しいシスティーナ礼拝堂で行われる選挙戦は、”男たち”の醜い足の引っ張り合いと打算によって、裏側は混沌としている事が明らかになってくる。過去の性的スキャンダルの暴露や票の買収行為など、選ばれるには有効得票数の2/3を獲得しなければならないというルールの元、彼らは必死で裏工作を仕掛けていたのだ。それらが次々と明るみになることで、自滅していく枢機卿たち。そして事態は事実上、ローレンス枢機卿とテデスコ枢機卿の一騎打ち状態になる。初めは”その気はない”と答えながらも、教皇名を聞かれたら”ヨハネ”と答えてしまうローレンス枢機卿だが、自分の名前を投票箱に入れようとした時いきなりその事件は起こる。バチカンの街が自爆テロで攻撃され、それによってシスティーナ礼拝堂の屋根に穴を開くのだ。この場面は本作で唯一、明らかに”神の意志”を感じさせるように演出されていたが、この出来事によって大きく事態は変化していく。

 

ここからは文字通り先の読めない展開となっていくのだが、この屋根に穴が開くという事態は、今まで”密室”によって行われ膠着状態だった選挙に”風穴が空いた”という表現であるのはもちろん、この出来事によってカトリック教団という組織自体にも、大きな変化が起こる”前兆”としても機能している。そしてムスリムの過激派を非難したテデスコ枢機卿が”宗教戦争”を力説したのに対して、現在の協会の堕落した状態と、自分の戦争体験を語ったことで暴力の無意味さを説いたベニテス枢機卿が、コンクラーベの結果、新しい新しい教皇として誕生する。ベニテス教皇名として答えたのは”インノケンティウス”で、現在までに13人が在位した教皇名であり、英語では”イノセント=純粋無垢”という意味だ。そして無事に選挙も終わり大団円かと思いきや、本作にはもう一つの強烈なドンデン返しが待ち構えている。

 

なんとベニテスは身体の機能と感情が性別の典型的な状態と一致していない状態であり、子宮摘出処置を受けるためにジュネーブへ行っていた事、しかし神が創った身体のまま生きることを選んだという事実を、ローレンス枢機卿は知ることになる。そして前教皇はこのことを知っており、それでもこの選挙に参加させたのだという。現状、ローマ・カトリック教会において司祭は男性しか認められていない。ましてや世界中に13億人いると言われるカトリック教会のトップである教皇が女性の身体を持つという事実に、ローレンス枢機卿は大いに悩むことになる。だが選挙が始まる前に自分自身の言葉として語っていた、「信仰とは確信ではなく、迷いながら進むこと」という言葉を思い出し、彼は”迷える亀”を噴水に戻す。この亀とは、自らの信仰心のメタファーだろう。ラストシーン、ローレンス枢機卿が窓を見た時に現れる白い衣の三人の女性は、「聖母マリア」「マグダラのマリア」「聖母の姉妹マリア」という”3人のマリア”の象徴だと思う。聖書において女性は重要な役割を果たしてきたことを、このラストシーンでは改めて表現しているのだろう。本作における亡くなった賢明な前教皇とは現在のフランシスコ教皇をモデルにしているのだろうが、この映画で表現されているのはカトリック教会だけのことではなく、今の社会の縮図だ。それをエンターテインメント作品として、これだけかみ砕いて面白く映画化している驚異的な作品だし、良作続きの2025年の中でも今のところ、頭一つ抜き出た映画だと感じる。

 

 

9.5点(10点満点)