映画「ミッキー17」を観た。
「ほえる犬は噛まない」で長編デビューしてから、「殺人の追憶」「グエムル 漢江の怪物」「母なる証明」「スノーピアサー」「オクジャ okja」などの話題作を経て、遂に2019年の「パラサイト 半地下の家族」で第92回アカデミー賞「作品賞」を獲ったポン・ジュノ監督の6年ぶり最新作で、エドワード・アシュトンの小説「ミッキー7」を原作にしたSFブラックコメディだ。出演は「TENET/テネット」「ライトハウス」「ザ・バットマン」のロバート・パティンソン、「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」のナオミ・アッキー、「NOPE ノープ」「バーニング 劇場版」のスティーブン・ユァン、「ヘレディタリー/継承」のトニ・コレット、「スポットライト 世紀のスクープ」のマーク・ラファロなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ポン・ジュノ
出演:ロバート・パティンソン、ナオミ・アッキー、スティーブン・ユァン、トニ・コレット、マーク・ラファロ
日本公開:2025年
あらすじ
失敗だらけの人生を送ってきた男ミッキーは、何度でも生まれ変われる“夢の仕事”で一発逆転を狙おうと、契約書をよく読まずにサインしてしまう。しかしその内容は、身勝手な権力者たちの命令に従って危険な任務を遂行し、ひたすら死んでは生き返ることを繰り返す過酷なものだった。文字通りの使い捨てワーカーとして搾取され続ける日々を送るミッキーだったが、ある日手違いによりミッキーの前に彼自身のコピーが同時に現れたことから、彼は反撃に出る。
感想&解説
ポン・ジュノにとって、2019年「パラサイト 半地下の家族」でのアジア映画として初のアカデミー「作品賞」受賞は、彼のキャリアにとって大きな出来事だっただろう。「パラサイト」はソン・ガンホを主演に迎えて、韓国独特の”半地下”住居と豪華な屋敷を舞台に韓国社会における貧困の実態を描きながら、コメディ要素もしっかり入れて見事なエンタメ作品に昇華した傑作だったが、”次回作”へのプレッシャーも相当感じていたと思う。そして満を持しての約6年ぶり新作が本作「ミッキー17」だ。過去作でも「オクジャ okja」で組んでいたブラッド・ピットの映画製作会社「プランB」が製作しており、いわゆる”ハリウッドキャスティング”の作品だ。
「オクジャ okja」ではティルダ・スウィントンやポール・ダノ、ジェイク・ギレンホールが出演していたし、「スノーピアサー」ではクリス・エバンス、オクタビア・スペンサー、エド・ハリスなどのキャスティングが記憶に残っているが、本作はポン・ジュノにとって3作目のアメリカ製作の作品となる。それは前作「パラサイト」と比較されないように、大きく座組を変えたかったという意図もある気がする。オリジナル脚本ではない作品の映画化も、グラフィックノベル原作の「スノーピアサー」以来だし、原作は「ミッキー7」という小説で著者はアメリカ・ニューオーリンズ生まれのエドワード・アシュトンで、本作は韓国人監督ポン・ジュノ作品の中でもかなり”アメリカ映画”的な座組の一作だと思う。ただし映画から伝わってくるメッセージは体制と貧困層、格差社会など、ポン・ジュノの過去作に近いものがあるのは彼の”作家性”という事だろう。
主人公のミッキー・バーンズは友人のティモと一緒にマカロン屋を経営するが大失敗し、借金をした変態マフィアから逃げるために惑星ニブルヘイムの移住計画に志願するが、その宇宙船はケネス・マーシャル議員と妻イルファの夫婦が仕切っていた。契約書をよく読まなかった為に”エクスペンダブル”として使い捨てられることになったミッキーは、宇宙船に乗って4年かけてニブルヘイムに着くが、そこで人体実験や未知のウィルスによって何度も殺されるも、新しい体がプリントアウトされて生き返るという生活を送っていた。そして17番目のミッキーが惑星を探索しているところ氷の下に落ち、生命体クリーパーに襲われそうになるが、なんと逆に命を救われて基地に帰ってくる。だが部屋に帰るともう1人の自分であるミッキー18が既に作られていたのだった、というのが中盤までのストーリーだ。
正直、かなり”とっ散らかった”印象のあるストーリーだと思う。SF映画としてこの”死んでも何度も生き返る”、そして”複製された自分”に出会うというテーマは過去にも、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」「ハッピー・デス・デイ」「複製された男」「プレステージ」など多くの映画でも描かれていたし、地球から離れた未知の惑星で謎の生命体に出会うというプロットも、代表作「エイリアン」「ライフ」を始めとして多くのSFホラーでは典型的な展開だ。これらを一気に設定の中に突っ込んでかき回したようなポン・ジュノ新作は、どんな新しい物語を見せてくれるくれるのか?と期待したが、それぞれの要素がボンヤリと着地して終わってしまったという印象なのだ。どちらが本来の人間なのか?片方が行った犯罪は果たして二人の責任なのか?などの疑問が生まれる為に絶対に許されないという、複製された人間が同時に存在する”マルティプル”設定は面白く、物語上膨らんでいきそうだが実は本作ではそこまで触れられない。
ここからネタバレになるが、エクスペンダブルはオリジナルの正確なコピーではなく、なぜか泣き虫や優柔不断、攻撃的などの性格に個体差があるという設定も”なぜそうなるのか?”という部分まで踏み込んでくれれば、人体プリンティングというテクノロジーを通して人間の多面性の一端が描けそうで面白いし、せっかくナーシャとカイという二人の女性を登場させて、それぞれがミッキーに惹かれているという設定なら、17と18が違う女性と恋に落ちたらどうなるのか?など、この同じ人間が同時に二人いるという設定をもっと掘り下げて欲しかった気がする。ちなみに本作のミッキーは、終盤でメガネをかけた若い女性研究者から翻訳機をもらう時、「実は、私・・・」と告白されかけていたが、なぜか常にモテモテだ。ロバート・パティンソンが演じているのでそこまで違和感はないが、自己肯定感が低い設定の中でこのモテっぷりはやや謎に感じる。
またマーク・ラファロ演じるケネス・マーシャル議員とトニ・コレット演じる妻イルファは、元議員で2度の落選を経たあとに地球に見切りをつけて惑星移住を企むカルト教団のリーダーだが、赤い帽子の熱狂的な支持者たちが示すように、彼のモチーフとなった人物は明確だろう。あまりにナルシスティックで滑稽なうえに、他者を徹底して排除する無能な元議員と、いかなる時も”ソース”に強い執着を持つ権力者の妻の姿は”政治風刺的”だが、最悪の第47代アメリカ大統領が決まってしまった今となっては、彼を観ていると笑えるどころか暗澹たる気持ちになる。さらに日本人ならかなりの確率で感じるだろう「風の谷のナウシカ」のオウムに似た、惑星に先住していた生命体クリーパーとの共生というメッセージも、それほど目新しさを感じない上に展開も鈍重だ。この映画で137分の上映時間は長すぎるだろう。
子供の頃、車の赤いボタンを押したことで運転していた母親を死なせてしまったと思いこみ、今の自分に降りかかっている不幸はその罰なのだと思い込んでいるミッキー。だがラストはもう一度自ら赤いボタンを押し、人体プリンタを破壊することで「ミッキー・バーンズ」としての人生を取り戻すという本作は、ケネス夫婦の”コピー”が残っている可能性を示唆することで、若干ブラックな余韻も残しながら終わる。”同じ人間が二人いる世界”という、SFとしてもっと語って欲しいテーマにはそれほど踏み込まず、政治風刺や生物との共存など多くのメッセージを語ろうとして、やや中途半端な出来になってしまったというのが本作の印象だ。また”使い捨てられる人間”というのは、明確な資本主義の暗喩だと思うが、「パラサイト」では天から地へ落ちていく”雨”を通じて、富は金持ちから貧しい者たちへ流れていくのだという表現だったのに対して、本作ではあまりに直接的だったと思う(もちろんこれは原作ありきなのだが)。とはいえ深く考えず大作娯楽映画として観れば、映像のクオリティも含めて見応えもあるし、ロバート・パティンソン含めて役者も素晴らしい。ポン・ジュノ新作という色眼鏡を外して気楽に鑑賞すれば、面白い作品だとは思う。
6.0点(10点満点)