映画「サスカッチ・サンセット」を観た。
製作総指揮には「ヘレディタリー/継承」「ミッドサマー」「ボーはおそれている」のアリ・アスター監督が名を連ね、監督は「トレジャーハンター・クミコ」やテレビドラマ「THE CURSE ザ・カース」などのデビッド&ネイサン・ゼルナー兄弟監督が手掛けたドキュメンタリー風ネイチャードラマ。監督は10年以上の歳月をかけて完成させたらしい。出演は「ソーシャル・ネットワーク」「グランド・イリュージョン」などの出演や「リアル・ペイン 心の旅」で監督を務めたジェシー・アイゼンバーグ、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」「イット・カムズ・アット・ナイト」「ハウス・ジャック・ビルト」のライリー・キーオ、「ツイン・ピークス:リミテッド・イベント・シリーズ」のクリストフ・ゼイジャック=デネクなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:デビッド&ネイサン・ゼルナー
出演:ジェシー・アイゼンバーグ、ライリー・キーオ、ネイサン・ゼルナー、クリストフ・ゼイジャック=デネク
日本公開:2025年
あらすじ
北米の霧深い森で暮らす4頭のサスカッチ。寝床をつくり、食料を探し、交尾をするという営みを繰り返しながら、仲間がどこかにいると信じて旅を続けている。絶えず変化していく世界に直面しながら、生き残りをかけて必死に戦うサスカッチたちだったが、数々のトラブルが彼らを襲う。
感想&解説
「作家性が強い」という意味では、これ以上ないくらいに作家性の強い作品だと思う。映画には観客が観たいものを作り手が予測して用意する作品も、クリエイターが作りたいものを自由に作って観客の前に放り出す作品もあると思うが、本作は完全に後者だろう。完全にインディペンデントな制作会社と配給の元、監督であるデヴィッド・ゼルナーとネイサン・ゼルナーが子どもの頃に抱いた「ビッグフットへの憧れ」から生まれた作品らしい。特に実際のビックフットをカラーの8mmフィルムで撮影したという、1967年の「パターソン=ギムリン・フィルム」やUMA(未確認動物)を紹介するテレビ番組の衝撃がきっかけらしいが、確かにその愛情はこちらにもアリアリと伝わってくる。この映画はいわゆるハリウッド的なマーケティング手法では、絶対に採用されないし作られない企画だと思う。
全編、「サスカッチ=ビッグフット」だけしか登場せず、セリフやナレーションも一切ない。よってサスカッチという人間と猿の中間のような生き物が、唸り声を上げたり身振り手振りでコミュニケーションしている内容を、観客はある程度”想像”しながら観る事になる。しかも基本的には森の中だけが舞台となるため、美術や衣装といった要素もあまりないしVFXによる特殊効果もほぼないだろう。いわゆる一般的な映画作品のように”気の利いたセリフ”や、観た事もない美麗なショットやカメラワークが堪能できる作品ではない上に、ストーリー性も薄い。もちろんある程度の映画上の”展開”はあるが、伏線があったりキャラクターの心情描写がある訳ではないので、ストーリーの先が気になるというタイプの作品ではないのだ。よって、この映画はかなり人を選ぶタイプの作品だと思う。
ではまったく面白くないのか?と聞かれると、そうとも言い切れないという非常に奇妙な作品だ。映画は4体のサスカッチが食物を食べている場面から始まる。それぞれリーダー格のサスカッチ、そのパートナー的なメスサスカッチ、若干気弱そうなオスサスカッチ、身体の小さな子供サスカッチの4体なのだが、彼らは森の中でエサを取ったり毛づくろいをしたり、寝る場所を確保したりしながら生活している。しかも序盤からリーダーとメスサスカッチがセックスしているシーンもしっかりと描き、その結果メスサスカッチは妊娠する。ここからネタバレになるが、リーダーのサスカッチは性欲が旺盛でメスに交尾を迫るが断られ、目につく食べ物らしきものは何でも口に入れてしまうことで毒キノコを食べてしまい、何故かピューマに勃起して襲い掛かったことで返り討ちに遭ってしまう。本来の動物が取りそうな行動をさらに極端に描いているため、開始早々は下ネタの多さ(性器も丸出しだ)も含めてかなり面食らうし、あまり観た事のない”新鮮な映画”だと感じるのだ。
その後、夏となり3匹で旅を続けるサスカッチたちだが、木に「X印」が描かれていたり、舗装された道路を発見したりする。この時点で観客はこの世界にはサスカッチ以外の存在がいることや、人間の”文明の存在”を感じることになるのだが、なんと彼らに次の悲劇が襲う。川で丸太遊びをしていたオスサスカッチが、足を滑らせて水死してしまうのだ。彼らは定期的に木の棒をリズミカルに叩くことで、同じ種族を探していることが分かってくるのだが、本作のサスカッチはあまりに簡単に死んでしまう。枝や葉っぱを重ねて寝床を作ったり、3までではあるが数字を認識している描写があったので、ある程度の知能はあるのかと思ったが、彼らはトラブルに対しては極めて無能であり、種族としてあまりに弱く脆い。だからこの世界のサスカッチは、彼ら以外はほとんど存在していないのだと想像する。そしてまたしても「X」のついた綺麗に切断された丸太によって、人間の存在が濃厚になってくる。そして、あの問題のキャンプシーンだ。
完全に人工物であるテントやラジカセを見つけたメスとキッズの姿は、なぜかポスタービジュアルにも描かれているが、個人的にこれはネタバレしない方が良かったと思う。このシーンのインパクトが激減だ。その後ラジカセから流れるのは、イギリスのエレクトロバンド”イレイジャー”の「Love to Hate You」であり、この曲は1991年にリリースされた曲のために、このサスカッチたちが暮らす時代は1990年代前半なのかなと想像するが、なんとこの曲を聴いてメスサスカッチが涙を流すのだ。これは彼らに”人間的な感性”があることを示す場面だったと思う。メスサスカッチがオスからの交尾の要望に応えず、好戦的になるというシーンもあったが、この映画のサスカッチは知能は低いが極めて人間に近い存在として描かれる。その後、季節は冬となり、メスはジュニアと生まれたばかりの赤ん坊を連れたシングルマザーとなって旅を続けていく。そしてトラ挟みのトラップがあったり、赤ん坊が息をせずに死にかけたりしながら、彼らが迎えるラストシーンは北カリフォルニアのウィロー・クリークに実際にある「ビッグフット博物館」だ。
「ビッグフット博物館」には映画のとおりに巨大な像が立っているのだが、この実在する建物と映画上のキャラクターが同居するこのシーンが表現しているのは、「ビッグフット=サスカッチ」は本当に実在するのだという作り手からの”願望と希望”ではないだろうか。そもそも本作は、UMAに対しての強い愛情と憧れから作られた映画なのだ。本作に人間が一切出てこないのも、この映画ではシンプルにサスカッチ以外を”描きたくなかった”という意図だと想像する。本作は一貫してサスカッチ視点で描かれるため、人間を描いてしまうと、遭遇シーンや人間から見つからないように逃げるシーンなどを描かなくてはならず、必然的に尺が伸びてしまう。この映画は88分という上演時間も大きな美点だし、監督にとってはこれらは不必要な描写だったのだと想像する。人間に近い感性を持ちながら、トラブルに弱くすぐに死んでしまうサスカッチたちは絶滅寸前だが、それでも指に宿った精霊の声を聴きながら、この世界のどこかには存在しているのだという作り手の意志のようなものを感じるラストだった。
よって本作においては、人間が自然界を蹂躙しているのだといった崇高なテーマというよりも、作り手が愛するサスカッチを主人公に撮った、”ワガママ”なインディーズ映画という印象を受ける。そして本作は音楽が素晴らしい。” Octopus Project(オクトパス・プロジェクト)”というバンドが奏でるモード・ジャズとサイケデリック・ロックが融合したようなサウンドは、本作の世界観に完全にマッチしていたと思う。メスサスカッチを演じたエルビス・プレスリーの孫、ライリー・キーオが歌ったエンディングテーマ「The Creatures of Nature」も良い。正直、個人的にはまったく好みの作品ではなかったが、クリエイターが自分たちの好きなことをテーマに好き勝手に作った作品という一点で好ましいし、その点であのアリ・アスターがプロデュースしているのも納得の映画だった。
5.0点(10点満点)