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映画「アイム・スティル・ヒア」ネタバレ考察&解説 カエターノ・ヴェローゾが通奏低音のように流れる、家族の喪失を描きながら軍事独裁に一石を投じる骨太の政治ドラマ!

映画「アイム・スティル・ヒア」を観た。

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「セントラル・ステーション」「モーターサイクル・ダイアリーズ」などで知られるブラジルの名匠ウォルター・サレスが、「オン・ザ・ロード」以来12年ぶりに手がけた長編監督作。第97回アカデミー賞では「作品賞」「主演女優賞」「国際長編映画賞」の3部門にノミネートされ、結果的に「国際長編映画賞」を受賞した他、第81回ベネチア国際映画祭脚本賞を獲った政治ドラマ。マルセロ・ルーベンス・パイバの回想録が原作となっている。出演はブラジル出身の俳優フェルナンダ・トーレストーレスの実母であるフェルナンダ・モンテネグロ、「トラッシュ! この街が輝く日まで」のセルトン・メロ、その他ヴァレンチナ・ヘルツァジ、バルバラ・ルイスなど新鋭のブラジル人キャストが多く登場している。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。


監督:ウォルター・サレス

出演:フェルナンダ・トーレス、フェルナンダ・モンテネグロ、セルトン・メロ、ヴァンチナ・ヘルツァジ、バルバラ・ルイス

日本公開:2025年

 

あらすじ

1971年ブラジルのリオデジャネイロ軍事独裁政権に批判的だった元下院議員のルーベンス・パイバが、供述を求められて政府に連行され、そのまま行方不明となる。残された妻のエウニセは、5人の子どもを抱えながら夫が戻ってくることを信じて待つが、やがて彼女自身も拘束され、政権を批判する人物の告発を強要される。釈放された後、エウニセは軍事政権による横暴を暴くため、また夫の失踪の真相を求め、不屈の人生を送る。

 

 

感想&解説

本作「アイム・スティル・ヒア」は「セントラル・ステーション」「モーターサイクル・ダイアリーズ」などのウォルター・サレスが、「オン・ザ・ロード」以来12年ぶりに手がけた長編監督作であり、第97回アカデミー賞では「作品賞」「主演女優賞」「国際長編映画賞」の3部門にノミネートされ、結果的に「国際長編映画賞」を受賞した政治ドラマだ。ウォルター・サレスは中田秀夫監督「仄暗い水の底から」のリメイクである「ダーク・ウォーター」でメガホンを取ったり、フェルナンド・メイレレス監督の傑作「シティ・オブ・ゴッド」で製作総指揮を務めたりと、多彩な才能を発揮しているブラジル出身の映画監督だが、本作はウォルター・サレスのフィルモグラフィーにおいて、新たなマスターピースとなりそうな一本だったと思う。

本作は軍事独裁政権下のブラジルで起こった史実の映画化であり、元下院議員ルーベンス・パイヴァの拉致事件を起点にして、ルーベンスの妻エウニセの視点から5人の子どもたちとのその後の人生を描いていく作品だ。実際のルーベンスの息子であるマルセロ・ルーベンス・パイヴァによる回顧録を原作にしており、それを読んだウォルター・サレス監督が映画化を決めたらしい。サレス監督は実際にパイヴァ家と親交があったらしく、その記憶も映像化されていて、監督自身が「もっとも私的な作品になった」とコメントしている。1970年代における不安定なブラジルの政治状況を描きながらも、本作はあくまで”家族”にフォーカスされているのが特徴だろう。


本作の主人公は徹底的に、ルーベンスの妻エウニセに絞られている。ここからネタバレになるが、リオデジャネイロでの最愛の夫と家族との幸せな生活を描いた前半から一点、スイス大使誘拐事件をきっかけにして軍の制圧が強まったことにより、ルーベンスが軍に連行されてそのまま行方不明になってしまう展開から、観客はエウニセと一緒に”闇の中”に放り込まれる。何が起こっているのかがまったく理解できずに、夫が連行される理由も分からない。さらに翌日には目隠しをされた挙句にエウニセも収容所に連行されて何日も拘束されてしまうのだが、この訳もわからずに国家権力によって人権を奪われている状況は、ほとんどホラー映画のようだ。さらにこの間にもルーベンスの視点はまったく描かれず、彼が酷い目に遭っていることは収容所における周りの”音”だけで想像させる。そして、このシーンから映画は大きく方向転換を見せることになる。

 

 


対照的なのは、前半のレブロンのビーチ・エリアにおけるパイヴァ家族の描写だろう。マルセロが犬を拾うシーンから始まり、最初は反対しながらも結局はそれを受け入れてしまう両親には子供への愛が溢れている。妻への愛を躊躇なく言葉にするルーベンスとそれに愛情で応える妻エウニセ、さらにそれを見守る子供たちの姿は理想的な家族像だ。また本作は映画が始まった途端に、その”アナログ感”に目を奪われる。撮影は35mmフィルムが使用されていて、今のデジタル上映に慣れた目にはその独特の色合いと粒子感によって、猛烈にノスタルジーを掻き立てられる。また家族によって回される”スーパー8カメラ”の映像が差し込まれるが、これがさらに粒子が荒く、まるで彼らの”ファミリームービー”を観ている気分になる。この前半のシーンがあることで、パイヴァ家族が観客にとって”愛すべき対象”になり、後半との強烈なコントラストになっているのだ。


ロンドンに留学にするヴェロカはジョン・レノンに恋していて、ロンドンの街並みを「『欲望』のセットみたいだ」と表現するが、「欲望」はミケランジェロ・アントニオーニ監督による1967年の作品で、まさに1960年代中盤のロンドンを舞台にしているサスペンスだ。冒頭でルーベンスに「何を観に行った?」と聞かれた際に、彼女が答える作品が「欲望」だったが、この作品はカメラマンが主人公の”写真”をテーマにした映画だ。そしてこの「アイム・スティル・ヒア」も、”写真”と”記憶”についての映画だったと思う。全て写真撮影をするシーンは印象的に描かれていて、その時の家族の心情が文字通り”切り取られて”いる。序盤のルーベンスが連行される前の海岸での幸せな写真、そして雑誌に掲載するために撮影された、ルーベンスのいない”笑顔”の家族写真、そして弁護士となって活躍後にアルツハイマー認知症になってしまったエウニセとその家族たちとの写真。本作はこの写真がラストショットになるのだが、それぞれの時代におけるパイヴァ家族の姿は、決して風化させてはいけない記録と記憶なのだと思う。


そして本作のもう一つの大きな要素が音楽だろう。前半にルーベンスを連行するのと同時に家の中を荒らしまわる軍人が、レコード盤を見つけてしかめ面をする場面があるが、ここで映されるのがカエターノ・ヴェローゾの「イン・ロンドン」とキング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」というアルバムだ。カエターノ・ヴェローゾはブラジルの伝説的なアーティストだが、軍事政権の独裁に反対する左翼的スタンスだったこともあり、彼の作品はたびたび検閲に引っかかっていたようだ。その後、刑務所に収監されたこともありロンドンに亡命した後に発表したのが、この「イン・ロンドン」だ。だからこそ、彼のレコードがあることに軍人は反応したのだろう。ちなみにキング・クリムゾンイングランドプログレバンドであり、長女ヴェロカの影響で、当時のパイヴァ家にはイギリスの文化が色濃かったのかもしれない。ヴェロカの手紙にも亡命中のカエターノに出会ったという一文があったが、本作では作品のテーマとカエターノ・ヴェローゾというアーティストの存在が大きくリンクするため、彼の楽曲が特にフィーチャーされている。


政治色の強い実話ということもあり、映画の内容としては禁欲的なまでに淡々と演出されているし、エンターテインメント性は低いのでかなり地味な作品だと思う。ただ本国ブラジルでは大ヒットしている上に、世界中で評価されているのは、軍事政権および軍隊による抑圧に対する恐怖があるからだろう。戦争が続き独裁者が跋扈している不安定な世界において、この映画で描かれていることは決して他人事ではないと思う。配役も若き日のエウニセを演じたフェルナンダ・トーレスの演技は素晴らしかったし、老年期のエウニセを演じたのは彼女の実母であるフェルナンダ・モンテネグロらしく、非常に気の利いたキャスティングだった。ウォルター・サレスの完全復帰作だった本作は、数年後にも評価され続ける普遍的な一作になっていたと感じる。

 

 

7.5点(10点満点)