映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「カメラを止めるな!」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

カメラを止めるな!」を観た。

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監督:上田慎一郎

出演:濱津隆之真魚しゅはまはるみ、長屋和彰

日本公開:2018年


監督・俳優養成スクール「ENBUゼミナール」の「シネマプロジェクト」第7弾として製作された制作費300万、新人監督、無名俳優で作成されたにも関わらず、今年を代表する話題作となった本作。とにかくその勢いは社会現象になるくらいで、監督が2013年にPEACEという劇団の「GHOST IN THE BOX!」という舞台を見てインスパイアを受けて作った作品らしいが、最近も盗作騒動でメディアを賑わせていた。公開は6月下旬に都内2館のみの公開だったのだが、3ヶ月経って公開規模が拡大された事を機に、今回鑑賞。大ヒット作品だし、既にネット上でも感想が溢れているが、一応感想をネタバレありで。

 

あらすじ

とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。本物を求める監督は中々OKを出さずテイクは42テイクに達する。そんな中、撮影隊に本物のゾンビが襲いかかる!大喜びで撮影を続ける監督、次々とゾンビ化していく撮影隊の面々。映画史をぬり変えるワンカットゾンビサバイバル!?

 

感想&解説

普段、映画を観ない友人や知り合いから「カメラを止めるな、は観た?」と聞かれる事が多く、「観てない」と伝えた時の驚かれぶりからさすがに逃げ場がなくなった為、今回やっと鑑賞。どうやら観た人はこの作品について深く語りたくなるようで、なるほど鑑賞後それも理解できた。これは最後まで観る者の想像の上を行く脚本の展開により、観客が作り手の手の平で踊らされた感覚が楽しいという、新しいタイプの映画なのだと思う。そして、それは非常に上手い構成と脚本によって成立しているのは間違いない。


本作のメインジャンルは、いわゆる「内幕ものコメディ」と言えるだろう。一般の人が普段は見れない組織や運営の裏側を描く作品の事で、映画制作やラジオ放送の内情をテーマに描くような作品は、フランソワ・トリュフォーアメリカの夜」や三谷幸喜ラヂオの時間」、アレハンドロ・G・イニャリトゥ「バードマン」に代表されるように、それほど珍しいタイプのジャンルでは無い。だがこの作品が突出して面白いのは、まず全力で「低予算インディゾンビ映画」をワンカットで観せきった後に、その作品の撮影裏側を改めて観客に提示するその構成にある。


最初は冒頭のインディ・ゾンビ映画ノーカット37分を観ている時に感じる「違和感」が、僕らが普段低予算映画を観る時に感じる感覚と相まって、微笑ましくも「これはインディ作品ゆえに仕方ないか」という感情を産む。具体的には、異様に登場人物同士の会話の間が悪かったり、いきなり場面と関係ない趣味の事を話し始めたり、ゾンビ役の動きが変だったり、女優の絶叫シーンが不自然に長過ぎるといった部分だ。「編集無しのワンカットで撮っていれば、これくらいのミスや不自然さはあるよな」と思いながら上から目線で観ていると、後半その感情をせせら笑うように、その違和感全てに見事なアンサーが用意されており、そこに驚き感動する仕組みなのだ。


この作品は三幕構成で、一部は作中ゾンビ映画を観せ、二部はゾンビ映画を撮るに至った経緯を描き、三部はゾンビ映画制作中の内幕を描く。その三部こそがこの作品のメインなのだが、ここで一部に感じた違和感の理由が劇中スタッフのドタバタと共に描かれる。これがただの後付けの理由に留まらず、しっかりとコメディ演出が施されていて笑える上に、伏線回収として非常に上手いのである。ここで観客は「あー、あの不自然さはこういう理由だったんだ」と溜飲を下げたうえに、目一杯笑う事が出来る。最近、こんなに劇場で笑い声が絶えなかった作品は無かったと思う。


そして、もう一つこの作品の素晴らしいところは「一生懸命に物作りをする人たちの姿」を真摯に描く点だ。低予算の現場で、ギリギリの困難やトラブルに遭遇しても、全てのスタッフ達が汗をかいて撮影を続ける姿は、否応無く感動を呼ぶ。その最たるシーンが、ラストの人間クレーンだろう。作品のビジョンを具現化する為に、スタッフ一同が力を合わせるという、文字にするとなんでもないシーンが、これまでの過程を知っている観客にはとてつもない感動を呼ぶシーンとなるのである。まるでこの撮影クルーの一員になった様な気分で、手に汗握りながらスクリーンを眺めている自分に気付くのだ。


そして大団円から始まるエンドクレジット。実際、この「カメラを止めるな!」を撮影しているクルーの姿を捉えたショットにスタッフロールが重なるのだが、これが更に感動を呼ぶ。ノーカット37分のゾンビ映画を実際に撮影している彼らは走り回り、転び、息を整え、また走り出す。プリミティブな映画作りへの熱意が画面から迸っているのだ。そして劇場が明るくなる頃、素直に面白い作品を観たという満足感で満たされる。これ以上豊かな映画体験があるだろうか。


正直、この手法の映画はしばらく登場しないだろう。ある意味で飛び道具的な見せ方と演出の作品である為、この作品のコンセプトそのものを真似る事は難しいからだ。それほど、エポックメイキングな作品となった本作は、ハリウッドの巨大バジェット作品の大多数を抜き去り、2018年を代表する一本になってしまった。正直、僕も天邪鬼にならずもっと早く鑑賞しておけば良かったと深く反省している。今更ながらで恐縮だが、世評と同じく「カメラを止めるな!」はまごう事ない大傑作だと思う。

「リグレッション」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

リグレッション」を観た。

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監督:アレハンドロ・アメナーバル

出演:イーサン・ホークエマ・ワトソンデヴィッド・シューリス

日本公開:2018年


アザーズ」「海を飛ぶ夢」のアレハンドロ・アメナーバル監督が手がけた、7年ぶりの長編。1997年の監督作「オープン・ユア・アイズ」の出来に惚れ込んだトム・クルーズが、キャメロン・クロウ監督でハリウッド・リメイクした2001年「バニラ・スカイ」の公開時に、アメナーバル監督の名前を初めて聞いたと記憶しているが、本格的にその名を轟かせたのは、2002年の監督作「アザーズ」であろう。ニコール・キッドマン主演の上品かつ静粛なホラー作品で画面のダークな色調、フレーミング、役者たちの演技などのレベルが軒並み高く、今だに好きな作品である。そのアレハンドロ・アメナーバルが久しぶりに監督したR15+のスリラー作品という事で、都内でも1館だけという公開規模だったが、早速鑑賞してきた。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

1990年、アメリカ・ミネソタ。刑事のブルース・ケナーは、父親の虐待を告発した少女アンジェラの事件を取り調べることになるが、訴えられた父親もどこか記憶が曖昧だった。著名な心理学者に協力を仰いで、催眠療法により真相究明を進めるブルース達は、アンジェラたちの記憶をたどっていくうちに事件が単なる家庭内暴力では無く、悪魔崇拝者による儀式が関連している事に気づき、町の各所で起こっているほかの事件との関連を調べ始める。やがてブルースは、この事件に秘められた恐ろしい闇に迫っていく。

 

感想&解説

イーサン・ホークエマ・ワトソンが主演、アレハンドロ・アメナーバルが監督という事で、そもそもの期待値が高い状態だったのは否めないが、観終わった後のガッカリ感は半端無い。劇場全体もそんな感じで、割と年配の観客たちがトボトボと席を立って退場していく姿が印象的だった。映画を観ながら、「こういうストーリーのオチだと嫌だな」と思う時があるが、本作は正にそれが的中した悪い例だろう。


まず良かった点から。「アザーズ」もそうだったが、画面のクオリティは高いと思う。悪夢的なビジョンを観せる手腕は確かで、不穏なBGMと相まって、非常にホラー的で不気味な演出が良く出来ている。主人公のイーサン・ホーク演じるブルースが、悪魔崇拝者たちによって段々と追い詰められ、精神的に異常を来してくる姿は説得力があったし、良く出来ていた。オープニングの演出も洒落ていたし、実際終盤まではかなり楽しく鑑賞できたのは、この画面クオリティと演出によるものだと思う。


しかしながら、こういうスリラー作品はどのように作品を着地させるか?というオチが非常に重要になる。残念ながら、それが本作に関しては決定的にダメで全く擁護できない。ストーリーはエマ・ワトソン演じるアンジェラが、父親から性的虐待を受けていたと告白するところから始まる。だが父親はその記憶が曖昧で、心理学者の催眠療法によりその記憶を呼び覚ますと、刑事ブルースの同僚ジョージが悪魔崇拝者の一味で、犯罪に関与している事が発覚する。そこからアンジェラの兄ロイも団体の被害者であり、父親や祖母、ジョージが悪魔崇拝者の団体として、集団で強制淫行や殺人を犯していると考えたブルースは、常に身の危険を感じ始めて精神を苛まれていく、という話の流れなのだが、この「悪魔崇拝」と「催眠療法」という、映画として非常に取り扱い注意のワードが、やはり今回もダメな方向にストーリーを進行させている。


乱暴にオチを書いてしまうと、自殺した母親の復讐の為、全てエマ・ワトソン演じるアンジェラが嘘をついており、父親は娘に責任を感じて逮捕される事を望み、悪魔崇拝のビジョンは世の中に広がる恐怖と催眠療法が見せた集団ヒステリーで、いわゆる「思い込み」だったと言うのだ。思い込みって、さすがにこのオチの雑さにはビックリしてしまった。しかも、エマ・ワトソンは最初から薄幸の美少女過ぎていかにも怪し過ぎるし、このキャスティングでエマ・ワトソンが悪役というのは、あまりに捻りが無さ過ぎる。


悪魔崇拝」や「カルト」といった、キリスト教を強く信仰する文化独特の感覚で、アメリカではこのオチに説得力があるのか?と調べてみても、やはり向こうでも低評価の大コケだったようだ。しかも2015年と3年前に公開されていて、あまりのクオリティの低さに配給会社が決まらず、日本公開も難航していたのかもしれないと勘繰ってしまう。ここまでの作品だとイーサン・ホークエマ・ワトソンも、何故出演したのかが不思議なくらいである。アレハンドロ・アメナーバル監督の久しぶりのスリラー作品として期待が高かったが、一旦「思い込み」でこの作品の事は忘れたいと思う。巨匠の才能が枯渇していない事を、次回作では是非証明して欲しい。

「ザ・プレデター」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

ザ・プレデター」を観た。

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監督:シェーン・ブラック

出演:ボイド・ホルブルック、ジェイコブ・トレンブレン、オリヴィア・マン

日本公開:2018年


1987年の「プレデター」は、アーノルド・シュワルツェネッガー主演、ジョン・マクティアナン監督の傑作だったが、その後の1990年の「2」から「エイリアンVS.プレデター」「AVP2」、2010年「プレデターズ」まで、作品を追うごとにどんどんとパッとしない作品が続くシリーズになってしまっていたと思う。そこで、8年ぶりの「プレデター」最新作が公開になったのだが、なんと今回は「アイアンマン3」や、なによりあの2016年「ナイスガイズ!」でメガホンを取ったシェーン・ブラックが監督を勤めるという事で、個人的にはかなり期待値が高い一作であった。という訳で、さっそく初日に劇場に駆け付けたのだが、感想はどうであったか?今回もネタバレありで。

 

あらすじ

一人の少年が起動させてしまった謎の装置。そこから発信されたのは宇宙で最も危険なハンターを呼び寄せる、人類にとって最悪のシグナルだった。かつて人類を恐怖のどん底に突き落とした一人の異星人。比類なき格闘センスと圧倒的キル・スキル、そして侍を彷彿とさせる武士道を持ち合わせた超好戦的ハンター、その名はプレデター。ヤツは、より強く、賢く、他の種の DNA を利用して遺伝子レベルでアップグレードして再び我々の前に姿を現す!絶滅必至の人類に果たして生き残る道はあるのか?そして突如現れた、アルティメット・プレデターの正体とは?

 

感想&解説

さすがに一作目と比べるのは可哀想だと思うが、とはいえ他のシリーズ作品と比べてみても、本作はかなり厳しい出来ではないだろうか。褒められるのはレーティングがR15+なので、かなりゴア描写を攻めている事くらいで、あとは脚本から演出までなんとも凡庸な作品になってしまっている。画面は動き回り、VFXを駆使した派手な演出が続くのだが観ていて一向に心が弾まないのだ。


プレデターが落としたボールのような道具を拾った主人公が突然、身体が透明になるステルス技術を映画冒頭から使えるようになるなど、今までガジェットのお陰だとは言え、プレデターの特殊能力だと思っていた事があの妙なボールのおかげだと判明してガッカリしたり、何故かプレデターが犬(のような生物)を飼っていて、これが中途半端に人間を救ったりと、プレデターという得体の知れない好戦民族という設定が、どうにも矮小化されてしまった印象でいただけない。しかも、ある程度の限定空間で見えない相手と戦うからプレデターなのに、今回はただの画面暗めのドタバタアクション映画になってしまっている。


人間側のキャラクターも魅力不足で、息子のローリーはいきなりプレデターの装置を臆さず操作し出して、何故か仕組みを理解してシグナルを出してしまうし、女性進化生物学者であるはずのオリヴィア・マンは軍人顔負けで銃を構えてプレデターと対峙するし、護送中に知り合っただけの退役軍人たちが、全員仲良しチームになって命を張って戦うし、主人公はそもそも全く華がない兄ちゃんだし、あまりに都合良すぎであり設定がペラペラだ。


プレデターのキャラに関しても然りで、プレデターは戦闘的な者だけを狩り、正々堂々と戦った者には敬意を払うという「武士道」精神があったはずだがそれは描かれずに、挙げ句の果てには「プレデターキラー」なる道具で、人間を助ける為に地球に来たというオチにはかなり失望した。そもそもアルティメットプレデターというデカいプレデターとの対決にもアッサリ負けてしまうし、あの神聖で強敵だったプレデターはどこへ?といった感じである。そして、あの笑劇のラストシーンには嫌な予感しかしない。プレデターキラーというガントレットを嵌めると、自らもプレデターみたいな外見になり、それを見た主人公が「俺が着る」みたいな事を言って映画は終わるが、もう勝手にしてくれである。誰が戦隊モノの様な人間対プレデターの戦いが観たいのであろうか。何か本質的な部分でこのシリーズの良かった部分が、失われてしまった気持ちになってしまった。


一作目、灼熱のジャングルで殺した獲物の皮を剥ぎ、逆さに吊るす残虐性を観た時、赤外線探知で相手の場所が解るという設定を観た時、シュワルツェネッガー素手である事を知ったプレデターが、自ら武器とヘルメットを捨て素顔を晒した時、また傷を負ったプレデターが医療キットで治療する際に痛みに吠えるのを観た時、その造形を含めて「恐ろしいがカッコいい」という奇跡のバランスに魅了されたものだ。だが、残念ながら本作にはそれが全て無い。シェーン・ブラック監督の資質は、このプレデターという強いキャラクター性を持った作品には向いていなかったようである。個人的には、もうプレデターシリーズは終わりにしても良いのでは?と思わせるほどの凡作だったと思う。残念である。

「アントマン&ワスプ」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

アントマン&ワスプ」を観た。

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監督:ペイトン・リード

出演:ポール・ラッドエヴァンジェン・リリー、マイケル・ダグラスマイケル・ペーニャ

日本公開:2018年


MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)シリーズでは通算20作目。2015年に製作された「アントマン」の3年越しの続編である。前作の雰囲気を踏襲したコメディSFアクションといった作風で、「アントマン」の続編に期待する要素は全て詰まっていると言って良いだろう。最後にも記載するが、やはり基本的にはMCUのファン向け作品だと思うので、今回はあっさりと感想を。ネタバレありなのでご注意を。

 

あらすじ

バツイチ、無職、前科持ちで、離れて暮らす愛娘だけが生きがいのスコット。あるスーツを手に入れたことで、身長 1.5cm の最強ヒーロー「アントマン」なったものの、ある大事件をきっかけに FBI の監視下に置かれることになる。そんな頼りない彼を支えるのが、アントマンの開発者ピム博士の娘、ホープ。彼女もまた父の開発したスーツと脅威の身体能力で、完璧ヒロインのワスプに変身する。まったく正反対のふたりの前に、すべてをすり抜ける神出鬼没の謎の美女ゴーストが現れ、ピムの研究所が狙われる。

 

感想&解説

あの名作「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」公開から約4ヶ月。早くもMCUの新作「アントマン」の続編が公開となった。時系列的には「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」の直後で、アントマンキャプテン・アメリカチームとして戦い、ソコヴィア協定違反で逮捕されて保護観察処分の状態からストーリーは始まる。


あまりにダークな作風だった「インフィニティ・ウォー」とは対照的で、基本的には明るく軽いタッチの作品でコメディ演出がベースになっている。その為、全く気構えずに2時間楽しく鑑賞出来るし、主演のポール・ラッドも良い意味で気の抜けた演技とセリフで笑わせてくれる。特に脇役のマイケル・ペーニャが最高で、自白剤を打たれて早口でまくし立てるシーンや、全編に亘って状況が飲み込めてない感じなど、存在だけで面白いキャラクターとして存在感があったと思う。


アクション演出は、基本的にアントマンの「小さくなったり大きくなったり出来る」という特徴を活かしたもので、これだけでも他作品と差別化されたシークエンスが沢山あって見応えがある。さらに今回は「ワスプ(スズメバチ)」の要素である「飛べる」ことも大きな要素になっており、よく観るありきたりなカーチェイスもこれらの要素が加わるだけでかなりフレッシュなシーンになっていると思う。「素粒子」とか「量子のもつれ」とか「量子力学」とか、劇中ではもっともらしい言葉が並ぶが、このあたりの専門知識は基本的に必要ない。ハンナ・ジョン・カメンが演じる「ゴースト」という今作におけるヴィランの小物感は如何ともしがたいが、ある意味では本作の小さなスケールのストーリーには合っているかもしれない。コメディ要素の強いライドアクション映画として、子供が観ても楽しめる作品になっていると思う。


だが、今作において最も波紋を呼ぶ要素としては、恐らくラストシーンの「あれ」だろう。もちろん「インフィニティ・ウォー」のラストシーンで、アベンジャーズのメンバーが次々と消えた「あれ」である。ラストシーン、アントマンは量子トンネルでヒーリングエネルギーを集めに量子の世界に入り込む。外の世界ではホープとハンク博士、ジャネットが残っていたのだが、地上に戻るカウントダウンの最中に彼らは全員消えて、なんとアントマンは量子の世界に取り残されてしまうという展開になる。


今まで記したように基本的に本作は明るく能天気な作風で進んでいたし、悪役も含めてハッピーエンドだったにも関わらず、ここだけいきなりダークで救いのないシーンになるので、このギャップで本当に後味が悪い。今まで感情移入して応援してきたメインキャラたちが、映画の最後で(この作品の中では)なんの脈絡もなく消えてしまうのである。このシーンがあるせいで折角MCUの中では、初心者向けで単体でも楽しめた「アントマン&ワスプ」という作品が、一言さんお断りの「いつものMCU作品」になってしまった。同じ演出を狙うにしても、もう少し描き方があったのではないかと思うのだが、最後にこの作品のトーンを決定付けてしまう場面を入れたのは、非常に残念な決断であったと思う。


やはりMCUシリーズは2019年公開「アベンジャーズ4(仮)」まで、このまま走り抜けるのであろう。この「アントマン&ワスプ」の着地を観る限り、良くも悪くも完全にファン向けのシリーズになっているので、「アベンジャーズ4(仮)」は今までのMCUファンが最大限楽しめる作品になっていると思いたい。本作「アントマン&ワスプ」も、ラストシーン以外は楽しい快作であったと思う。

「タリーと私の秘密の時間」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

タリーと私の秘密の時間」を観た。

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監督:ジェイソン・ライトマン

出演:シャーリーズ・セロン、マッケンジー・デイヴィス、ロン・リヴィングストン

日本公開:2018年


JUNO/ジュノ」「マイレージ、マイライフ」「ヤング≒アダルト」といった、小品ではあるが優れた作品を輩出してきた、ジェイソン・ライトマン監督が、再びシャーリーズ・セロンとタッグを組んだヒューマンドラマ。脚本はライトマンと3度目のコラボとなるディアブロ・コーディ。今作は彼女自身が経験した体験を脚本化しているらしく、子育てに関しての細かいシーンが非常にリアルに描写されている。シャーリーズ・セロンがなんと18キロもの増量をし、役作りをした事も話題になった。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

マーロ(シャーリーズ・セロン)はまだ幼く手がかかる姉弟の世話でバタバタな日々の中、さらに娘を出産する。息子のジョナは学校でもうまく溶け込めず、赤ちゃんのお世話も重なりマーロは毎日疲れ果てていた。ストレスで激太りし、赤ちゃんの夜泣きに疲弊しながら、段々と自分を見失うマーロ。自ら限界を感じたマーロは夜間専用の子守タリー(マッケンジー・デイヴィス)を雇う。タリーは若く理想的な子守で、家事も完璧。そんなタリーとの間に不思議な絆を感じるマーロだったが、昼間の生活を語らない彼女にはある秘密があった。

 

感想&解説

本作は観る人の性別や置かれている環境によって、キャラクターへの感情移入度に差が出やすい作品だと思う。特に女性で、しかも子育ての経験がある方には主人公マーロの気持ちが痛いほどわかるのではないだろうか。前半の産まれたばかりの赤ちゃんの夜泣き、オムツ替え、授乳などの一連を同じテンポで観せる編集は、その終わらないエンドレス感や倦怠感を上手く表現していて面白い。本作はよくある数多の作品の様に、赤ちゃんが産まれたばかりのこの時期を、母親にとっての「輝かしい時間」だけだとは決して描かないのである。


また長男のジョナを精神的に不安定な設定にする事で、映画を観ている観客もかなりストレスが溜まる演出になっていて、「子育ては大変だ」と直接的に感じられる作りになっている。ジョナと母マーロが一緒に車に乗っている一連のシーンは特にイライラさせられて、マーロのストレスが爆発しそうなタイミングで突然、車外の俯瞰ショットを入れる編集など映画的にもとても気が利いている。


更にこの主人公のマーロを演じるのが、シャーリーズ・セロンというのもミソで、あの彼女がこれほどに疲労困憊してフラフラになるのかと、作品は違えど「マッドマックス 怒りのデス・ロード」や「アトミック・ブロンド」で見せた「強い女」いうイメージが逆に作用して、子育ての過酷さを浮き彫りにする。本作のシャーリーズ・セロンも息子の校長に怒鳴ったりと、決して弱いキャラクター設定では無い為に、余計に彼女の苦悩が感じられるのだ。


この作品にはラストにあるオチがつく。それは夜間専用の子守であるタリーの「正体」についてである。正直、今作最大のネタバレはポスターなのだが、実はこの若いのに完璧に家事と育児をこなすタリーは、マーロが作ったもう一人の自分、いわば幻影だ。今年扱った作品の中でも、ロマン・ポランスキー監督の「告白小説、その結末」も同じような着地だったが、いわゆる「ファイトクラブ」型の結末で、もはや手垢のついたオチと言わざるを得ない。だが、この映画に限ってはあまりこのオチの新鮮さについての非難は意味がないと思う。なぜなら「意外な結末」に頼った作品ではなく、明確に描きたいテーマがあり、それを語る為の手段としてこのオチを選択している作品だからだ。


最初にこのタリーについて違和感を覚えるのは、マーロとタリーが寝ている旦那を誘惑するシーンだろう。マーロが持っていたウエイトレスの制服を着て、マーロが見ている前でタリーが夫に迫るのだが、カットが変わり朝のシーンになると夫が「最高だった」とマーロに告げる。これはどう考えても「最後までした」いう事だと思うが、初見はさすがにマーロとタリーに友情が芽生えていたとはいえ、これはないだろうと思い疑問だったがこれも伏線だったという訳である。マーロは過度な寝不足と不安定な精神状態からもう一人の自分を作り出し、彼女に肉体的にもそして精神的にも頼る事で、現実逃避をしていたのだ。よって、実際には全てマーロが育児を行っていた訳だが、そんな無茶な生活が長続きする訳もなく、遂には自動車事故を起こして全てが発覚する。そして家庭を蔑ろにしていた旦那が彼女に対して反省し、物語は終わる。


この映画は、二つのテーマを描いていると思う。ひとつは女性がどれほど日々のストレスに追い込まれながら子育てをしているか?また家族の協力が子育てにとってどれほど大事か?である。夫が二階のベッドルームで、子供や奥さんを放ったらかして、へッドフォンでゲームに興じるシーンが顕著だが、このへッドフォンが映画のラストシーンでは、マーロと半分ずつのイヤフォンで音楽を聴きながら、皿洗いをするというシーンと対比になっていて、演出的にも上手いと思った。また、マーロとタリーの会話(独り言)に何故、夫が気付かないのか?という疑問へのエクスキューズとしても、このヘッドフォンは作用している。そして、もうひとつテーマは「女性が歳を重ねるという事」だろう。


若いタリーは10年前の自分と理想がハイブリッドされた姿だ。自由で活力に溢れ、怖いものがなく、スタイルだって抜群で美しい。そして三人の子供を産んだマーロは、その全てを失ったと思っている。日々に疲れ果て、時間に追われ、容姿を気遣うヒマもない。(ちなみに今作のシャーリーズ・セロンは18キロの増量とノーメイクで、あの美しさは見る影もない。すごい女優魂だ。)物語の後半、思わずマーロはタリーにこう告げる。「20代は最高よ。でもゴミ収集車みたいにすぐ30代がやってくる」。だが、タリーは「平気。平凡な毎日の繰り返しが一番幸せなのよ」と返す。映画の中盤で、タリーは寝室に行こうとするマーロに「赤ちゃんにキスをして。明日のこの子はもう今日とは違うんだから」と言う。1日ずつ子供は成長するという意味だと思ったが、よく考えればこれは大人にも当てはまる。何気ない日常を重ねて、一日一日歳を取りながら人生を過ごせる事は、実は幸せな事だとこの作品は告げているのだ。オープニングとエンディングは同じシチュエーションのシーンだが、息子ジョナが取る母マーロへの対応の対比がこの作品のテーマを浮き彫りにしていると思う。


全体を通してやはりジェイソン・ライトマン監督らしい、愛すべき佳作だった。印象的なセリフも多く、シャーリーズ・セロンを筆頭に役者の演技の質も高い。特に同じ経験を経た女性にとっては、人生ベスト級に好きな作品になるかもしれない。ただし、あまりにリアルな生活描写と女性の感情を描いている為、男性は奥さんと鑑賞すると若干気まずい思いをするかもしれないが。