映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

エンタメ系会社員&バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。劇場公開されている新作映画を中心に綴っていこうと思います。

「キャプテン・マーベル」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

キャプテン・マーベル」を観た。

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監督:アンナ・ボーデン、ライアン・フレック

出演:ブリー・ラーソンジュード・ロウサミュエル・L・ジャクソン

日本公開:2019年


マーベル・シネマティック・ユニバースMCU)シリーズの第21作目。これで4月にいよいよ公開となる「アベンジャーズ/エンドゲーム」の登場キャラが全て出揃った訳である。正直MCUやらDCコミックスが乱立していてアメコミ映画は食傷気味だが、今までMCU作品を追いかけてきた身としては観に行かざるを得ない。今作はMCU初の女性主人公キャラということで、何故か本国アメリカでは公開前から異常なバッシングを受けたらしい。出演は2015年「ルーム」のブリー・ラーソン他、「シャーロック・ホームズ」シリーズのジュード・ロウ、出演作はもはや説明不要のサミュエル・L・ジャクソンなど大変に豪華である。監督はアンナ・ボーデンとライアン・フレックで、ほぼ大作経験のない2人に白羽の矢が立ったのだが、特にアンナはこちらもマーベル初の女性監督という事で、かなりウーマンパワー全開の作品となっている。今回もネタバレ全開なので、ご注意を。

 

あらすじ

1995年、ロサンゼルスのビデオショップに空からひとりの女性が落ちてくる。彼女は驚異的な力を持っていたが、身に覚えのない記憶のフラッシュバックに悩まされていた。やがて、その記憶に隠された秘密を狙って正体不明の敵が姿を現わす。後にアベンジャーズ結成の立役者となるニック・フューリーも登場し、アベンジャーズ誕生のきっかけとなるヒーローの始まりが明らかにされる。

 

感想&解説

あまりアメコミには詳しくないのだが、どうやら「キャプテン・マーベル」とは、そもそも男性キャラが名乗っていたネーミングらしい。そして今作の主人公キャロル・ダンバースはその恋人で、キャプテン・マーベルと共に起こった事故をきっかけにスーパー・パワーを身につけたという設定のようだ。そこでキャロルは1970年代には「ミズ・マーベル」と名乗っていたが、死亡した彼氏の代わりに活躍し、2012年から彼女自身が「キャプテン・マーベル」と名乗るようになったという経緯のようである。「マーベル」のキャプテンなのだからさぞかし強いのだろうと思っていたが、これが予想を遥かに上回る強さで笑ってしまった。


このキャプテン・マーベルがとにかく無双状態で大暴れする作品なのだが、大きく作品は2パートに分かれる。前半は記憶喪失だがなぜかスーパーパワーを持っている主人公が、今後「アベンジャーズ」を結成することとなる若き日のニック・フューリーとコンビを組み、自らの記憶を探りながら冒険する前半~中盤の展開。そして真の敵が発覚し、能力を覚醒したこのキャプテン・マーベルさんが向かうところ敵なしで大立ち回りを行う終盤という構成なのだが、最初は味方だと思っていたジュード・ロウ率いるクリー星人が、実は敵でしたという展開はあまり過去のMCUシリーズにはないパターンで、シナリオもツイストがあり面白い。


また主人公は、劇中2回の進化を遂げるのだが、当初のキャロルは普通の人間で子供時代からスポーツや空軍の訓練に関して、男達から「女には無理だ」と言われ続けてきた過去が描かれる。その彼女が「コア」なるエネルギー源を浴びる事により、超人的なパワーを手に入れる最初の進化。そして終盤の絶体絶命の際に、前述の「女には無理だ」というシーンと重なって覚醒する2回目の進化である。その覚醒後、弾道ミサイルを弾き返すわ、ジュード・ロウなど一瞬で吹っ飛ばすわのカタルシスシーンの数々は、明らかにこれまでの女性たちが抑圧されてきた過去を「フィジカル」に、文字通り木っ端みじんにする、現代のアメリカの女性像を表現していると思う。それはキャプテン・マーベルの最後の戦いに赴く時の衣装が、「緑と黒」から「赤と青」にチェンジする事からも明確だ。ここにこの作品の強いメッセージと価値がある。


ニック・フューリーが「アベンジャーズ」を結成する流れや、例の眼帯はネコに引っかかれたのだとか、「アベンジャーズ・エピソード0」的なファンムービーとしても楽しめるだろうし、個人的にはスマッシング・パンプキンズの95年名盤「メロンコリーそして終りのない悲しみ」のポスターや、ナイン・インチ・ネイルズのフェイクTシャツ、ニルヴァーナ「Come As You Are」、ノーダウト「Just A Girl」、ガービッジ「Only Happy When It Rains」の楽曲など、90年代グランジロックへの目配せが微笑ましかった。またレンタルビデオ屋の「トゥルーライズ」の看板や、「ライトスタッフ」のビデオパッケージなどの映画小ネタも楽しい。


アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」の最後は非常に陰惨な結末だったが、このキャプテン・マーベルが参加すれば、あのサノスも敵ではないだろう。それくらい彼女は、最初の天下一武道会スーパーサイヤ人が現れたくらいのインフレを感じさせる能力の持ち主である。2017年「ワンダーウーマン」から始まった圧倒的に正しくて強い女性ヒーローに、MCUからも真打ちが登場したと言って良いだろう。逆に「アベンジャーズ」内のパワーバランスが心配になるが、だからこそこのタイミングでの映画化なのだろうと考えると、ディズニーの企業戦略には色んな意味で背筋が凍る思いだ。「20世紀フォックス」をディズニーが買収したらしいが、X-MENデッドプールもこれでディズニー傘下になった訳で、キャプテン・マーベルの圧倒的な強さは、まるで今のディズニーを観ているようだ。だがアメコミ映画もあまりに飽和状態だろう。次の「アベンジャーズ/エンドゲーム」を持って、そろそろ次の局面を迎えるタイミングの様な気がする。

「運び屋」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「運び屋」を観た。

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監督:クリント・イーストウッド

出演:クリント・イーストウッドローレンス・フィッシュバーンブラッドリー・クーパーマイケル・ペーニャ

日本公開:2019年


巨匠クリント・イーストウッドの最新作。前作「15時17分、パリ行き」から一年足らずでの新作なので、相変わらずのハイペースぶりである。イーストウッド自身も主演しての監督作では、2008年「グラン・トリノ」以来なので約10年ぶりらしい。本作は87歳の老人がひとりで大量のコカインを運んでいたという、実話をもとに作られたヒューマンドラマだ。共演は「アメリカン・スナイパー」のブラッドリー・クーパーや「マトリックス」のローレンス・フィッシュバーン、「アンタッチャブル」のアンディ・ガルシアらと非常に豪華。全米興行収入も1億ドルを突破して、久しぶりのヒット作となっているようだ。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

87歳のアール・ストーンは仕事一筋に生きてきたが、今は金もなく、ないがしろにした家族からも見放されて孤独な日々を送っていた。ある日、男から「車の運転さえすれば金になる」と持ちかけられた彼は、簡単な仕事だと思って依頼を引き受ける。だがその仕事は、メキシコの麻薬カルテルによる運び屋だった。やがて、彼は大量の麻薬を運び出すことによって多額の報酬を得るが、麻薬取締局の捜査官の手が迫ってくる。

 

感想&解説

イーストウッドらしいとしか言い様のない、88歳を迎える今のクリント・イーストウッドだからこそ撮れた作品だと思う。ストーリーとしてはシンプルで、家庭を省みず人生の全てをデイリリーというユリの飼育に捧げてきた87歳の老人アールが、インターネットという時代の流れに逆らえず、仕事を無くしてしまう。そこで、車を運転して荷物を運べば大金が貰えるという仕事に出会い、自分の運んでいるものが大量の麻薬であることを知りながらも、それを生業としていく。生き甲斐だった仕事を無くした事と孫娘の結婚により家族の大切さに気付いたアールは、運び屋で得たお金でもう一度家族との関係を取り戻そうとするが、警察の手がすでにアールにも迫っていた。


そんな時、アールはマフィアのボスから大量のコカインを運ぶ大口の仕事を依頼されるが、アールの元妻の病気が発覚し、運び屋の仕事を中断して彼女の元に駆けつける。そこでの会話により、改めて今までの自分の人生の選択が間違っていたことに気付くが、元奥さんはそのまま亡くなってしまう。マフィアに捕まりまた運び屋の仕事に戻ったアールは、遂に待ち構えていた警察に捕まり、自ら罪を認めて刑務所に入る。そして刑務所でもユリを育てているシーンで映画は終わる。


言うまでもなく、家族を省みずにデイリリーというユリの飼育に没頭したアールとは、クリント・イーストウッドそのもので、「デイリリー」とは、イーストウッドにおける「映画」のことである。ユリの発表会でアールが育てたデイリリーが優勝し、登壇してジョークを込めたコメントをしていたが、その姿に映画監督として高い評価を得て、各映画賞を獲得している実際のイーストウッドを重ねてしまったのは僕だけではないだろう。12年も口を利いてくれない設定の娘役は、実際のイーストウッドの娘アリソン・イーストウッドだし、離婚した元妻というのも合致する。(イーストウッドは合計5人の女性との間に7人の子供がいる)まるでイーストウッドが自らの人生を振り返る様に、このアールというキャラクターを演じているように見えるのだ。ただ、実際のイーストウッドは未だに一流監督として映画を作り続けているが、インターネットに仕事を追われたアールを、若干の自虐と共に「もし映画が撮れなくなった時の自分」として重ねている可能性は充分あると思う。


このアールというキャラクターだが、犯罪に手を染めているという自覚があるにも関わらず、一切の悲壮感や反省がないのもこの作品の特徴だろう。車を運転しながら、終始カーステレオから流れる音楽と一緒に歌い、気ままに車を流す姿は、逆に清々しくもある。仕事の途中で寄り道して、ポークサンドを買うシーンでマフィアからもっと急げと急かされるが、「もっとゆっくり生きろ。人生を楽しめ」と告げるシーンなどから解るように、このアールというキャラクターは極めて楽天的なのである。この「車による旅」は人生のメタファーであり、もう爺さんなのに宿泊先でコールガールを呼んでしまうという女性にだらしないところも含めて、やはりアールは極めてイーストウッド本人を意識したキャラクターとしか思えない。


だからこそ、彼が語る「家族に勝る大事なものはない。仕事は二番目だ」というセリフは、切実に胸に沁みる。ブラッドリー・クーパー演じる捜査官にカフェで家族の大切さを語るシーンは、本作で最もエモーションな場面だ。それは、彼が本心でそれを伝えているからだろう。更に裁判で有罪が決まった後、「お金はあるのに時間だけは買えなかった」と告げるアールは、まさに90歳を迎える映画監督クリント・イーストウッドの心情の吐露だ。そこには、まだまだ映画を撮り続けたいという意志を感じる。


この作品では、一切家庭を顧みないで人生を歩んできた男が、元妻の死の直前に家族の大切さに気付き、それを残された家族が最後は受け入れるという、非常に男にとって「都合のいい結末」を迎える。もちろん自らの罪を認めて刑務所に入るアールの姿は共感を覚えるが、このエンディングは女性にとってどう見えるのだろうか。恐らく50歳以上のおじさん達が満足げに劇場の席を立つ姿を見ながら、ふとそんな事を思った。個人的には、あと10歳経った後でもう一度観ると、更に感想が変わりそうな作品だと思う。この作品の真価を語るには、僕はまだまだ人生経験が足りないのだろう。ただ、90歳を迎えようとしているイーストウッドの映画を観ると希望が湧いてくるのは事実である。「運び屋」はイーストウッドの最高傑作とは言い難い。だが本人主演の監督作としては、もしかすると最後の作品になるかもしれないと思うと、観る価値は十分にある映画だろう。

「スパイダーマン:スパイダーバース」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

スパイダーマン:スパイダーバース」を観た。

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監督:ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン

出演:シャメイク・ムーア、ジェイク・ジョンソン、マハーシャラ・アリ

日本公開:2019年


第91回アカデミー賞長編アニメーション賞と第76回ゴールデン・グローブ賞アニメーション作品賞を受賞した、スパイダーマンシリーズ初の長編アニメーション。実写も含めて、シリーズ史上最高傑作との声が上がるほど評価が高い。監督は本作がデビュー作というボブ・ペルシケッティらの3人。「アルティメット・スパイダーマン(Ultimate Spider-Man)」いうコミックスを映画化した作品だが、表現方法としてかなり前衛的なアプローチをしていると思う。今回は久しぶりに3D IMAXで鑑賞してみたが、結果はどうだったか?ネタバレありで感想を書きたい。

 

あらすじ

スパイダーマンことピーター・パーカーの突然の訃報を受けたニューヨーク。ブルックリンの名門私立中学に通う13歳のマイルス・モラレスは、特殊な蜘蛛に噛まれてスパイダーマンとなるが、その能力をまだコントロールできていない。ある夜、死んだはずのピーターがマイルスの前に現れる。ピーターは闇社会を牛耳るキングピンが歪めた時空に吸い込まれ、異なる次元からやってきたという。マイルスはピーターを師と仰ぎ、真のスパイダーマンになるための特訓を開始する。2人は、様々な次元から集結したスパイダーマンたちとともに、キングピンの野望を阻止し、全ての次元を元通りにする戦いに挑む。

 

感想&解説

映画館に行くようになって約30年が経つが、映画を観ていて映像そのものに感銘を受けるという経験はかなり減ったと思う。振り返れば、1991年のジェームズ・キャメロン監督「ターミネーター2」や1993年のスティーブン・スピルバーグ監督「ジュラシック・パーク」、1995年のジョン・ラセター監督「トイ・ストーリー」や1999年のウォシャウスキー監督「マトリックス」、2009年の「アバター」あたりがふと頭に浮かぶが、この10年くらいで「映像的に」エポックメイキングな作品というと、正直すぐに思い出せない。


だが本作「スパイダーマン:スパイダーバース」は久しぶりに映像そのものに驚き、感動できる作品だったし、恐らくアニメーション映画の到達点の一つとして、これからも後世に残る作品になると思う。まず、この映画はコミックスというメディアに対して、非常にリスペクトを感じる。アメコミを読んだ時の1コマにおける膨大な情報量やスピード感を、映画としてどう伝えるか?に腐心していて、今まで観たことのない本作ならではの独特な表現が多い為、観ていてワクワクする。


キャラクターが考えていることを吹き出しとして可視化したり、あえて「印刷感」のあるドットの表現をしていたり、スパイダーマンの第六感的な「スパイダーセンス」を「波」のように表現したりと、まるでコミックスの中に飛び込んだような特別なビジュアルを次々と見せてくれるのだ。さらに、アニメーションならではの「画が動く気持ち良さ」はしっかりと担保されていて、画面のあらゆるパートがグリグリと、そしてスムーズに動きまくる。こればかりは恐らく文字では伝わらないだろう。


主人公は従来シリーズのピーター・パーカーから、アフリカ系とヒスパニック系のハーフの中学生マイルス・モラレスへと変更されており、ニューヨークストリートカルチャーの匂いが強いのも非常にかっこいい。NIKEのエアジョーダンを履きながら、バンクシーのようにグラフィティアートを描き、チャンス・ザ・ラッパー「Coloring Book」のポスターを部屋に貼る少年が本作の主人公なのである。

 

今までの主人公ピーター・パーカーとはあまりにも違うが、とはいえマイルスも思春期ならではの家族や自分のアイデンティティについて悩む姿が描かれており、誰もが共感できて愛せるキャラクターになっているのも見事だ。サントラも非常にヒップホップ色が強く、ニッキー・ミナージュやジェームス・ブラウン、ポスト・マローン&スウェイ・リーの楽曲が、映像にさらなる魅力を与えていて気分が高揚する。


脚本のフィル・ロードクリストファー・ミラーは大傑作「LEGO(R) ムービー」のクリエイターだが、今作でもスパイダーマンという大きな題材を、家族や仲間といった人間関係をテーマにした普遍的なストーリーとして、見事に昇華させていると思う。正直、時空を歪める装置を破壊させるために、別の次元から様々なスパイダーマン達が集結してラスボスを倒す、というメインプロット自体より、父親が部屋の扉ごしにマイルスに語り掛けるシーンの繊細な演出の方が、この映画では印象深い。しっかりキャラクターが生きているのである。亡くなったばかりのスタン・リーがカメオ出演するのも泣かせるし、エンドクレジットの外したバカバカしさも楽しい。


昨年公開された「ヴェノム」のエンドクレジットで初めて本作のさわりを観たとき、これほどの傑作になるとは全く予想していなかった。今回IMAX 3Dで鑑賞したのだが、この作品に限ってはこの選択は正解だったと胸を張って言える。それほど本作は新しい映像表現に挑戦しているので、出来ればIMAXで鑑賞することをオススメしたい。天才たちのアイデアと努力によって作り出された、アニメーション映画の最新進化形に立ち会えるという意味で、これこそ大きなスクリーンで観る意味のある一作だろう。

「シンプル・フェイバー」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「シンプル・フェイバー」を観た。

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監督:ポール・フェイグ

出演:アナ・ケンドリックブレイク・ライヴリーヘンリー・ゴールディング

日本公開:2019年


ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン」「SPY/スパイ」などで有名になり、近作だと2016年の「ゴーストバスターズ」の女性版リブートが記憶に新しい、ポール・フェイグ監督の最新作である。主演は「ピッチ・パーフェクト」のアナ・ケンドリックと、「ロスト・バケーション」のブレイク・ライヴリーポール・フェイグといえば、コメディタッチのアクション映画が得意なイメージだが、今作はサスペンススリラーかと驚いた。だが鑑賞してみれば、やはりというべきかしっかりコメディ、しかもかなりブラック寄りのコメディ作品に仕上がっていた。原作はダーシー・ベル著の「ささやかな頼み」。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

ニューヨーク郊外に住むシングルマザーのステファニー(アナ・ケンドリック)はある日、同じクラスに息子を通わせるエミリー(ブレイク・ライヴリー)に誘われて、豪華な邸宅を訪ねることになる。事故で夫を失い、保険金を切り崩しながら子供を育てている気立てのいいステファニーと、スランプに陥っている作家の夫ショーン(ヘンリー・ゴールディング)と愛し合い、華やかなファッション業界で働くどこかミステリアスなエミリー。対照的なふたりだったが、お互いの秘密を打ち明けあうほど親密な仲になっていった。そんな中、ステファニーは息子を学校に迎えに行ってほしいとエミリーから依頼される。その後、エミリーは息子を引き取りには現れず、失踪してしまう。彼女はどこに行ってしまったのか?

 

感想&解説

先の読めないストーリー展開で、楽しめる佳作だ。子供の学校が同じというキッカケで、仲良くなったステファニー(アナ・ケンドリック)とエミリー(ブレイク・ライヴリー)だったが、ある日、ステファニーはエミリーから、仕事の為子供を迎えに行ってくれないか?という"シンプル・フェイバー(簡単な頼みごと)"の電話を受ける。そしてその依頼を最後にエミリーは子供を置いて忽然と姿を消してしまう、というのがストーリーの起点である。映画を観ながら思い出したのは、2014年のデヴィッド・フィンチャー監督の傑作「ゴーン・ガール」だが、シナリオの完成度という意味では、残念ながら遠く及ばない。


ここからエミリーの夫ショーンとの三角関係を絡めつつ、ある日エミリーの死体が湖から上がるという展開を迎える。そしてステファニーは、死んだエミリーの過去を探っていくという流れになる。ただし、本作はこのステファニーのキャラクター設定が独特で、正直、主人公であるにも関わらず、あまり感情移入出来ないキャラクターとなっているのが特徴だ。いわゆる信用出来ない語り部というやつである。ステファニーはビデオブロガーなのだが、フォロワーを増やす為に事件の顛末を都度アップして、友人が居なくなった事をわざとらしく心配したり、エミリーが死んだ直後に夫のショーンとセックスしたり、さらにエミリーの居なくなった豪邸にも転がり込んだりと破天荒な行動を取る。もちろん、ショーンとは思わず愛し合ってしまった、というエクスキューズはあるが、なかなか大胆な行動だと言わざるを得ない。


演じるアナ・ケンドリックの異常なほどのハイ・テンションぶりと「お人好し感」で、ギリギリ「嫌な女」という演出にはなっていないが、冷静に見ればかなりグレーなキャラクターである。だが、これは意図的なバランスだろう。ステファニーとエミリーが仲良くなるキッカケとなった、一緒にマティーニを飲むシーンで、お互いの「過去のワイルドな体験」を告白し合うシーンがある。その中で、ステファニーが義理の兄とセックスした経験があると告白するのだが、この時のセリフと実際に画面に映る過去の映像に差異があるのだ。画面内のステファニーはかなり積極的に彼を受け入れているのに、セリフ上では「なし崩し」だったと語られる。これにより、観客はステファニーの言動に疑問を抱く。それが更に強まるのは、ステファニー、彼女の夫、そして義理の弟との関係だ。ステファニーの夫は、自分が育てている子供は実は弟の子供じゃないかとステファニーを疑う。その事実は不明なまま、2人は自動車事故で亡くなってしまうが、この作品のステファニーのキャラクターの描き方から見て、答えは「黒」だろう。

 

この作品のメインプロットとしては、実はエミリーこそが完全な悪人であり、エミリーには双子の妹がいて、妹を自分に見せかけて殺すことにより自分にかかっている保険金を騙し取る事を目的としていた、というものだ。だが、ステファニーを単純な「清廉潔白な人」ではなく、かなりグレーな存在にしているが故に、一見どんなにクリーンな存在に見えても、女性には誰しも魔性な部分があるという印象が強く残る。これこそが、ポール・フェイグ監督がこの作品で表現したかったテーマではないかと思うのだ。


ストーリーは、前述のように「双子の妹」という禁じ手が出た時点でテンションが落ちるのは否めない。だが、その後もエミリーの悪魔性が徐々に明らかになるという進行の為に、不思議と退屈はしない。エミリーを罠に嵌めるラストシーンも、ステファニーのテンションも相まってまるでコメディシーンのようである。逃げるエミリーを、ステファニーブログのフォロワーであるお父さんが勢いよく轢くシーン。いくら犯罪者でもプリウスで轢いたらダメだとは思うが、まるでヒーローのような演出で、これも非常にバカバカしい。


作品のダークコメディのタッチとは裏腹に、サウンドトラックは、フレンチポップスでかためられており、終始お洒落な雰囲気を醸し出す。またアナ・ケンドリックブレイク・ライヴリーの衣装も可愛くて、非常に楽しめるのもポイントだ。エンディングに流れるFrance Gallの「Laisse tomber les filles」は、「女の子たちをほっておけば?」という内容で、まさに女の恐ろしさをまざまざと見せつけられた観客の気分である。ガチガチのサスペンスを期待すると肩透かしを食うが、上映時間の2時間はしっかり楽しめる佳作だと思う。

「ビール・ストリートの恋人たち」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「ビール・ストリートの恋人たち」を観た。

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監督:バリー・ジェンキンス

出演:キキ・レイン、ステファン・ジェームズ、セヨナ・パリス、レジーナ・キング

日本公開:2019年


第89回アカデミー賞で作品賞を受賞した、バリー・ジェンキンス監督による待望の新作が公開となった。第91回アカデミー賞でも脚色賞・助演女優賞・作曲賞の3部門にノミネートされ、レジーナ・キング助演女優賞に輝いた事でも記憶に新しい。原作はジェイムズ・ボールドウィン著の「ビール・ストリートに口あらば」。黒人カップルに理不尽に襲い掛かる運命を、同じく黒人作家であるボールドウィンが描いた作品だ。では、バリー・ジェンキンス監督が丹精な演出で積み上げた、映画版「ビール・ストリートの恋人たち」はどうだったか。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

1970年代、ニューヨーク。幼い頃から共に育ち、強い絆で結ばれた19歳のティッシュ(キキ・レイン)と22歳の恋人ファニー(ステファン・ジェームズ)。幸せな生活を送っていたある日、ファニーが無実の罪で逮捕されてしまう。2人の愛を守るため、ティッシュとその家族はファニーを助け出そうと奔走する。だが、その前には様々な困難が待ち受けていた。

 

感想&解説

非常に美しいラブストーリーである。それは冒頭、主人公二人の登場シーンから強く印象付けられる。ティッシュとファニーが着ているジャケットやシャツ、コートには黄と青があしらわれている。それらが彼らの黒い肌と絡んでよく似あっているのと同時に、二人の相性の良さを感じさせる見事なスタイリングなのだ。そして、その印象は映画が進んでいくとさらに深まっていく。お互いを深く愛し合い、尊重しあう二人に観客は感情移入し、このまま幸せになってほしいと心から願う。「彼こそ私の人生で最も美しい人だ」、ティッシュのこのセリフがファニーとの関係を端的に物語っている。


だがこの作品は時系列をばらして、二人の現在の状況を観せることにより残酷な現実をみせる。ファニーが無実の罪により刑務所にいる事が分かってくるのだ。そしてティッシュはファニーの子供を身ごもっている。黒人差別主義者の警官によって、ファニーは理不尽な罪を着せられ逮捕されている。この眩しいほどに輝かしい「二人の愛」と「人種差別という闇」のコントラストがこの作品のテーマになっており、より一層差別の禍々しさが際立つように作られているのだ。この対比により1960~70年代のアメリカに蔓延っていた、不条理すぎる差別という暴力に観客は戦慄する。今年のアカデミー作品賞は「グリーンブック」だったが、黒人差別という同じテーマを扱いながら全く違うアプローチなのは面白いと思う。


前回「ムーンライト」でも感じたが、バリー・ジェンキンス監督の作品はまるでヨーロッパのアート映画のような気品と美しさが漂う。衣装やセットのライティング、カメラの構図など完璧に計算されていて、どのカットもまるでスチール写真のようだ。さらに特徴的なショットは、多用される顔正面からのクローズショットだ。まるで観客に語りかけてくるようなそれらのショットには目を奪われるし、そのキャラクターの特徴が見事に切り取られている。友人とスペイン語でふざけあうファニーの姿を見て、「外の世界の彼を初めて見た」と語るティッシュのモノローグと、ファニーの顔を正面から捉えるスローモーションからは、ティッシュの愛情がありありと伝わってくる。


またセリフもとても良い。黒人というだけでなかなか見つからない二人の住処だったが、ユダヤ系の不動産仲介レヴィが世話してくれ、やっと住む場所が見つかる。感謝するファニーにレヴィが伝えるセリフ、「俺は愛し合う人間が好きなんだ、黒、白、緑、紫、肌の色は関係ない。俺はただ母親の息子でしかない。人間の違いは母親が違うだけだ」は、心を揺さぶられるとても優しい言葉だ。この後、幸せそうな二人を包む柔らかな陽ざしと共に、この作品の中でも白眉の名シーンだと思う。


ファニーの無実を晴らそうと中盤以降はティッシュを中心に家族一同で奔走するが、結局彼が刑務所から出ることは叶わず、ティッシュは子供を出産する。そして、子供は成長して面会に来るシーンで映画は終わる。子供はお菓子を食べる際にお祈りをするが、その時に父親のために神に祈る。それは普段から母親と一緒に口にしている言葉なのだろう。ここでもティッシュの深い愛に感動を覚える。


だが、現実的にファニーはまだ刑務所にいるのだ。この作品は映画が始まってから終わるまで、ファニーとティッシュの環境は好転しない。ファニーはいつ刑期から解放されて、家族と一緒に暮らせるのかわからない。だが、これこそがバリー・ジェンキンス監督の伝えたいメッセージなのだろう。人種差別にハッピーエンドはなく、現代までこの問題はまだ全く終わっていないのだから。