映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「ボヘミアン・ラプソディ」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

ボヘミアン・ラプソディ」を観た。

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監督:ブライアン・シンガー

出演:ラミ・マレック、ジョー・マッゼロ、ルーシー・ボイントン

日本公開:2018年


1991年にエイズでこの世を去ったフレディ・マーキュリーと、彼が所属していた世界的人気ロックバンド「クイーン」の挫折と成功を描いた伝記ドラマ。クイーンのギタリストであるブライアン・メイと、ドラマーのロジャー・テイラーが音楽総指揮を手がけた事でも話題となった。とにかく「キラー・クイーン」「ボヘミアン・ラプソディ」「ラブ・オブ・マイ・ライフ」といった名曲の数々がスクリーンでかかる度にテンションが上がる。監督は「ユージュアル・サスペクツ」や「X-MEN」シリーズのブライアン・シンガー。この作品を語る上で、ほとんどこのブライアン・シンガーの名前が告知されていないし、パンフレットにも本人コメントすら記載されていないのが不思議だが、フレディ・マーキュリーという人物を深く描く為には、やはり彼が適任だったのであろう。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

1970年、ロンドンで生活する青年フレディー・マーキュリーは、昼間は空港で働き、夜はライブハウスに入り浸る生活を送っていた。そんなある日、学生バンドだったブライアン・メイロジャー・テイラーのバンドのボーカルが脱退。そこでフレディは自らを売り込みに行くことにする。彼の歌声に天性の才能を感じた2人は、ベースのジョン・ディーコンも入れて「クイーン」というバンドを結成し本格的に活動を始める。そんな中、フレディはメアリーという女性と恋に落ちる。そして、遂にレコードデビューも決まりヒット曲も生まれ、バンドとして順風満帆に見えたが、彼らの行先には過酷な試練が待ち構えていた。

 

感想&解説

クイーンを初めて聴いたのは、高校生の時だった。フレディ・マーキュリーが亡くなったというニュースが世界中を駆け巡っている最中で、彼らの音楽がメディアでも頻繁にかかっていた。そんな時にクイーンのベストアルバム「グレイテスト・ヒッツ Vol.1」を友人から借りたのだ。1曲目の「ボヘミアン・ラプソディ」を聴いた時、なんて美しい曲なんだろうと思った。歌詞の内容は全く解らないが、それでも冒頭のピアノから始まるフレディの歌声とフレーズ、そして突然オペラ調になる展開と、今まで聴いてきた音楽とは一線を画す楽曲に鼓動が高まった。そこから始まる珠玉の名曲の数々。「地獄へ道づれ」のベースライン、「キラー・クイーン」のコーラスワーク、「ドント・ストップ・ミー・ナウ」のメロディ、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」のギターソロ。カセットテープに落として、何度も聴き漁ったものだ。


それから大学生になり、フレディ死後に生前の録音音源を使ってレコーディングされたというラストアルバム「メイド・イン・ヘヴン」がリリースされ、自分の中でのクイーン熱は収まっていった。だが、もちろんアルバム単位では「クイーンⅡ」や「オペラ座の夜」「世界に捧ぐ」「ホット・スペース」(個人的には好き)など今だに愛聴しているし、様々な映画やCMを観ていると彼らの楽曲が実に多く使われている為、その度にクイーンの偉大さを痛感してきた。最近だと「アトミック・ブロンド」や「ベイビー・ドライバー」、「ハードコア」「スーサイド・スクワッド」予告などが記憶に新しいだろう。


さて、本作「ボヘミアン・ラプソディ」である。冒頭の「20世紀フォックス」のファンファーレから、VOXアンプで鳴らされた様なブライアン・メイ風のギターサウンドに興奮させられる。そして、ウェンブリー・スタジアムでの「ライヴ・エイド」のステージ裏の様子から映画は始まり、フレディの背中越しに大舞台ならではのスタッフやアーティスト達の独特な空気感が描写される。顔は映らないがデヴィッド・ボウイがチラッと居たりと「ライヴ・エイド」当日の熱気が伝わってくる演出に、この時点で気持ちはすでに鷲掴みされている。最高のオープニングだろう。


それから時間が遡って、「クイーン」結成前のフレディ・マーキュリーの人生が描かれる。父親との確執や自分の出生に対してのコンプレックス、あの独特な前歯への周りの反応など、「まだ歌い出す前の彼」はただの一人の男に過ぎなかった事が分かる。だがバンドが結成され、ひとたびステージに上がってしまえば、どれだけ彼のパフォーマンスがたくさんの人々を魅了してきたかがクイーンの名曲と共に語られるのである。フレディを演じるのは、ラミ・マレック。過去作はポール・トーマス・アンダーソン監督の「ザ・マスター」や、スパイク・リー監督の「オールド・ボーイ」らしいが、ほとんど彼の記憶はなかった。だが、本作でのラミ・マレックはすごい。完全にフレディ・マーキュリーと同化しているといっても過言ではなく、ブライアン・メイなどの他メンバーも含めて、本作中、彼らがクイーンのメンバーである事の違和感を一度も感じなかった。これが出来ている時点でこの作品は大成功だろう。


聴き馴染んだ「ボヘミアン・ラプソディ」や「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の制作裏側が観れるのは単純に嬉しいし、彼らのライブパフォーマンスも本当にクイーンの演奏を観ている気持ちになり、ずっと身体が揺れるのを抑えられない。もちろんその真骨頂はラスト20分に及ぶ「ライヴ・エイド」のパフォーマンスだろう。「ボヘミアン・ラプソディ」から始まり、「レディオ・ガガ」「ハンマー・トゥ・フォール」「伝説のチャンピオン」と続く圧巻のパフォーマンスは、彼らの歩んできた過程を共にしてきた観客には、涙無くしては観られない。様々な障害やエゴや確執はあったが、これほど素晴らしい曲を世の中に生み出してきたというクイーンという4人の存在と、楽曲の強さに否応なく心が揺さぶられるのだ。ロックバンドの演奏を観ながら、劇場中のおじさん達が号泣しているという光景はこの作品ならではだろう。


監督のブライアン・シンガーは自らゲイである事をカミングアウトしており、恐らくフレディ・マーキュリーの人生に、自らを投影する部分がかなりあったのではないかと思う。同じ「表現者」としてシンパシーを感じ、その孤独感や悩みに共感する部分があったのではないだろうか。確かにブライアン・シンガーは過去作でも、「X-MEN」のような特別な能力がある為に迫害されるマイノリティを描いてきたが、本作はフレディ・マーキュリーを描くというテーマがハッキリしている故に、更に繊細な表現でその苦悩や待ち受ける運命を描けていたと思う。特にフレディの婚約者で、彼のセクシャリティについて苦悩するメアリーを、あの傑作「シング・ストリート」で、主人公コナーの憧れの女性ラフィーナを演じていた、ルーシー・ボイントンが演じているのも個人的には嬉しかった。


結論、想像を超えた傑作であった本作。メインターゲットはもちろんクイーンのファンだと思うが、ヒューマンドラマとしても見所は多いし、とにかく改めてクイーンの楽曲のキャッチャーさ、偉大さがよく分かる音楽ドキュメンタリーとして文句なしの出来だと思う。大音量のスクリーンで観る事に価値があるタイプの作品なので、IMAXでの鑑賞も良いだろう。エンド・クレジットの最後にかかる曲は、フレディが生前に制作した最後のアルバム「イニュエンドウ」に収録されていた、「ショウ・マスト・ゴー・オン」だ。「命ある限りショーは続けなければいけない」という、フレディ・マーキュリーの人生を語る映画のエンディングとして、これ以上相応しい選曲は無いだろう。最後まで本当に素晴らしい作品だった。

「ヴェノム」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「ヴェノム」を観た。

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監督:ルーベン・フライシャー

出演:トム・ハーディミシェル・ウィリアムズリズ・アーメッド

日本公開:2018年


マーベルコミックの人気キャラクターである「スパイダーマン」の宿敵として知られる「ヴェノム」を主人公にした、アクションムービー。主演は「マッドマックス 怒りのデス・ロード」や「ダンケルク」のトム・ハーディサム・ライミの2007年監督作「スパイダーマン3」で初登場していたヴェノムだが、今回の本編ではスパイダーマンは登場せず、パラレルの世界観で描かれる。監督は「L.A. ギャング ストーリー」のルーベン・フライシャー。「最も残虐な、悪が誕生する。」というキャッチコピーに惹かれて鑑賞したが、さてどうであったか?今回もネタバレありで。

 

あらすじ

「誰もが望む、歴史的偉業」を発見したというライフ財団が、ひそかに人体実験を行い、死者を出しているという噂をかぎつけたジャーナリストのエディ・ブロック。正義感に突き動かされ取材を進めるエディだったが、その過程で人体実験の被験者と接触し、そこで意思をもった地球外生命体「シンビオート」に寄生されてしまう。エディはシンビオートが語りかける声が聞こえるようになり、次第に体にも恐るべき変化が現れはじめる。

 

感想&解説

前半は良かった。地球外生命体「シンビオート」が人間に寄生して、どんどんと人を殺していく様は、その「得体の知れない不気味さ」も相まって楽しいシーンになっている。寄生された人間が自分の身体をコントロール出来ない感じや、「シンビオート」の圧倒的な強さに観客がちゃんと絶望感を感じるバランスになっているのもいい。そしてそのビジュアルも魅力的で、なんだかグチャグチャとした生物がすごいスピードで迫ってくる様は生理的に気持ち悪いし、絶対に寄生されたくないと思わされる描写になっている。


ところが、最初に「ん?」と違和感を抱いたシーンがある。今作の悪役であり、いわゆる「マッドサイエンティスト」役としてドレイクというキャラクターがいるのだが、彼の研究所で人体実験と称して、「シンビオート」を人間に襲わせるシーンがある。迫り来るシンビオートが男の身体を這い上がり、あのグニョグニョした物体が口や目から身体に侵入するのかと思いきや、何故かジワーと身体の中に溶けて入り込んでいくのを見た時、「ずいぶんと大人しい表現だな」と感じたのだ。そして中盤、トム・ハーディ演じる主人公にも遂にシンビオートが寄生して、いよいよモンスターとして覚醒し大暴れするのかと思えば、なんと「内なる声」としてトム・ハーディと会話して、あまつさえ仲良くなってしまうという展開には完全に拍子抜けした。これでは、まるで岩明均の漫画「寄生獣」のようである。


本作のキャッチコピーやポスターアート、予告編の印象から、凶悪なヴェノムというキャラクターが人間社会のルールを無視して、さぞかし悪事を働く作品なのだろうと期待したのだが、トム・ハーディに寄生するシンビオートであるヴェノムが「人間がコントロール出来る程度の相手」として、非常に矮小化された存在に成り下がってしまうのだ。特に後半はただの「バディムービー」になって、ヴェノムと人間が一緒に戦うという展開。これは、個人的にヴィランたちが悪の限りを尽くすという内容を期待したが、全員がいいヤツ揃いだった「スーサイド・スクワッド」を思い出す残念さだった。特にハリウッドの定型的な最後の盛り上げを用意する為か、ドレイクに寄生した悪のシンビオートとの戦いというあまりにベタな展開にも萎える。


何故、他の人間に寄生したら皆ゾンビ化するのに、主人公のトム・ハーディだけは自我を保てるのか?何故、急にヴェノムが人間を守ろうという気になったのか?落ちこぼれのトム・ハーディに共感したとの事だが、そんな人間臭い地球外生命体はヴェノムだけなのか?など、ストーリーとして重要なポイントが非常に雑に扱われていて、入り込めないのである。VFXの出来は悪くないのだが、もちろん前述のように全体的にゴア表現もヌルいし、アメコミとしての大衆性を守ろうと完全に腰が引けている作りになっている。


映画のラストカットを予告で観せるという、不誠実さも相まって、後半は正直欠伸が止まらなかった本作。恐らく続編もあるのだろうが、キャラクターとVFXの完成度だけではもう厳しいだろう。やはり映画には、しっかりとしたシナリオが必要なのだと改めて思い知らされた一作であった。

「search/サーチ」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

search/サーチ」を観た。

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監督:アニーシュ・チャガティ

出演:ジョン・チョー、デブラ・メッシング、ミシェル・ラー

日本公開:2018年


サンダンス映画祭2018で監督賞を受賞し、映画全編が100%PCの画面だけで展開されるという異色作が、日本でも公開となった。監督は今作が長編デビュー作のアニーシュ・チャガティ。プロデューサーは「ウォンテッド」や「ナイト・ウォッチ」を監督したティムール・ベクマンベトフ。このティムール・ベクマンベトフがプロデュースを務めた作品として、2016年に公開された「アンフレンデッド」というホラー映画があるのだが、これがネット画面上の登場人物をひたすら描いた、しかもSNSをテーマにした作品なので、本作の製作に大きな影響を与えたことは間違いないだろう。主演はJ.J.エイブラムス監督のリブート版「スター・トレック」でヒカル・スールー役のジョン・チョー。今回もネタバレありなのでご注意を。

 

あらすじ

16歳の女子高生マーゴットが突然姿を消し、行方不明事件として捜査が開始されるが、家出なのか誘拐なのかが判明しないまま37時間が経過する。娘の無事を信じたい父親のデビッドは、マーゴットのPCにログインして、InstagramFacebookTwitterといった娘が登録しているSNSにアクセスを試みる。だがそこには、いつも明るくて活発だったはずの娘とは別人の、デビッドの知らないマーゴットの姿が映し出されていた。

 

感想&解説

こういった「珍しい手法」の作品は、大概が駄作に終わる事が多い。それは手法自体の目新しさに終始してしまい、脚本や演出といった映画そのものの面白さを追求していないケースが多いからだ。だが本作「search/サーチ」は、間違いなく今年公開された映画の中でも、屈指のエンターテイメント性とストーリー性を持った傑作だと思う。もちろん今作の「珍しい手法」とは、PCの画面の中だけでストーリーが進むという点だ。実際にはPCのデスクトップが表示され、主人公たちがメッセージで文字のやり取りを行ったり、検索窓やバナーから情報を検索したり、webカメラでのスカイプ通話や、写真や動画を観たりといった行動から、徐々に主人公であるデビッドが新しい情報を入手する。そして観客も、それと同時進行でストーリーを追っていくという構成だ。


よって劇中の登場キャラクターは、非常に少ないと言って良いだろう。主要キャラは5人未満である。だが、それでもスリラー映画として先の読めない展開が用意されていて、細かい伏線をしっかり回収しながら、ストーリーは進む。各キャラクターが常に「本当に信用できるのか?」の揺さぶりをかけてきて、観客はその度に心を動かされる。実際に失踪する娘のマーゴットでさえ、父親デビッドの知らなかった側面が見えてきて、「自ら逃げたのではないか?」という疑問を観客が持つようにミスリードしてくるのだ。


そして脚本の手腕も巧みで、物語中盤、マーゴットと父デビッドの弟であるピーターが、隠れて頻繁に会っているという会話ログを発見してしまうシークエンスがあるが、あれだけ親身になってデビッドを心配していたピーターと娘が恋仲で、更に犯人なのか?と観客が本気で思いかけた瞬間に、実は大麻を一緒に吸っていただけだと判明するシーンなど、序盤にさり気なく提示される「弟ピーターが大麻の常習犯である」という伏線がサラッと回収されていてとても上手い。そしてオチには更なる大どんでん返しが用意されているのだ。正直、「警察が真犯人でした」は若干禁じ手のような気もしないでもないが、ヴィック捜査官の息子が油断ならない人物だという描写は本人の口から語られているし、こちらもクライマックスに向けて、周到に伏線が張られているので、これほど大きなどんでん返しでも素直に驚いてしまうように作られている。


そして本作が傑作たり得ているもう一つの理由は、脚本の面白さと同時に、演出法が新しくて巧みな点にある。あくまで、演者の顔は見せずにメッセンジャーの「文字」を書いたり消したりする様子だけで、デビッドがどんな気持ちでPCに向かって文章を書いているかが手に取る様に解るし、怒りに任せて文章を書きなぐった後に冷静になって文字を書き直したり、メッセージを送るべきか悩んでいる様をしばらくカーソルが止まっている描写だけで示したりと、非常に抑えた演出なのに情報としては雄弁だ。特に後半の「バナー広告に載っている顔」を見て、どこかで見た事のある顔だとデビッドが気付く時の沈黙と間が、一見画面上では何も起こってないのに的確に表現されていて、非常に面白い表現だと思った。


更に親子の愛の物語としても一級品で、冒頭の幸せな家族だったのに病気で母親が亡くなるまでの一連を、PC上の動画とスケジュールで伝えるシーンは思わず涙を誘う。ピクサーの「カールじいさんの空飛ぶ家」の冒頭シーンを思い出させるが、それに勝るとも劣らない素晴らしい演出だった。本作がハッピーエンドで本当に良かったと思う。恐らくこのコンセプトの作品として、これ以上完成度の高い作品はしばらくは出ないだろう。目新しいのに面白いという、奇跡的なバランスを保っているのにも関わらず、誰が観ても満足感が得られるという稀有な作品だ。文句なしにオススメだし、2018年を代表する一作として記憶に残る作品になると思う。

「テルマ」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

テルマ」を観た。

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監督:ヨアキム・トリアー

出演:アイリ・ハーボー、カヤ・ウィルキンズ、ヘンリク・ラファエルソン

日本公開:2018年


カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品されたノルウェー産ホラー映画である。監督はヨアキム・トリアー。なんとあのラース・フォン・トリアー監督の親戚らしい。本作が日本公開された長編二作目との事だが、この監督はすごい資質だと思う。一作目の「母の残像」という作品もぜひ観てみたいと思ったが、本当に今後が楽しみな才能が現れたものだ。アカデミー&ゴールデングローブ賞外国語映画賞ノルウェー代表作品に選ばれ、海外最大の映画レビューサイトでは93%の満足度を叩き出したらしい。ノルウェー映画という事もあり知っている俳優陣は全く出演していないが、その演出力の高さに鑑賞中、グイグイとスクリーンに引き込まれた。今回もネタバレありで感想を書きたい。

 

あらすじ

ノルウェーの田舎町で、信仰心が強く抑圧的な両親の下で育ったテルマには、なぜか幼い頃の記憶がなかった。そんな彼女がオスロの大学に通うため一人暮らしを始め、同級生の女性アンニャと初めての恋に落ちる。欲望や罪の意識に悩みながらも、奔放なアンニャに惹かれていくテルマ。しかし、やがてテルマは突然の発作に襲われるようになり、周囲で不可解な出来事が続発する様になる。そしてある日、アンニャがこつ然と姿を消してしまうという事件が起こる。

 

感想&解説

傑作だと思う。次々と表現されるカットは芸術的で美しいし、各シーンが映画的な魅力に溢れており官能的で耽美だ。まずオープニングシーンから興味を持っていかれる。父親と小さな娘が雪原を歩き、狩りをしている。すると目の前に鹿が現れた為、父親は猟銃を構える。娘はその鹿が撃たれると思い、その姿を凝視している。すると父親は鹿から照準を外して、なんと鹿を見ている娘の背中に照準を定める。それに気付かず、鹿を凝視し続ける娘。引き金を引くか迷う父親。だが結局はやはり撃てないで、鹿もその場から逃げていく。「何故、鹿を撃たなかったの?」という顔で、父親を振り向く娘。この時点までで、濃密に映像から多くの情報と疑問が観客に提示される。何故、父親はこんな年端もいかない女の子を殺そうとするのか?女の子には殺される原因の自覚はないのか?他の家族はいるのか?そして、オープニングタイトル「THELMA」が点滅しながら表示される。この時点で、観客はもうこの作品の世界に感情が入っているだろう。見事な流れだ。


物語の序盤、主人公のテルマは非常に抑圧された生活を送っている事が描かれる。あの少女が大学生となりオスロという都会に出てきたは良いが、厳格な親からは過度に干渉されてキリスト教への厚い信仰心から、大学生ならみんなやっているお酒やタバコにも手を出さない。だがある日、テルマは謎の癲癇発作を起こし図書室で倒れてしまうが、それをきっかけにしてアンニャという少女と出会う。自由奔放で大人っぽくふるまう彼女にテルマはいつしか恋に落ちてしまい、アンニャも無垢で不思議な魅力のあるテルマに惹かれていく。そして、ある日二人は激しいキスを交わしてしまう。それからテルマは今までの厳しい戒律と、女性を愛してしまった自分の本当の気持ちの間で揺れて悩み、苦しむ。そして、それをきっかけとして彼女が本来持っていた「能力」が徐々に発動し出し、不穏な現象が身の周りに次々と起こっていく。そう、この物語のベースは少女の「超能力もの」だ。そして、そのチカラがあるが故に、過去に自らの幼い弟を殺してしまい、その結果母親は投身自殺未遂を起こして歩けなくなり、両親から畏怖と怒りの感情を抱かれている事が物語の終盤にわかる構造になっている。更にそのチカラが暴走し、愛するアンニャすら消してしまい、テルマは更に苦しむ。


抑圧された少女が念動力で人を傷付ける作品と言えば、ブライアン・デ・パルマ監督の1976年「キャリー」を連想するが、映画のダークなトーンはトーマス・アレフレッドソン監督の2008年作品「ぼくのエリ 200歳の少女」に近い気がする。ただ本作のヨアキム・トリアー監督はインタビューを読む限りかなりのシネフィルらしく、ダリオ・アルジェントミヒャエル・ハネケアルフレッド・ヒッチコックからの影響も公言していて、確かに言われてみればと頷ける。更に大のジャパニーズアニメファンという事で、大友克洋の「AKIRA」や今敏パーフェクト・ブルー」にも影響を受けているそうだ。恐らく、それほど予算をかけてはいない作品だと思うが、鳥が不穏に上空を飛び回り窓に激突するシーンや、プールで水面に浮かび上がれないシーン、そして本作の白眉であるボートで父親の身体から突然出火するシーンなど、非常に悪夢的でビジュアル的にも素晴らしい場面が続く。派手なホラー映画ではないが、映画として非常に高いクオリティを保っているのだ。


そして本作は少女のラブストーリーとしても秀逸で、テルマがアンニャと恋に落ちる描写が非常に官能的で美しい。あの二人が初めてキスをするシーンは「罪悪感」と「抗えない気持ちと身体」の葛藤が、二人の女優の演技から手に取るように分かる名シーンだった。恋する二人が話をしているカットは、ずっとカメラがフィックスしないで揺れている。これは、二人の気持ちを映像的に表現しているのだろう。この様な細かい演出も随所に光る。そしてテルマがアンニャを想うシーンには、度々「蛇」がモチーフとして現れる。言うまでもなく、キリスト教において蛇は「アダムとイヴ」で禁断の果実を食べるようにそそのかす「誘惑の象徴」だ。その蛇がテルマの口に入るイメージシーンが示唆するものなど、エロティックでありながらも高い芸術性を感じさせて、この映画はまるでアートを鑑賞している様な気持ちにすらさせるのだ。


そしてラストシーン。薬で自分を廃人にしようとしていた父親を焼き殺したテルマは、アンニャが戻った事を知り、母親の脚に手を置く。すると、彼女は車イスから立ち上がり歩けるようになる。それはまるで、弟の事件で母親を今まで苦しめた贖いのようだ。そして場面は学校に変わり、テルマはアンニャの行動が予知出来るようになったかの様な描写があり、そのまま上空からの俯瞰ショットで映画は終わる。これは、いわゆる「全能性」の表現だと思う。あれだけ両親と共に厳格に従い、祈ってきた「神」に近しい存在としてテルマは覚醒し、それでもこのまま同性愛を貫き生きていくのだというメッセージ。もちろんその愛は美しいのだが、それと同時にそのチカラを持ったテルマの未来にも一抹の恐怖も感じるという、非常に示唆に富んだエンディングなのだと解釈した。これをハッピーエンドと取るか、バッドエンドと取るかはその人の宗教観や考え方に依るだろう。


本作はホラー映画だと思ってスルーするには、勿体ない魅力を持った作品だと思う。ホラーと呼ぶほど怖がらせる演出は無いし、痛い表現もない。非常にダークなサスペンス作品として、北欧映画らしい芸術性とエンターテイメント性を兼ね備えた、やはり「傑作」の一言に尽きる。今のうちにヨアキム・トリアー監督の才能に触れるという意味でも、映画ファンは必見の作品だろう。

「デス・ウィッシュ」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

デス・ウィッシュ」を観た。

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監督:イーライ・ロス

出演:ブルース・ウィリスエリザベス・シューヴィンセント・ドノフリオ

日本公開:2018年


1974年にチャールズ・ブロンソン主演により映画化した「狼よさらば」(原題:Death Wish)を、イーライ・ロス監督がリメイクするという事で楽しみにしていた一作。しかも出演は近作があまりパッとしなかったブルース・ウィリスという事で、どんな仕上がりかと興味もあった。イーライ・ロスと言えば2006年「ホステル」や2015年「グリーン・インフェルノ」といった、ゴア描写満載のホラー映画の名手というイメージだが、近作だと「ノック・ノック」のような迷作も多く、若干の不安もあったが鑑賞。結果、手放しで褒められはしないが、手堅いB級アクションの佳作として仕上がっていた。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

警察すら手に負えない無法地帯となったシカゴで救急患者を診る外科医ポール・カージー。ある日、ポールの家族が何者かに襲われ、妻は死に娘はこん睡状態になってしまう。警察の捜査は一向に進まず、怒りが頂点に達し復讐の鬼となったポールは自ら銃を取り、犯人抹殺のために街へと繰り出す。

 

感想&解説

ブルース・ウィリスを映画館の大画面で観るのはいつぶりだろう。しかも主演作という意味では「REDリターンズ」以来の鑑賞だから、5年くらいのブランクを感じる。よって、彼がスクリーンに現れた時の最初の感想は「ブルース、老けたなぁ」であったが、大学生の娘がいるお父さん役としては、その無骨な佇まい含めてしっかりとハマっていたと思う。今作のメインターゲットは明確で、この中年~老年を迎えたブルース・ウィリスに感情移入できる年齢、いわゆる「おじさん」達だ。それは、ガンショップの店員が必然性のないセクシー美女である事からも明白だろう。


今作、ブルース・ウィリス演じる主人公ポール・カージーは外科医だ。犯罪都市シカゴで、毎日警官や善良な市民が傷付いたり死んでいくのを目の当たりにする一方で、医者として犯罪者の命も救わなければいけないという不条理感も感じている。これは形は違えども毎日仕事をしていれば感じる、僕たち観客の不条理感とも重なる一方で、あの幸せな家庭は「理想像」として、おじさん達の目には非常に羨ましく映る。エリザベス・シュー演じる美人妻は、夫を心から愛していて彼の仕事にも理解がある。家族で外食する予定だった、その出かけるタイミングで緊急の仕事に行くというブルースに対して、文句ひとつ言わないばかりか彼の為にケーキを作って待っているという献身ぶり。しかも娘もパパを溺愛していて、ところ構わずハグしまくりだ。「確かに仕事は大変だけど、こんな家庭があれば頑張れるよなぁ」という羨望込みの理想をしっかり描いておいて、直後にその家庭を理不尽にもぶっ壊わすので、劇場にいる我々もスクリーンのブルース・ウィリスと同じく、完全に戦闘モードに突入できる訳である。


74年のチャールズ・ブロンソン版は建築士という設定だったが、この外科医という変更はオモテの顔である「命を救う立場」とウラの顔である「命を奪う立場」という対比が生まれて面白いし、イーライ・ロスお得意のゴアシーンも追加できて一石二鳥という感じだろう。特にR15+作品だけあって動けない犯人の足をメスで切って、神経に車整備用の液体をかける医者ならではの拷問シーンは、いかにも「ホステル」を撮ったイーライの面目躍如といった名シーンだ。しかも自ら行う超痛そうな治療シーンで、肩の傷口をブルース自らホッチキスで止める場面は、絶対にあんなに長い尺は必要ないと思うが、彼のハゲ頭に浮かんだ汗の描写も細かく、これも監督のこだわりなのだろうと微笑ましい。


全体的に、チャールズ・ブロンソン版に比べて軽くてポップという印象の本作。SNS時代を意識していて、サイトに上がった殺人動画で世間が騒いだり、銃の扱い方をYouTubeで検索したりといった「今っぽさ」が、前作にあったハードボイルド感を目減りさせているのは否めない。また映画内で起こる、印象的なシーンがほとんど予告編で観れてしまうというのも不満だったし、ラストの対決もあまりにアッサリしていてカタルシスが薄い。やはり「イコライザー2」や「ジョン・ウィック2」のような、アクション映画最前線の作品と比べると格段にレベルが落ちるのは事実だろう。また「自衛」という名目で街中で銃をぶっ放し、復讐に燃える主人公という映画そのもののテーマは、リメイクとはいえあまりにも70年代的で、あれだけ殺しておいて主人公が逮捕されないというオチも含めて「レトロ感」というフィルターをかけないと、余りにもリアリティが無さすぎて白けてしまうかもしれない。


結果、ターゲットが非常にセグメントされた作品で「B級リベンジアクション」というジャンルムービーを偏愛する、僕を含むおじさん達には懐かしい気持ちでブルース・ウィリスを応援できる娯楽作品になっていると思うが、ノレない人には全くノレないというリスクを孕んだ作品だと思う。このあたりのさじ加減が極めてイーライ・ロス作品ぽいとも言えるだろう。この作品が気に入った方は、悪趣味コメディホラー「グリーン・インフェルノ」も是非オススメだ。

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