映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

エンタメ系会社員&バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。劇場公開されている新作映画を中心に綴っていこうと思います。

「シャザム!」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「シャザム!」を観た。

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監督:デビッド・F・サンドバーグ

出演:ザカリー・リーバイ、アッシャー・エンジェル、マーク・ストロング

日本公開:2019年

 

今、劇場は「アベンジャーズ/エンドゲーム」で大賑わいである。上映時間は3時間以上、11年間のMCUを締め括るフィナーレ作品ということで、全部盛りの大盤振る舞いな映画だった為、観終わったあとは放心状態であった。感想は「もうお腹いっぱい」である。という事で今回は「エンドゲーム」ではなく、DCコミックスのDCエクステンデッド・ユニバース7作目「シャザム!」の感想を書きたい。そもそも、この「シャザム!」は今回の実写映画化よりも以前、1941年に「キャプテン・マーベルの冒険」という名前で映画が製作されていたらしく、そもそもはかなり歴史のあるヒーローらしい。この「キャプテン・マーベル」というネーミングはあのMCUのキャラとは関係なく、バッティングを理由に改名したとの事で、なんともこの辺りのエピソードもシャザムらしい。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

身寄りがなく、思春期真っただ中の今どきの少年ビリー・バットソンは、ある日、謎の魔術師の目に留まり、世界の救世主に選ばれる。そして「シャザム!」と唱えるや知力、強さ、スタミナ、パワー、勇気、飛行力という6つのパワーを持ち合わせた大人のスーパーヒーローに変身できるようになる。しかし身体は大人になっても心は少年のままであるため、悪友フレディと一緒になって怪力ぶりを試したり、稲妻パワーをスマートフォンの充電に使ってみたりと、スーパーパワーをいたずらに使うシャザム。そんな彼の前に魔法の力を狙うドクター・シヴァナが出現し、7つの大罪というクリーチャーたちが召喚される。シャザムのパワーを狙うドクター・シヴァナにより、遂にフレディや家族をさらわれ、シャザムは真のパワーを覚醒させる

 

感想&解説

DCエクステンデッド・ユニバースの前作「アクアマン」もかなりの良作であったが、今回の「シャザム!」も予想以上に楽しい作品だった。予告を観た印象だと、かなりコメディ色の強い、もっと軽いタッチの作品かと思ったが、意外とメッセージ性を含んだ単純なヒーローもの以上に見どころのある良作だと感じた。「マン・オブ・スティール」のような過度な重苦しさではなく、基本はコメディタッチで笑わせつつ、しっかりとドラマ性も含んだ優れたバランスの脚本だと思う。


本作の主人公ビリー・バットソンはかなり悲惨な境遇であり、3歳のときにふとしたキッカケで母親とはぐれ、そのまま生き別れになったことで孤児となってしまう。そして母親を探して家出を繰り返す彼は、里親を転々としている。しかも映画中盤に、なんとかその母親と再開できるのだが、実はビリーは生き別れでは無く、母親の意思で捨てられていた事がわかる。対する、悪役のドクター・シヴァナも幼少期から父親や兄に疎まれており、親子3人が乗った車の事故で父親が障害を負った事もあり、家族の心はバラバラなのである。本作は親に愛されなかった主人公と悪役がお互いのトラウマと葛藤しながら、自分の過去と戦う物語なのだ。よって、ドクター・シヴァナはパワーを手に入れた途端に、兄と父親を殺すのに対し、ビリーは母親の環境を慮り、彼女を許し身を引く。この差がヒーローとヒールの差であると観客に印象付ける。


ビリーが新しく養子として迎えられるのは、バスケス家といい、そこにいる子どもたちは全員が養子だ。もちろん血のつながりはなく性格から国籍までバラバラ。まさにこの家族は、人種のるつぼであるアメリカそのものを象徴しているが、これは今作の映画版からの改変らしい。ラストの兄弟全員で、「シャザム」と叫ぶ事により全員がスーパーパワーを手に入れる展開は、この様々な人種の子供たちがヒーローになり最終的に利己的な悪を倒すというカタルシスを持っており、今の時代を反映していると思う。


映画前半のギャグシーンも、このシャザムの能力を観客に紹介しながらも、子供が急に大人化してスーパーパワーを手に入れたらこうなるだろうなぁというシーンに納得感があり、俳優ザカリー・リーバイの演技も相まって非常に楽しい。本作の主人公は、大人の外見でも中身は「子供」の、名探偵コナン逆パターンの為に、いちいちやる事がアホっぽい。ビールを飲んで苦さの為に噴き出すとか、自分たちのスーパーパワーをYouTubeで流したりと序盤は楽しく過ごしているが、物語の中盤に「超人的なパワーを手に入れる事」の結果と責任を問われるシーンがあり、最終的には親友や家族を助けるという利他的な行動を取る事により彼は成長する。この辺りは「スパイダーマン」などに通じる、非常にオーソドックスなヒーロー誕生譚と言えるだろう。


また、こういった新規のスーパーヒーローものは、どこまでがOKで何をされるとピンチになるのか?が明確じゃないと、時としてアンフェアな気持ちになる事があるが、本作はコメディシーンとしてそれらが説明されるのも上手い。「シャザム!」と叫ぶ度に、子供とヒーローが入れ替わりに変身する事、ヒーローになると銃で撃たれても大丈夫で、雷のパワーや怪力がほぼ無尽蔵に使え、空も飛べる無敵状態になる事が説明される為、弱点は子供状態の時だけという事が分かる。ほぼスーパーマンに匹敵する強さな訳だ。これらが説明的ではなく、劇中でしっかり理解できる作りになっているのである。


監督のデビッド・F・サンドバーグは、元々2016年「ライト/オフ」や、2017年「アナベル死霊人形の誕生」を手掛けるホラー監督なのだが、本作はヒーロー映画にも関わらず、父兄虐殺シーンなど恐怖演出が出現するのも良いスパイスになっていると感じた(もちろん流血シーンは無いが)。DCエクステンデッド・ユニバースの前作「アクアマン」も、「ソウ」シリーズや「死霊館」シリーズのジェームズ・ワン監督が手掛けていて大ヒットに導いているので、今回の監督起用も今後のDCの戦略として興味深いところだろう。


ヒーロー映画としては、特に戦闘シーンの既視感や、あまりに予定調和なシナリオなど、もう少し工夫をと贅沢も言いたくなるが、この軽さとコメディ要素は新しいヒーロー映画として素直に楽しめると思う。確実に続編があると思うので、エンドクレジットにも注目だ。最後に今作は吹き替え版の上映数が多いのだが、字幕版がオススメかもしれない。個人的には菅田将暉さんの演技は良いのだが、声質がちょっと合ってないかなと感じた為だ。字幕版はノンストレスである。

「ザ・バニシング-消失-」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「ザ・バニシング-消失-」を観た。

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監督:ジョルジュ・シュルイツァー

出演:ベルナール・ピエール・ドナデュージーン・ベルヴォーツ、ヨハンナ・テア・ステーゲ

日本公開:2019年

 

1988年に世界公開されたオランダ・フランス合作映画で、日本では劇場未公開だったが2019年にやっと製作から30年を経て公開となったサイコ・サスペンス。あのスタンリー・キューブリックが3回鑑賞して、「今まで見た中で一番恐ろしい映画だ」と語ったとか、サイコ・サスペンス映画史上No.1の傑作とか、宣伝キャッチには華々しい言葉が並ぶが、これらを期待して鑑賞すると肩透かしを食うかもしれない。「羊たちの沈黙」や「セブン」などのサイコ・サスペンスの傑作をたくさん観てきてしまった僕らが、2019年に本作を観た感想は、キューブリックとは違って当然だろう。とはいえ、独特の世界観に溢れた意欲的な作品だと思う。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

オランダからフランスへ車で小旅行に出がけた夫レックスと妻サスキアの夫婦だったが、立ち寄ったドライブインで、サスキアがこつ然と姿を消してしまう。レックスは必死に彼女を捜すが手がかりは得られず、3年の月日が流れる。それでもなお捜索を続けていたレックスのもとへ、犯人からの手紙が何通も届き始める。犯人であるレイモンは、周到に犯罪の準備をして三年前の犯罪を成功させたのだが、それには飽き足らず徐々にレックスに接触し、遂には彼の目の前に現れる。

 

感想&解説

都内の映画館はゴールデンウィークという事もあり、本作を観るために集まった人でかなり混雑していた。ハリウッド大作映画でもない、30年前のサスペンス映画がこれだけ集客しているのは驚くが、かなり上映館も限られているし、話題の作品を映画ファンたちが楽しみにしていたのかもしれない。本作は事前にネットでもかなり紹介されていた。監督はジョルジュ・シュルイツァー。後にハリウッドで同作のセルフリメイク「失踪」を1993年に、キーファー・サザーランドジェフ・ブリッジスサンドラ・ブロック出演で撮っている。(こちらは未見である)


さて、本作「ザ・バニシング-消失-」の感想だが、想像していた作風と違って良い意味で裏切られたという感じだ。事前にすごく怖いとか恐怖映画としてのイメージが強かったせいか、凄惨なシーンが多くて精神的に圧迫される作品かと思ったが、全くそうではなかった。突然女性が失踪し、彼女の夫なり恋人がその行方と真相を探るというプロットの映画は世界中にあると思うが、大概はその「意外な犯人」や「女性は無事に生還できるかどうか?」が、物語の推進になるパターンが多い。だが本作は犯人が早々に分かってしまうし、失踪から物語上すぐに三年が経過する事と犯人の私生活を細かく描写する為、ほとんど妻はもう生きてはいないだろうと観客は想像出来てしまう。


それよりも本作は犯人であるレイモンが、どうやって女性を車で誘拐しようかと何度もシミュレーションしたり、自らクロロフォルムを嗅いで寝ている時間を計ったり、実の娘たちに蜘蛛を見せてその悲鳴がどこまで届くのかをテストしたりと、犯罪のリハーサルを入念に描いていくのが面白い。またこのレイモンが結構おっちょこちょいで、作戦を失敗ばかりするのもツボで、シリアスな場面にも関わらず鑑賞しながら思わず笑ってしまったシーンもあった。そういう意味で、本作は犯人探しやその誘拐の手法を見せる事に主眼が置かれてはおらず、観客の興味は「何故レイモンはこんな事をするのか?」という動機と、「連れ去られた妻のサスキアはどうやって殺されたのか?」の二点に集約される作りなのである。


これは本作の主人公であるレックスも同じで、彼は劇中で何度も「真相が知りたい」と言う。「犯人が憎い」でも「妻の安否を知りたい」でもなく、彼はテレビの取材に対して犯人に「もう彼女が無事だとは思っていない。君を断罪もしない。ただあの時何があったのか知りたい。」と語りかける。また犯人であるレイモンはレックスに対して何度も手紙を送り、遂には彼の前に姿を現わす。そして、自分の言う通りにすれば真相を教えると伝えるのだ。普通であればレックスはレイモンをそのまま警察に突き出すだろうが、彼はそうしない。またレイモンも女性への暴行や金銭目的の誘拐ではなく、誘拐には心理的な目的があったことを告白する。これは妻が消えた真相を解くという妄念に取り憑かれた男と、誘拐によって何かを成し遂げようとする男のオブセッションについての物語なのである。


では、このレイモンの動機とは何か?と言えば、彼は「反社会性パーソナリティ障害」で、普通なら思い留まる事をやってしまうという思考の持ち主である事と、自分は正しい人間であり、その正しさを証明する為に逆説的に殺人以上に残虐な行為を考え始めたという、なんとも納得しづらい動機が語られる。自分の正しさの証明の為に、いわば純粋な悪を追求したという事らしい。たしかに30年前にこの発想は斬新だったかもしれないが、今観るとちょっと苦しいのは否めないが、この常人には理解しがたいレックスとレイモンのやりとりこそが本作の魅力だと思う。


犯人レイモンはレックスを連れ出し、かつて妻サスキアを誘拐したドライブインに車を停める。そして水筒に入れていたコーヒーをレックスに差し出す。コーヒーには睡眠薬が入っており、自分がサスキアに何をしたかを知りたければ、これを飲めと告げる。もちろんサスキアはほぼ死んでいる為、これを飲むイコール自分も殺される可能性が高い。だが悩んだ挙句にレックスはそれを飲み干す。なぜなら彼は、この事件の真相を知る事への妄念に取り憑かれているからだ。そして、目が覚めると棺桶のような箱に入れられ、地中深くに埋められている事に気付く。持っていたライターの火も次第に消えてゆき、サスキアのことを想いながら叫び声をあげるレックス。だが、そこはレイモンの山荘の地中であり、山荘の庭で子供たちが走り回っているのをぼんやり眺めているレイモンと、レックスの行方不明を告げる新聞記事を映して映画は終わる。


非常に後味が悪いエンディングなのも、サイコ・サスペンスとしては良いし、レイモン以上にレックスの葛藤と狂気もよく伝わってくる。普通だったら、あのコーヒーを飲むという判断はあり得ないだろう。またレイモンが閉所恐怖症だからこそ、サスキアを地中に埋めるという選択をしたとか、冒頭でサスキアが見た夢を語るシーンの「金の卵に閉じ込められて、絶望的な孤独を感じた」や「二つの卵がぶつかる時に全てが終わる」という謎のセリフが、ラストの棺桶に閉じ込められるという運命を暗示していたり、更に夫婦の行方不明を報じる新聞の写真切り抜きが二つの卵のように楕円形になっているなど、細かく伏線を回収する作りなのも気が利いている。


あと、全体的に音の演出が独特で、娘たちの金切り声や車の騒音がやたらとノイジーで気に触るような音量になっているのも、本作には適している。正直、明快なエンタメ作品では無いし、サスペンスとしても広告キャッチのように傑作とは言えない。好き嫌いは確実に分かれる作品だが、何故かすごく記憶に残ってじわじわと好きになるタイプの映画だと思う。

「マローボーン家の掟」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「マローボーン家の掟」を観た。

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監督:セルヒオ・G・サンチェス

出演:ジョージ・マッケイ、アニヤ・テイラー=ジョイ、チャーリー・ヒートン、ミア・ゴス

日本公開:2019年


2018年の大ヒット作「ジュラシック・ワールド 炎の王国」でメガホンをとったJ・A・バヨナ監督が製作総指揮を務め、過去のJ・A・バヨナ作品で脚本を手がけていたセルヒオ・G・サンチェスが初メガホンを取った、サスペンスホラー。2017年「はじまりへの旅」のジョージ・マッケイや、同じく2017年のM・ナイト・シャマラン監督作「スプリット」の熱演が記憶に新しいアニヤ・テイラー=ジョイ、2019年ルカ・グァダニーノ監督版「サスペリア」のサラ役ミア・ゴスなど役者陣の好演が印象的だし、劇中の演出も非常に上品な佳作であった。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

森の中にたたずむ大きな屋敷で、不思議な5つの掟を守りながら暮らすマローボーン家の4人兄弟。忌まわしい過去を振り切り、この屋敷で再出発を図る彼らだったが母親が病死し、凶悪殺人鬼である父親が屋敷に現れたことをきっかけに、明るい日々への希望はもろくも崩れ出す。屋根裏部屋からは不気味な物音が響き、鏡の中には怪しい影がうごめき、やがて掟は次々と破られていく。そんな中、兄弟の長男ジャックは心身ともに追いつめられていく。

 

感想&解説

想像以上にしっかりとしたホラー風サスペンス作品だ。映画が始まった時点では、屋敷の中でうごめく「何者か」の正体がわからない為、古典的な恐怖演出の数々に心底ゾッとさせられるし、下手なホラー映画よりよほど怖い。これは映画的なシーンの演出がしっかりしているからだと思う。マローボーン家の4兄妹と母親が、森の大きな屋敷に到着するところから物語は幕を開けるが、その平穏そうな彼らの生活もすぐに終わりを告げる。病弱な母親が亡くなり兄妹は改めて結束を固めるが、なんと凶悪な殺人鬼である父親が彼らの盗んだお金を取り返しに来るからだ。そこで場面は暗転し「6か月後」と表示される。


半年後も4人の兄妹は無事なようだが、あれから父親はどうなったのか?あの日何があったのか?は謎として残される。更にそれと並行して、この兄妹が鏡を恐れていること、長男のジャック以外は屋敷の外には出れないこと、屋根裏部屋には「何か」が居ることが語られて、それらの理由を探る事がこの映画の推進力となる。この映画を観て一番最初に思い出したのが、同じくスペイン人監督のアレハンドロ・アメナーバルが作った2001年「アザーズ」である。静謐なタッチや上品な語り口などが非常に似ていると思う。ただ「アザーズ」を観た事がある人には、もはやこのタイトルを出した時点でほとんどネタバレになるかもしれない。


ポスターにある「衝撃の結末」というのはちょっと違うかなとは思うが、本作のオチも「アザーズ」に非常に近い。着地としては、突然現れた父親によって3人の兄妹を殺された長男は、ショックのあまり他の兄妹たちの人格が憑依して多重人格者となってしまう。その為に、基本的には4兄妹が一緒に映っているシーンに彼ら以外の他者はいないし、彼らは鏡に映らない。彼は一人で4役を演じているからだ。また家から長男以外は出れないのは、他の人間には見えないからという理由である。また父親は屋根裏に閉じ込めれており、6か月の間閉じ込められていたがいまだ死んでおらずまるで幽霊のように怪音を出していたというオチである。「すでに死んでいたオチ」に、多重人格もののアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」やジェームズ・マンゴールド監督の「アイデンティティ」を追加した感じだが、演出が全体的に上手いので鑑賞中は十分に楽めると思う。


正直、観ている間に兄妹は死んでいるというオチだろうなと想像できてしまうので、それほどの新鮮味はないが、この作品の肝は恐怖演出や意外性のある結末ではなくて、この長男と兄妹たち、それからアニヤ・テイラー=ジョイ演じる長男のガールフレンドのアリーらが織り成す青春ドラマなのだと思う。まず、彼らのキャスティングが素晴らしい。4兄妹のキャラクター設定がはっきりしていて誰もに感情移入が出来るし、彼らが親のことで葛藤する姿や恋愛に興じる兄に対する弟の感情、でも強い絆で結ばれている事を感じさせるラストの長男の行動など、人間ドラマとしてよく出来ていた。また一番歳下のサムの可愛さは反則レベルだ。心を壊してしまった長男ジャックと共に生きていく事を決意するアリーは、映画にさわやかな余韻を残す。


「衝撃のラスト」を期待して観るにはオチの既視感は否めないが、俳優陣の演技と画面の美しさが際立つ、スパニッシュサスペンスホラーの良作としてなかなかの佳作だったと思う。正直、イギリスからアメリカの屋敷に逃げてきたという設定だったが、殺人犯の父親はどうやって海を渡ってきた?とか、よくあの状況で父親だけを閉じ込められたなぁとか突っ込みどころが多いのは否めないが、それも含めて愛すべき小品という印象だ。

「ハロウィン」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「ハロウィン」を観た。

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監督:デビッド・ゴードン・グリーン

出演:ジェイミー・リー・カーティスジュディ・グリア、アンディ・マティチャック

日本公開:2019年


スラッシャーホラーの名作、ジョン・カーペンター監督による1978年「ハロウィン」の続編が公開となった。ハロウィンシリーズはロブ・ゾンビ版のリメイクも含めて10作が作られているが、本作は殺人鬼マイケル・マイヤーズと、当時20歳前後だった女優ジェイミー・リー・カーティスが熱演したローリー・ストロードの40年後を描いた、一作目の正当な続編である。本作の監督は2017年「ボストンストロング ~ダメな僕だから英雄になれた~」のデビッド・ゴードン・グリーン。これは意外な人選だと思う。1978年度版のジョン・カーペンターによるあのシンセサウンドをアレンジしたテーマ曲も鳴り響く、古典的なホラーとして楽しい作品だった。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

ジャーナリストのデイナとアーロンは、40年前のハロウィンに起きた凄惨な殺人事件の真相を調べていた。犯人の「ブギーマン」ことマイケル・マイヤーズは事件後ひと言も話さず、動機や感情は一切不明。事件の唯一の生き残りであるローリー・ストロードに話を聞いても収穫はなかった。しかしローリーは再びマイケルが自分の前に現れることを予感し、その時のためにひとり備えていた。そしてハロウィン前夜、精神病棟から患者を輸送する車が横転し、マイケルが再び街に解き放たれ40年前の恐怖が再び蘇る。

 

感想&解説

今回の作品を観る上で、ジョン・カーペンター監督による1978年第一作目の「ハロウィン」は必ず観ておいた方が良いだろう。今作は完全なる続編の為、観ていないとそもそもストーリーは謎だらけだろうし、何より作中に散りばめられたオマージュの数々が理解できないのでもったいない。正直、かなり古典的なホラー映画という感じで、この作品ならではのフレッシュさはあまり無いが、マイケルの造形や行動を含めてある意味78年度版を強く思い出させる、安定の続編という感じである。前作のファンなら間違いなく気に入る作品ではないだろうか。


特に映画中盤、刑務所から移動する車から脱走したマイケルによって、前作と同じ舞台ハドンフィールドの町が恐怖に陥っていく流れは、そのなかなかのグロ描写も相まって飽きさせない。特に突然、首を包丁で一突きして立ち去るシーンの突発的な暴力性や、顔面踏み潰しの画的なインパクトなどスラッシャーホラーとしても頑張っているし、前半で逃亡したマイケルにより、少年が殺されるシーンは、近年のハリウッド映画ではまずあり得ない展開の為、正直驚いた。このシーンがあった為にこの後、泣き叫ぶ赤ちゃんの側を包丁を持ったマイケルが通り抜ける場面は、かなり緊張感が高まったものだ。(さすがに赤ちゃんは殺されなかったが)


また前述のように、本作はジョン・カーペンター監督の一作目へのオマージュに溢れており、オープニングのスタッフクレジットが前作と同じ文字フォントとか、孫娘が教室の窓からローリーを見つけるシーン、目の所に穴の開いたシーツのシルエット、子供のお守りをしている女の子とそのボーイフレンドがセックスすると死亡するフラグ、クローゼットから出てくる死体、宙吊りのままナイフが刺さって死んでいる男、二階から庭に転落したローリーの姿が、あの独特のSEが流れて次の場面で消えているシーンなどなど、数えればキリがないくらいに前作を意識したシーンの数々がファンを喜ばせる。


更に本作はジェイミー・リー・カーティス演じる、ローリーの活躍を観る映画だと言えるくらい、本作の彼女はキャラが立っていて良い。前作ではひたすらに逃げ惑うだけの女子大生だったのに、本作では人生を賭けてマイケルとの戦いをイメージしながら生きてきた、「戦士」としてのローリーが見れるのだ。彼女が疎遠になった娘と孫娘を守るために、マイケルを追い詰めるトラップを仕掛けた自宅を舞台に、密室攻防劇を繰り広げるのがクライマックスの見せ場となる。


また実娘が幼い時、ローリーにより鍛えられていたという設定により、最初は泣き叫ぶだけだった彼女が自分の娘を守るためにマイケルに銃をブッ放すシーンのカタルシスなど、思わず喝采を送りたくなるし、ラストのマイケルを地下室に閉じ込めての火を放つトラップも、これぞエンターテイメント映画だと素直に楽しい場面になっている。ジョン・カーペンターが作曲し、主演のジェイミー・リー・カーティスが歌うエンドクレジットの楽曲のタイトルも、マイケルとローリーを意識しているのであろう、なかなか気が利いている。第一作のように歴史に残る傑作とは言わないが、少なくとも78年度版ハロウィンのファンや、レトロホラー映画が好きな人は必見の佳作だと思う。

「バイス」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

バイス」を観た。

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監督:アダム・マッケイ

出演:クリスチャン・ベールエイミー・アダムススティーヴ・カレル

日本公開:2019年


アメリカにおけるサブプライムローン問題を赤裸々に描いた、2016年「マネー・ショート 華麗なる大逆転」を監督したアダム・マッケイの最新作。クリスチャン・ベールが体重を20キロ増量し髪の毛を剃るまでして、33歳上の実在の政治家ディック・チェイニーになり切り、第91回アカデミー賞ノミネート、第76回ゴールデン・グローブ賞では主演男優賞を受賞した。ちなみに「バイス」自体は、作品賞を含むアカデミー8部門のノミネートを見事果たしている。前作「マネー・ショート 華麗なる大逆転」は、本ブログの2016年ベストランキングの第10位に入れた位に大好きな作品であったが、本作はどうだったか?今回もネタバレありで。

 

あらすじ

素行の悪い青年ディック・チェイニーは1960年代半ば頃、才女であり後に結婚する恋人リンに尻を叩かれ、政界に入る。そして、後に国防長官となるドナルド・ラムズフェルドのもとで政治の表と裏を学び、次第に権力の虜になっていく。ついに大統領主席補佐官、国務長官を経て、2001年にジョージ・W・ブッシュ政権の副大統領に就任したチェイニーだったが、そこに9月11日同時多発テロ事件が起こる。現場で大統領を差し置いて危機対応にあたり、イラク戦争へと国家を導いていくチェイニー。ブッシュの影に隠れる地位を逆手に取り入念な下準備をして大統領を操る彼は、強大な権力をふるうようになっていく。

 

感想&解説

めちゃくちゃ面白い映画である、などとまるで小学生のような感想から始めてしまったが、アダム・マッケイ監督のコメディセンスとアメリカ政治への風刺、そして鋭いメッセージが同居した非常に観る価値の高い作品だと思う。アダム・マッケイ監督作品は編集のテンポが素晴らしく、基本的にはくどくどと細かい説明はしない。設定や状況をバッサリと省略する傾向がある為、その分進行がスピーディになるが、逆を言えば常に頭をフル回転させてスクリーンを観ていないと置いて行かれる可能性があるが、そこがまた楽しい映画だろう。そこは前作「マネー・ショート」と同じタイプの作品だと思う。


また全編に亘り、演出に気が利いているのが本作の特徴だ。チェイニー夫婦の会話をあえてシェイクスピア劇のように大仰に語らせる事により、その直後の現実の会話とのギャップで笑わせたり、政治的な「一元的執政府論」の悪行を、まるでレストランでメニューを選ぶようにウエイターに説明させたり、映画の中盤、チェイニー家族が政界からリタイヤしたように見せかけて、突然フェイクのエンドクレジットが流れたりと、映画でしか成立しないブラックユーモア全開の演出がとにかく楽しい。


さらにそれが、映画として不可欠な「説明」の役割も担っていて、どうしても鈍重になりがちな状況説明を、スムーズに観客に理解させる役割を担っているのも、演出として非常に上手い。また役者たちの熱演も総じて素晴らしい。チェイニーを演じるために体形改造までしたクリスチャン・ベールを筆頭に、ドナルド・ラムズフェルドを演じたスティーヴ・カレルの憎々しくもコミカルな演技も笑えるし、ジョージ・W・ブッシュを演じたサム・ロックウェルのそっくりな顔芸も最高だ。


無能(のように描かれる)ジョージ・W・ブッシュ大統領体制の副大統領として絶大な権力を手にしたバイスは、大統領の耳に囁くだけで戦争ができる仕組みを自ら作り、9.11以降イラク侵攻を企てていく。それは、石油掘削機や軍のケータリングも担当している複合多国籍企業ハリバートン社のCEOとしての顔もあった、バイスの目論見でもあった訳だ。「俺もフセインを潰したかった」とバイスの考えに同調するブッシュに押し切られる形で、国務長官のパウエルは国連で、アルカイダイラクを関連づけるスピーチをしてしまう。それによりアメリカ国民はイラクフセイン大統領が9.11テロに関わり、大量破壊兵器を持っていると信じ込んでしまうのだ。そしてイラク戦争は始まり、結果はご存知のとおり。この一部の人間たちのやりとりが当時の世界を動かしたと考えると、本当に恐ろしい。


映画のラストで、チェイニーがテレビのインタビューを受けるシーンがある。インタビュアーとチェイニーのそれぞれを映すカメラ映像を通して第三者的に観客はインタビューを見ていると、突然チェイニーは映画を観ている我々、すなわち「観客」にカメラ目線で話かけてくる。イラク戦争は間違っていたのでは?という質問に対して、「私は国民を守っただけだ。私は謝らない。」と熱弁をふるうチェイニー。その後で、イラク戦争がどれだけの犠牲者を出したのか、そして後にISISを生み出す結果に繋がった事が画面に流れる。なんという批判的なメッセージだろう。仮にも存命中の前副大統領を主人公にしつつ、これだけ痛烈なメッセージを持った作品が、全世界規模に公開される事実にまずは驚かされる。日本では絶対に無理だろう。これがアメリカ映画の素晴らしいところだと改めて思う。


映画の冒頭で「日々の生活で疲れていると、誰もがややこしい政治のことなんか考えたくなくなる。たまの休みがあれば好きなことをしたい。」というナレーションが流れるが、まさにこういう表に出ていない事実を噛み砕いて、娯楽として楽しく、さらに分かりやすく観客に伝えられる事が、エンターテイメント映画の役割だろう。十分に楽しく笑えるのに、恐ろしい現実が描かれているのだ。「この映画はリベラル過ぎるか?」エンドクレジットのラストシーンで、この議論がなされるのだが、このシーンの切れ味も最高なので最後まで席を立たないように。僕の返答は「次のワイルド・スピードも楽しみだけど、この映画も最高だった」である。