映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

エンタメ系会社員&バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。劇場公開されている新作映画を中心に綴っていこうと思います。

「ターミネーター:ニュー・フェイト」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

ターミネーター:ニュー・フェイト」を観た。

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監督:ティム・ミラー

出演:アーノルド・シュワルツェネッガーリンダ・ハミルトン、マッケンジー・デイビィス

日本公開:2019年


ジェームズ・キャメロンが生み出した、1984年のSFアクション「ターミネーター」と、その続編1991年「ターミネーター2」は大傑作だったが、本作はシリーズ通算6作目。キャメロン自らがプロデューサーに名を連ねている。ジェームズ・キャメロンがこのシリーズに携わるのは「2」以来ということもあり、本作は「ターミネーター2」の正当な続編として位置付けられていて、「3」以降の作品はいったん無かった事になっているという面白いシリーズだ。監督は「デッドプール」のティム・ミラーリンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーも28年ぶりにシリーズにカムバックし、シリーズの顔であるT-800を演じるアーノルド・シュワルツェネッガーももちろん出演している。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

人類滅亡の日である「審判の日」は回避されたが、まだ危機は去っていなかった。メキシコシティで父と弟とごく普通の生活を送っていた21歳の女性ダニーのもとに、未来から最新型ターミネーター「REV-9」が現れ、彼女の命を狙う。一方、同じく未来からやってきたという女性戦士グレースが、ダニーを守るためにREV-9と壮絶な戦いを繰り広げる。何度倒しても立ち上がってくるREV-9にダニーとグレースは追いつめられるが、そこへ、かつて人類を滅亡の未来から救ったサラ・コナーが現れる。

 

感想&解説

ターミネーター」シリーズにおいて、ジェームズ・キャメロンの名前は、観客にとって絶大なる信頼を得られる要素だろう。しかもリンダ・ハミルトンまで再登場するという事で、本作の予告編を最初に観た時の興奮は忘れられない。戦うサラ・コナーの勇姿に、今年の4月に公開された「ハロウィン」におけるローリーを思い出し、ジェイミー・リー・カーティスリンダ・ハミルトンの姿が重なったものだ。そういえば、デビッド・ゴードン・グリーン監督の「ハロウィン」も、1978年に公開された初代の正当続編ということで、他のシリーズ作はスルーされていた事を思い出す。


とにかく、キャメロンにとっては名実共に初期の代表作であり、思い入れのある「T2」の正当なる続編を、いよいよ自らの手で作りたかったのかもしれない。前作の「新起動/ジェネシス」は批評家や観客からの評判も散々で、リブート3部作シリーズとして予定されていたが、その続編も立ち消えになったという「ターミネーター」作品としては黒歴史になっている。確かに、過去作の細かいオマージュが散りばめられていて、楽しいシーンもあったが、設定がメチャクチャ過ぎていて「トンデモ映画」というイメージが強いのは確かだ。


それから4年を経て、遂に真打ち登場といった感じで「ニュー・フェイト」が公開となった訳である。ポスターには、監督名よりも上に「ジェームズ・キャメロン製作復帰」の文字が踊り、シュワルツェネッガーよりも大きく、リンダ・ハミルトンの姿がデザインされている。本作における重要人物が誰なのかは、これからも明らかだ。あの溶鉱炉に親指を立てて消えていったT-800が救った、「審判の日」以降のターミネーターが見られる訳で、これは期待値が上がっても仕方ないだろう。


ところが、いきなり映画冒頭から衝撃のシーンが訪れる。「2」であれほど苦労して生き残った少年ジョン・コナーが、あの戦いから3年後にアッサリと違うT-800によって射殺されてしまうのだ。そしてストーリーはそれから22年後が経過し、REV-9という新たなターミネーターが襲来してきた事を描く。REV-9の標的はダニーという女性で、そのダニーの前に彼女を守ろうとする、グレースという女性が未来からタイムスリップしてくる。グレースの話からREV-9はスカイネットによるものではなく、新たな人工知能「リージョン」というAIによって作られたという事がわかり、ここからは改造人間グレースと、過去にジョンを殺されて怒りに燃えるサラ・コナーが、ダニーを守る為に共闘していくという流れになる。


この後は、ジョンを殺してしまった後で家族を持った事により、「人間性」に芽生えたT-800がサラ達と合流して、ひたすら襲ってくるREV-9との追っかけっこが続くのだが、何故ダニーが襲われるのか?と言えば、「将来ダニーがレジスタンスのリーダーになるから」らしい。T2のジョンと同じ立場になるから、未来からターミネーターを寄越して殺そうとしているというのだ。


ここまで観た時、正直この展開に逆に驚いてしまった。何という既視感だろう。T2の正当な続編というより、本作はあまりにT2の完全なる焼き直しに過ぎないからだ。主要キャラクターを女性陣に変えたりしているが、描いている内容があまりにターミネーター2クリシェに溢れていて、全くストーリーに意外性がないのである。自己犠牲による相討ちというオチも含めて、全く新鮮味がない。また今回のシュワルツェネッガー演じるT-800の魅力の無さにも、呆れるしかない。


ジョン・コナーを殺した後、自分も家庭をもって子供の尊さを知ったみたいな事を言っていたが、こんなヒューマニズムあふれるロボットが相手なら、そもそも未来で戦争など必要なく、もっと話し合いで解決出来てしまうのでは?と思ってしまう。あれほど旧作では、近づくだけで犬に吠えられていたターミネーターだったのに、犬と戯れている姿など見たくないのだ。T2では、そもそも未来のジョンが過去の自分を護るため、ジョンの指示に従う様にT-800を再プログラムして送り込んだという設定だったので、ジョン・コナーと友情が芽生えるのもまだ納得できたが、本作のT-800はそもそもジョンを殺しに来た別個体のターミネーターである。だとすれば、彼は本当に人間との触れ合いの中で自分の意思で改心したという事になり、「1」ではあれだけ会話不能の凶悪なキャラクターだったのに、その設定自体がブレていると思う。本作のシュワルツェネッガー演じるT-800は、T2以降の「善良感」を維持したい為に、明らかに作品世界観の足を引っ張っているのだ。


アクションシーンも、シュワルツェネッガーが全く動けないので仕方ないだろうが、現代のレベルのアクションシーンとしてはお粗末だと言わざるを得ない。逆にマッケンジー・デイビィスが活躍する前半は、それなりに楽しめるのだが、「デッド・プール」を手掛けたティム・ミラーでさえこうなってしまうのかと驚きを隠せない。とにかく続編ありきのシナリオで、「みんなT2が好きなんだから、おんなじ話をもう一度やればいいんじゃない?」という意志しか伝わってこない残念な凡作だと感じた本作。アメリカの興行的にもかなり厳しいらしく、80から90年代にかけて、ハリウッドのブロックバスター超大作だった「ターミネーター」も、主演のアーノルド・シュワルツェネッガーの加齢と共に、過去の遺産になったと思わざるを得ない。本作によってジョン・コナーが死んだ事で「T2」の価値すら下げた感のある「ニュー・フェイト」は、シリーズ再起動どころか遂に「ターミネーター」シリーズに終止符を打つ作品になってしまったと思う。

「CLIMAX クライマックス」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「CLIMAX クライマックス」を観た。

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監督:ギャスパー・ノエ

出演:ソフィア・ブテラ、キディ・スマイル

日本公開:2019年


「アレックス」「エンター・ザ・ボイド」などの尖った作風で有名な、フランスの鬼才ギャスパー・ノエの新作が公開となった。前作「LOVE 3D」から三年ぶり。やはり新作も、ギャスパー・ノエの作品としか言いようのない独特の作品になっていたが、今作は今までのような批評家からの罵詈雑言は少なく、第71回カンヌ国際映画祭では芸術映画賞に輝いている。どうやら、1996年に起こった実際の事件からインスピレーションを得たらしい。主演は2017年「ザ・マミー呪われた砂漠の王女」に出演していた、眉毛が特徴的なソフィア・ブテラ。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

1996年のある夜、人里離れた建物に集まった22人のダンサーたち。有名振付家の呼びかけで選ばれた彼らは、アメリカ公演のための最終リハーサルをおこなっていた。激しいリハーサルを終えて、ダンサーたちの打ち上げパーティがスタートする。大きなボールに注がれたサングリアを浴びるように飲みながら、爆音で流れる音楽に身をゆだねるダンサーたち。しかし、サングリアに何者かが混入したLSDの効果により、ダンサーたちは次第にトランス状態へと堕ちていく。

 

感想&解説

日本ではR18+指定。監督のギャスパー・ノエ曰く、「思春期の子供たち向けの映画で、アルコールがいかに恐ろしいかを啓蒙するための作品」と言い放っているが、ホンマかいなと訝しんでしまう。さすがにこれは、18歳以下には観せられないと思うくらいに、本作はアルコールとドラッグによる性と暴力と狂気を描いているからだ。過去の「アレックス」の様な直接的な性描写は少ないが、それでも登場人物達が交わす会話のほとんどは性的な含みがあるし、直接的な表現も飛び交う。特に前半の黒人ダンサー達の会話は、嫌悪感を抱く人がいてもおかしくないだろう。


出演者のうち、主演のソフィア・ブテラ以外は、演技経験のないダンサーたちを起用して、即興の会話劇と身体的パフォーマンスをベースに、映画は最悪な方向に進んでいく。このダンサーを起用している事にはもちろん理由があり、それが最も直接的なカタルシスに繋がっているのが、冒頭約10分ほどのダンスシーンだろう。シンプルなカメラワークでありながら、ワンカットで繰り広げられる22名のダンスシーンは、躍動感と淫猥さに満ちており本作の白眉だ。真っ赤な床と照明、さらにフランスのディスコクラシックであるCerrone「Supernature」のビートと彼らのパフォーマンスが混ざり合い、この不条理劇のオープニングとして相応しい見事なシーンだったと思う。


正直、ストーリーとして特に明確な起承転結がある作品では無い。冒頭のダンスシーンが終わると、徐々にLSDの入ったサングリアを飲んだダンサー達の意識が壊れ、ある者は暴力的になり、ある者は性に固執し、ある者は理不尽な行動に出始める。ダンサーという身体的な動きで全てを表現する人間達が、互いに傷つけ合い錯乱して、遂にはその動きを止めるまでの一夜を描いているだけの作品だとも言える。そして、その中でギャスパー・ノエは、日常の中で人が見たくないと思うシーンをスクリーンの中に頻発させる。直接的なグロ表現は抑え目だとはいえ、それは女子が立ったまま床に放尿するシーンであり、妊婦が腹を蹴られるシーンであり、人が火だるまになるシーンであり、自らナイフで身体を切るシーンであり、無垢な子供が死ぬようなシーンの事だ。


長回しで、まるで観客がその場にいるような気分にさせられる様な長回しの多様と、グラグラと揺れるカメラワーク、さらに常に誰かの悲鳴と叫び声が聞こえる環境で、マトモではない登場人物の行動を延々と見せられる地獄絵図は、こちらの鼓動も早まり、体温が上がってくる。天井と床が逆さまになったかと思ったら、字幕も上下反転して表示される映画なんて初めて観た。本作はあまりスクリーンに近い座席だと、酔ってしまうかもしれない。特にラストのバッドトリップ描写は、もはや体感に近い。本作が97分という、比較的タイトな上映時間で本当に良かった。


一応、誰がサングリアにLSDを入れたのか?というサスペンス的な結末も、レズビアンの片方だったという一応の決着が着くが、これはほとんど添え物に過ぎない。この映画の本質はここには無いからだ。とにかく強烈に観る者を選ぶ作品だが、現実には経験出来ない悪夢の擬似体験という意味で、本作はとても映画的なモチーフだろう。世界には様々な表現があってもいい。これだけ恐れを知らない、ギャスパー・ノエの様な映画作家は貴重だと思う。

「ジェミニマン」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

ジェミニマン」を観た。

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監督:アン・リー

出演:ウィル・スミス、メアリー・エリザベス・ウィンステッド、クライブ・オーウェン

日本公開:2019年

 

ブロークバック・マウンテン」や「ライフ・オブ・パイトラと漂流した227日」の監督、巨匠アン・リーがSFアクションを撮っていると聞いて楽しみにしていた本作。主演は「メン・イン・ブラック」や「アイ・アム・レジェンド」のウィル・スミス。本作は、ある意味でウィル・スミス祭りとなっており、20代の若きウィル・スミスがフルCGで再現されているのも話題になっている。いわゆるクローンものという定型的なジャンルの中で、本作はどれくらい過去作品と差別化できているのか?今回もネタバレありで。

 

あらすじ

史上最強とうたわれるスナイパーのヘンリーは政府に依頼されたミッションを遂行中、何者かに襲撃される。自分の動きをすべて把握し、神出鬼没な謎の襲撃者の正体は、秘密裏に作られた若い頃のヘンリーのクローンだった。その衝撃の事実を知ったヘンリーは、アメリカ国防情報局の捜査官ダニーの協力を得ながら、政府を巻き込む巨大な陰謀の渦中へと身を投じていく。

 

感想&解説

まず最初にお断りをしておきたいのだが、僕の今回の鑑賞環境は「2D字幕」である。これがもっとも上映数の多いパターンだと思うが、どうやら「3D+IN HFR(ハイ・フレーム・レート)」の上映方式で観ると、かなり本作の評価が良くなるらしい。通常は1秒24フレームのところを、1秒120フレームで撮影しつつ更に3Dという事で、映像的にはかなりの没入感らしいのだが、上映館数と回数も限られており残念ながらまだ未見である。今回の感想はその前提なので、ご注意を。

 

クローンをテーマにした映画といえば、古くは2005年マイケル・ベイ監督の「アイランド」や、2009年ダンカン・ジョーンズ監督の傑作「月に囚われた男」、2001年ゲイリー・シニーズ主演そのものズバリ「クローン」など、かなりの数に上る。そういえばトム・クルーズ主演の2013年「オブリビオン」もそうだったと思う。いわゆる「本物」と「クローン」が存在する事による、お互いのアイデンティティのぶつかり合いや、同じ見た目による事での周りの人間との軋轢などを描きながら、最後はどちらかが生き残るのか、もしくは友情が芽生えるのか、というあたりが穏当なストーリーの着地になるが、残念ながら本作もその枠からはみ出してはくれない。はっきり言えば、ストーリーの観点で本作には語るべきポイントはないと言えるだろう。

 

ウィル・スミスとその若きクローン、さらにクライブ・オーウェン演じるクローンの育ての親との三角関係をベースにお話は進むのだが、クライブ・オーウェンがクローンを軍事目的に利用しようとしていた悪玉だったといえば、もうこれ以上の説明は必要ないと思う。若きウィル・スミスと、年老いたウィル・スミスのガチンコ対決も、何か年齢を重ねているが故のウィークポイントや、逆に知識があるが故に有利になる展開もなく、ただ単純な殴り合いに終始してしまう為に、格闘シーンとストーリーが有機的に機能することも無く退屈だ。

 

それよりも本作の大きな特徴は、中盤でのバイクシーンだろう。バイクチェイスからの単車を使った格闘シーンは、カット割りから得られるスピード感や豪快なアクション演出含めて、かなりフレッシュなシーンとなっていると思う。追う追われるのそれぞれの一人称視点の映像を織り交ぜたり、逆に同じカットの中に高低差のある追っかけっこを見せたりと、その編集テンポも含めて手に汗握る。さらにこの若きウィル・スミスもフルCGとは思えないほどの質感で、その昔2001年に公開された、坂口博信監督「ファイナルファンタジー」で顕著になった、CGなどの映像表現で「ほぼ忠実の一歩手前」までリアル度が上昇すると、人間はとたんに嫌悪感を抱くようになるが、さらに忠実度が上がり実物と見分けが付かないほどリアルになると、人は一転して好印象を抱くという「不気味の谷現象」を思い出してしまった。それくらいに「ファイナルファンタジー」と本作「ジェミニマン」では、CG技術に隔世の感がある。今作のフルCGウィル・スミスには、十分に感情移入が可能なリアリティがあるのだ。

 

ブロークバック・マウンテン」や「ラスト、コーション」、「ライフ・オブ・パイ」といったアン・リーフィルモグラフィー上では、かなり特殊な立ち位置の作品だと思うが、過度な期待を寄せて観なければ、そこそこの良作だと思う。特に前述したバイクシーンは、この作品の見どころの全てが詰まった名シークエンスだと言えるだろう。残念ながら全米での興行も大コケで、80億の赤字という報道もあったが、これは明らかに制作費の使い過ぎによるものだと思う。B級アクション映画と割り切って観れば、まずまず楽しい作品だった。

「ボーダー 二つの世界」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「ボーダー 二つの世界」を観た。

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監督:アリ・アッバシ

出演:エヴァ・メランデル、エーロ・ミロノフ

日本公開:2019年


スウェーデン作品「ぼくのエリ200歳の少女」の原作者ヨン・アイビデ・リンドクビストの手による北欧ミステリー。本作はR18+のレーティングである。昨年のカンヌ映画祭「ある視点」部門において、俳優のベニチオ・デル・トロ審査員長らの激奨を受け、見事グランプリを受賞したらしい。本年度アカデミー賞にもメイクアップ&ヘアスタイリング賞にノミネートされている。さらに各国の映画祭で「ショッキング過ぎる」と話題になったシーンがあったが、製作者の意向を汲み日本公開版は修正一切無し、ノーカット完全版での上映となっている。間違いなくこのシーンの為に、本作はR18+になっていると思うが、それは後述したい。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

醜い容姿のせいで孤独と疎外感を抱える税関職員ティーナには、違法な物を持ち込む人間を嗅ぎ分けるという特殊能力があった。ある日、彼女は勤務中に奇妙な旅行者ボーレと出会う。ボーレに対し本能的に何かを感じたティーナは彼を自宅に招き、離れを宿泊先として提供する。次第にボーレに惹かれていくティーナだったが、ボーレにはティーナの出生にも関わる大きな秘密があった。

 

感想&解説

いかにも北欧らしい、暗く重苦しい雰囲気の作品である。このあたりは、やはり「ぼくのエリ200歳の少女」や、昨年観たノルウェー産サスペンス映画「テルマ」を思い出す。ただ、事前にイメージしていた作風とはかなり違い、虚をつかれた事は間違いない。もっと税関の職員が「怪しいものを嗅ぎ分ける能力」を使って、サスペンスタッチで様々な事件を解決する様な映画を想像していたが、これは全く違っていた。この能力はあくまで、この主人公の特殊性を際立たせる為の一要素に過ぎず、このスキルに特化した作品では無かったのである。では、何に特化した作品かと言えば、まさしくこの「主人公の存在そのもの」である。


登場シーンからかなり異様な容姿の主人公ティーナが、同じ様な容姿の「男」であるヴォーレと出会う事で物語は始まっていくのであるが、このヴォーレが税関の身体検査から、実は女性であり臀部に尻尾の跡のような傷がある事が分かるあたりから、徐々にこのストーリーの行き先が分からなくなる。更にこのティーナとヴォーレが惹かれ合い、イチャつき始める頃には一体何を観せられているのかと思い始め、遂には強烈なシーンに驚愕することになる。そう、あの「セックスシーン」だ。


実はこの二人は人間では無く、トロールという北欧の怪物であり、一見男性のヴォーレが実はメスで、女性に見えるティーナがオスだったという設定なのである。さらにこの二匹が性器も含めて丸見えの、なんとも荒々しくも奇妙な性行為を始めるのだが、このシーンが本当に気味が悪く強い印象を残す。これが本作がR18+である最大の理由だろう。さらにヴォーレはトロールの子を出産し、胎児を冷蔵庫に入れて保存するのだ。映画全体に漂うアートな雰囲気と裏腹に、表現は悪趣味なのである。


ストーリーとしては、おおよそこんな感じである。ヴォーレは今まで自分を迫害してきた人間に復讐するため、人間の赤ん坊をさらい自分が生んだトロルの胎児と取り換えることで復讐していた。さらに誘拐した人間の赤ん坊を幼児愛者に売り飛ばすことで生計を立てていたのである。これを知ったティーナはヴォーレを船の上で警察に引き渡そうとするが、ヴォーレは逮捕を目前に自ら海に身を投げる。後日、ティーナのもとへ大きな木箱が送られてくる。そして、ティーナが箱を開けるとそこには生きたトロルの赤ん坊が入っていた。ティーナはその赤ん坊にエサを与えると笑顔を浮かべ、映画は終わる。


タイトルの「ボーダー」とは、人間とトロールとの境界、それから同じトロールでも人間への復讐に駆られたヴォーレと、人間との共存を選んだティーナとの境界、この二つのダブルミーニングを意味しているのだと思う。アートな絵作りが活かされたダークファンタジーでありながら、時折ショッキングで悪趣味なシーンを挟みこみつつ、唯一無二の作品になっていると思う本作。主演二人である、エヴァ・メランデルとエーロ・ミロノフは毎日4時間掛けて特撮メイクを施し撮影に臨んだらしく、その甲斐もあってこの世界観の造形に大きく寄与している。


万人に向けたエンターテイメント作品とは呼べないが、他に観たことの無い映画だという意味では、価値のある作品になっていると思う。「ぼくのエリ200歳の少女」の原作者ヨン・アイビデ・リンドクビストの作家性と、監督のアリ・アッバシのビジュアルイメージが融合した本作は、個人的には傑作とまでは言いがたいが、北欧ダークファンタジーの佳作として十分に観る価値のある作品であった。

「蜜蜂と遠雷」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

蜜蜂と遠雷」を観た。

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監督:石川慶

出演:松岡茉優松坂桃李森崎ウィン鈴鹿央士

日本公開:2019年


史上初となる直木賞本屋大賞をダブル受賞した、恩田陸の同名ベストセラー小説を松岡茉優松坂桃李といった豪華キャストで実写映画化した話題作。監督・脚本は2017年「愚行録」で長編デビューした石川慶。今作が二作目という事でポーランド国立映画大学で学んだという経歴も含めて、すごい才能の監督だと思う。原作は「文字から音が聴こえてくる」とまで形容された音楽描写の緻密さゆえに、かなり映像化のハードルは高かったと思うが、本作は非常に「映画的な演出」に溢れた快作であった。ちなみに僕は原作未読である。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

優勝者が後に有名なコンクールで優勝するというジンクスで注目される芳ヶ江国際ピアノコンクールに挑む栄伝亜夜(松岡茉優)、高島明石(松坂桃李)、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)、風間塵(鈴鹿央士)。長年ピアノから遠さがっていた亜夜、年齢制限ギリギリの明石、優勝候補のマサル、謎めいた少年・塵は、それぞれの思いを胸にステージに上がる

 

感想&解説

劇中で松坂桃李が演じる、会社員をやりながらピアニストを続けている高島明石が、松岡茉優森崎ウィンが演じる栄伝やマサルに対して、「あっち側の人たち」と表現するシーンがある。いわゆる「あっち側の人たち」とは、人生をピアノに捧げ、途轍もない努力と天賦の才能に恵まれた「一握りの天才」を指す言葉であるが、まさに本作は「あっち側の人たち」を描く作品である。その証拠に、いわゆる努力家キャラは、普通の作品ならなんらかの救済が施されるところだろうが、本作では早々に退場となり、ほぼ陽が当たらない。ある女性の努力家キャラが栄伝に対して「アンフェアだ」と声を荒げるシーンがあるが、それは彼女の才能に対しての羨望と嫉妬の声だろう。その天才と一般人の中間に位置するのが、先ほどの高島明石だ。


実際のクラシックピアノの世界も、あれくらいアカデミックなのかもしれないが、本作のメインキャラクター達は上映時間の間、本当にピアノと音楽の話しかしない。このストイックさは、デイミアン・チャゼル監督の「セッション」を思い出すが、J・K・シモンズが演じていたテレンス・フレッチャーと大きく違うところは、本作の中心的な登場人物4名には「悪意」や「嫉妬」といったネガティブな感情が全くなく、純粋に「音楽の高み」を目指しているところだ。そこが本作の非常に爽やかな鑑賞感を生んでいるのだと思う。


一般的に「天才たちの争い」は、「普通の人たち」にはその凄さの差が分かりにくく、映画作品としては食い合わせが悪いと思う。特にそれが音楽がテーマとなると尚更だ。単純に天才Aが弾くピアノ演奏と、天才Bの弾いた同曲のどちらの演奏が優れているのか?は、恐らく理解できない世界だからだ。これが小説であれば、説明描写やキャラクターの書き込みである意味、読者の想像に委ねる事ができるが、映画ではそれを映像と音で表現する必要がある。だが、本作は非常に映画的な方法でクリアしているのだ。それは大きく「音の強弱」と「聴いている人たちの反応」の二点である。


本作の演奏シーンを観ていると、明らかに「強調したい音」のバランスを調整している。マサルのピアノにバッティングするフルートの音は明らかに大きく誇張されているし、加賀丈史演じる指揮者が率いるオーケストラとの共演時に、栄伝が弾くピアノはいかにも弱々しくアタックが弱い。それにより、栄伝が感じている不安や迷いが観客に手に取るように解る。またその音を聴いているオーケストラの演奏者たちの目配せや、指揮者のイラついた顔のリアクションにより、セリフではなく「この演奏は上手くいっていない」事が、演奏シーンだけで伝わってくるのだ。逆に「上手くいっている演奏」の表現は、ピアノ奏者の活き活きとした、そして興奮した表情と、文字通りの音楽そのものの音圧でシーンが雄弁に語ってくる。その最たるものが、ラストにおける松岡茉優が演じる栄伝の演奏シーンだろう。本作の各演奏シーンは、それぞれのキャラクターがその時に置かれている環境や感情が非常に上手く表現されていて、音楽映画として素直に上手いと感じる。


栄伝の演奏するラストシーンが彼女の満面の笑みと祝福で幕切れたあと、あっけない位に素っ気なく、大会の結果が文字だけで表示される。それを観たときに、やはり「あっち側の世界」は凡人には理解できないのだと、観客には伝わることになる。あれだけ完璧な演奏をしたように(観客には)観えた栄伝ではなく、なんとマサルが優勝するのである。これはもちろん原作通りなのだろうが、こういったツイストのある展開もこの作品をより重層的なものにしていると思う。そのまま栄伝が優勝する展開よりも、評価する側も含めた高すぎるレベルでしのぎを削る「天才たちの世界」がより際立つ展開で、個人的には圧倒的に良いと感じた。


新人である鈴鹿央士演じる風間塵が連弾するシーン、森崎ウィン演じるマサルがピアニストとしての将来の夢を語るシーン、松岡茉優演じる栄伝亜夜が、母親の死を乗り越えて世界は音で満たされている事に気づくシーンなど、本作を通じて描かれる、本当に自分の好きな事を突き詰めている人間の生きざまの美しさと、純粋に音楽を奏でる喜びに貫かれた2時間は少しでも「何か自分の好きなもの」を持っている人にとっては、胸に刺さるシーン満載の至高の体験となるだろう。これは「一握りの天才たち」の物語ではあるが、同時に、本当に好きな事を突き詰めて生きている者たちの崇高な物語でもあるのだ。瞬く間の上映時間だった。