映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「エイリアン:コヴェナント」を観た

エイリアン:コヴェナント」を観た。

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監督:リドリー・スコット
日本公開:2017年

 

2012年「プロメテウス」の続編で、エイリアンシリーズとしては実に6作目の本作。1979年の一作目「エイリアン」の前日譚シリーズの二作目である。まず前作「プロメテウス」は最低限観ていないと、ストーリーはチンプンカンプンだろう。さらに過去のエイリアンシリーズへの愛着によって、かなり評価に差が出そうな本作。実際、ネット上でも評価が割れているようだ。今回はラストのネタバレを含むのでご注意を。

 

感想

前作「プロメテウス」から10年後、初代「エイリアン」から20年前という時代設定なので、あのリプリーが孤軍奮闘していた前には、こんな事があったのかとまずは感慨深い。個人的には本作「エイリアン:コヴェナント」はかなり好きな作品であった。もちろん、完璧な作品とは言えない事は百も承知だが、それでも凡百のSFホラーとは一線を画す快作、いや傑作だったと思う。

 

冒頭、マイケル・ファスベンダー演じるアンドロイドと、ガイ・ピアース演じるピーター・ウェイランドとの会話シーン。真っ白な部屋には、大きな窓があり山や湖が見える。さらに壁には絵画「キリスト降誕」がかけられており、机と椅子、ピアノがある。まずこのシーンの構図が素晴らしい。リドリー・スコットの映画における特徴のひとつに「アート性」が挙げられると思うが、画面の中に完璧な配置でオブジェクトと人物が配置されており、そのバランス感覚には惚れ惚れする。また、あるタイミングで窓の外の湖から鳥が羽ばたくのだが、そのタイミングとカット割りが絶妙で、こちらも非常に美しい。

 

このように作品全編を通して「エイリアン:コヴェナント」はとても美しい映画だ。思い返せば、第一作目の「エイリアン」もH・R・ギーガーのアートワークを筆頭に、その世界観とクリーチャーにおける「怖さと美しさ」が共存していた作品であった。本作はそのエイリアンにおける「アート性/芸術性」を見事に引き継いだ作品と言えるだろう。冒頭のタイトルワークから必見である。

 

また本作の良い所は、しっかりと「怖い」というところだ。これは「エイリアンシリーズ」としてはかなり重要なポイントで、そもそものコンセプトを「アクション化」とした「エイリアン2」などは除いて、怖さはSFホラーのジャンルとして大きな魅力になる。正直、前作の「プロメテウス」を含めてここが弱かったのだが、今作は寄生した人物の背中を破ってエイリアンが飛び出す最初の犠牲者の描写など、なかなかハードなR15+的名シーンに仕上がっていたと思う。

 

特に今作は「ネオモーフ」と呼ばれる白い新型エイリアンが不気味だ。とにかく得体のしれない、凶暴なエイリアンが理不尽な暴力で襲ってくるという、シリーズの大事な根幹をしっかり踏襲していたのが良かったと思うし、そのシチュエーションも多彩で、特に「1」のファンなら喜ぶ設定が多い為、観ていて非常に満足度が高い。

 

当然、悪い点もある。特にキャラクターに関しては、かなり掘り下げ不足だと言わざるを得ない。植民船コヴェナント号の乗組員に関して、ほぼどんな性格や生い立ちなのかが解らないままバタバタと殺されていくので、本作はどちらかといえば「13日の金曜日」などのスラッシャームービーの様なテイストに近い気がする。特に後半のシャワーシーンにおける殺害演出などは顕著な気がするが、せめてメインキャラだけでももう少し描きこんでも良いのではないかと思った。特に主人公のダニエルズは、リプリーや前作のエリザベス・ショウと同じく女性主人公であるが、まったく華がない。もちろん劇中で活躍はするのだが、まるで無色透明な存在の様に頭に残らないキャラクターなのだ。

 

また、まったく未知なる惑星に降り立つのにそんなに軽装で良いのか?問題、確実に「何か」に感染しているクルーの身体や血液にそんな簡単に接触していいのか?問題、クルーの中に夫婦が多過ぎて、これじゃあトラブル時の冷静な判断は無理だろ問題など、今作の登場人物は感情に流され過ぎていて、全く「プロ」には見えない。しかも、上記の全てが「ほら、言わんこっちゃない」という結果に繋がる為に、観ていてどうにも残念な気持ちになる。

 

この辺りは、7月に公開された「ライフ」の方が、展開の納得度は高いだろう。また先ほど「1のファンなら喜ぶ設定が多い」と書いたが、これはある意味では既視感の裏返しで、正直後半の宇宙船内でのアクションシークエンスは、良くも悪くも観たことのあるシーンの連続で新鮮味は薄い。

 

とはいえ、やはりこの映画は素晴らしい作品だと思う。AIの自我の目覚めは「2001年宇宙の旅」からのSF的なモチーフだし、自らの監督作「ブレードランナー」でもアンドロイドの反乱は描いてきた。そのSF的なテーマの中でも、マイケル・ファスベンダーの演じるアンドロイドは特筆すべきで、特に映画クライマックスの、モニターに映る逃げる主人公たちを思わず見入っている時の「ある動き」によって、二体のアンドロイドが入れ替わっている事を描く演技と演出は見事だ。またワーグナーの「ヴァルハラ城への神々の入城」が、映画の冒頭で弾くピアノバージョンとラストでの勇壮なオーケストラバージョンが円環構造になっているのも、アンドロイドであるデヴィッドの置かれている状況の変化を鑑みると面白い。またラストの切れ味も鋭く、ダークなオチだが僕は爽快感すら感じた。

 

リドリー・スコット監督、79歳。とにかく近作「悪の法則」や「オデッセイ」「エイリアン:コヴェナント」が傑作揃いなのは素直に感動する。クリエイティブな感性は、老化しないという証明だからだ。ここにきて脂が乗りまくっている、リドリー・スコット。製作総指揮作品としては、いよいよ「ブレードランナー2049」が10月に控えている。

 

「オデッセイ」の感想はこちら↓

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「三度目の殺人」を観た

三度目の殺人」を観た。

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監督:是枝裕和
日本公開:2017年

 

「誰も知らない」そして父になる」「海街diary」など、国内外で非常に評価の高い、是枝裕和監督の最新作が公開になった。正直、今まで過去作はほぼ観てきていなかったのだが、今作を観て、そのあまりのクオリティの高さに驚いた。今まで是枝監督はホームドラマのイメージだったが、今作は法廷を舞台にしたサスペンス。まさに今の日本だからこそ、作られるべき傑作であった。今回はネタバレ無しで。

 

感想

映画を最後まで観ても、人によってそれぞれ解釈に違いが出て、同じ結論には辿り着かないかもしれない。解釈の幅があり、多様な考え方が出来る作品だ。まず、ここが素晴らしい。映画を観終わって、しばらくこの映画の事が頭を離れない。各シーンを思い出しては、その台詞の意味合いを考える。この時間も含めて、この映画の価値だと思う。

 

冒頭、役所広司演じる「三隅」という男が河原にて殺人を犯し、ガソリンを撒いたのち火を付けるというシーンから映画は始まる。シーンは変わり、拘置所。先ほどの三隅が、弁護士の重盛(福山雅治)らに「間違いありません。私が殺しました。」と雇い主の社長を営利目的で殺した事を認める発言をするが、三隅は30年前にも北海道で殺人を犯した前科があり、今回の罪で死刑は決定的であった。弁護士である重盛は、なんとか無期懲役まで罪を軽く出来ないかと調査を始めるが、殺された社長の妻(斉藤由貴)にも秘密があり、三隅の証言も状況によってコロコロ変わる為、なかなか事件の全貌が掴めない。そんな時、社長の娘(広瀬すず)と三隅との意外な接点が見つかる。

 

劇中で描かれるのは、映画冒頭の河原での殺人と、30年前の北海道での殺人の二件だが、タイトルにある「三度目の殺人」の三度目は誰が誰を殺す話なのか?が作品の大きなポイントだ。ここに「日本の司法制度」という重い問題提議が絡みながら、そもそもすでに逮捕されている三隅が何故、証言をコロコロ変える必要があるのか?というのが、ストーリーの推進になる。ヒントはメインビジュアルにもある、頬に付いた血痕とそれを拭う仕草。それから、この映画の「殺人シーン」にミスリードは無いという前提で、映画冒頭と中盤の二ヶ所で描かれる河原での殺人シーンは「本当に起こった事」だとすれば、三隅の証言を含めて、ストーリーはかなりスッキリとするだろう。

 

また三隅が途中から「自分は河原には行っていない」と証言を変えるところで多くの観客は混乱するだろうが、これは三隅が「日本の司法の弱点」を知っていて、そう証言してもこの裁判の結論は変わらないと見越した上で、「彼女を守った」という様に僕は解釈した。あのまま彼女が三隅の「真の動機」を証言すれば、彼女自身が辛い過去について掘り返されるし、更に犯行自体のボロが出かねない。三隅は、30年前の裁判でも死刑を免れる為に、弁護士から虚偽の証言を強要されているのだ。裁判が終わった後、「三隅から」重盛に差し出す握手の強さが、それを裏付けているだろう。

 

この作品が描こうとしているテーマは多岐に亘る。先ほどの日本の司法制度の危うさ、父性や家族、前科のある人間が日本で生きていくこと。どれもが2時間の作品の中に過不足なく詰め込まれていて、観客の心を揺さぶる。福山雅治役所広司広瀬すずなど俳優陣の演技、是枝監督の映画的な演出も本当に良い。映画中盤の雪原シーン。三人が雪ではしゃぐ姿が、福山演じる重盛と実の娘との関係、役所広司演じる三隅と北海道にいる娘との関係を考えると、美しくもあり切ない幻想シーンである事が解る。

 

今年観た映画の中でも、かなりの傑作だと思う本作。是枝裕和監督の過去作も是非チェックしてみたくなった。「三度目の殺人」は文句ナシにオススメの一作だ。

「散歩する侵略者」を観た

散歩する侵略者」を観た。

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監督:黒沢清
日本公開:2017年

 

前作「クリーピー 偽りの隣人」から、約一年ぶりの黒沢清監督の新作である。黒沢清と言えば、今やカンヌ映画祭でも何度も受賞する程の世界的な監督になっているが、その独特の作風が最大の魅力だろう。今作「散歩する侵略者」も、やはり他に類を見ない作品として良くも悪くも、とても個性的な映画であった。劇団イキウメの同名舞台が原作との事だが、舞台は未見。今回はネタバレ全開で。

 

感想

作品が始まり、最初の10分はニヤニヤが止まらない。冒頭、日本の何気ない家屋を映してるだけなのに、劇伴音楽とカメラワーク、編集のテンポによって、これほど「映画的」な映像になっている事にまずは驚く。そこからお婆さんが、ドアから何者かに引きずり込まれ、次に凄惨な殺人現場が映り、血塗れの女子高生が指に付いた血を舐めるカットとその効果音により、今作はなかなかハードな作風だぞと姿勢を正す事になる。その後、フラフラと道路を歩く「異星人が乗り移った女子高生」の背後で、トラックが横転する展開も含めて、掴みは完璧だ。冒頭から今作の異星人は、かなり暴力的である事が示唆され、黒沢清監督作としては「CURE」や「叫」の様なホラー路線かと期待が膨らむ。

 

ところがそのトーンは映画冒頭だけで、今作のメインキャラである、松田龍平演じる「加瀬真治」が病院で奥さん役「加瀬鳴海」演じる長澤まさみと会話するシーンは、明らかに真治は異星人に乗っ取られているという状態にも関わらず、牧歌的とも言えるやり取りがなされていて(アレっ?)と違和感を感じ始める。突然、映画がコメディ的なトーンに変わるのである。

 

またセリフ全般も、原作が舞台劇という事もあり大仰で量も多く、いわゆる説明的だ。ここから、高杉真宙が演じる「天野」がタメ口で放つ「僕は宇宙人で地球を侵略しに来た」発言や、それを聞いた長谷川博己のリアクション、宇宙への通信機器の部品を地球の電気屋で買う件、そもそも何故宇宙人3人ともに日本の狭い範囲にいるのか?の件、日本でマシンガンをブッ放す不自然な組織の存在など、とにかく全てが突っ込みどころ満載で、ますますコメディ色は強くなる。

 

また宇宙人たちが、地球人の「言葉の概念」を奪いながら、この星の住人を理解していくという設定があるのだが、これがなかなか苦しい。概念を奪われると、奪われた方はそれを忘れるという設定なのだが、劇中こんなシーンがある。


長澤まさみが雇われている会社の社長から、松田龍平演じる宇宙人が「仕事」という概念を奪うシーン。妻である長澤まさみが仕事に縛られていて可哀想だという理由からだが、仕事の概念を奪われた社長は、子供の様に幼児化してキャッキャと社内を走り回るのだ。これだけ観ると大人から「仕事」という概念を取ると、幼児化するという風に描かれているが、これはおかしいだろう。子供が大人に肉体的、精神的に成長する事と、仕事という概念を知る事はまったく別物の話だ。この様に、映画内のルールもかなりあやふやで、納得しづらい。

 

だがこの映画、何故かキライにはなれないのだ。それは前作「クリーピー」にも感じたのだが、独特のB級映画感と役者の演技、このシュールな世界観含めて、他では観た事のない映画に仕上がっているのは事実で、作り手が作品を楽しんで作っているのが伝わってくる。また、黒沢清監督がファンだと公言している、2005年スティーブン・スピルバーグ監督「宇宙戦争」へのリスペクトが溢れた終盤の空爆シーンや、宇宙からの侵略シーンにおける度を越した安っぽさ、シナリオの色々な意味での先の読めなさも含めて、ラスト直前までは結構楽しめたのは事実だ。

 

ただこの映画、正直ラストが頂けない。宇宙人の仲間が侵略してきた地球で、長澤まさみから「愛」という概念を盗んだ松田龍平(宇宙人)。そのまま、何故か仲間の宇宙人たちは地球侵略を止めて地球は救われ、愛を無くして無反応になった長澤まさみ松田龍平(宇宙人)が、「ずっと一緒にいるよ」と誓って映画は終わるのだが、原作があるとはいえ、この映画としてこれは考え得る最悪のラストだろう。せっかくオフビートかつシュールな世界観で最後まで笑わせてくれたのに、この中途半端にウェットなラストシーンで作品自体の方向性もボヤけてしまった気がする。しかも「愛」という特に概念として難しいものを、簡単に解決のキーワードにしてしまったばかりに、この映画の底がひどく浅く感じられ、テーマも矮小化してしまった感が強い。

 

確実に賛否両論ある作品だし、世界観としては面白い映画だったと思うが、色々と惜しい作品だった。ある意味で、そこが黒沢清監督作品ぽいとも言えるが。

 

前作「クリーピー 偽りの隣人」の感想はこちら

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「ダンケルク」を観た

ダンケルク」を観た。

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監督:クリストファー・ノーラン
日本公開:2017年

 

全世界待望のクリストファー・ノーラン監督新作の「ダンケルク」を鑑賞した。ノーランと言えば「メメント」「ダークナイト」「インセプション」「インターステラー」など、オリジナリティ溢れる脚本と独特のビジュアルセンスで、高い評価を得てきたイギリス人監督だ。今作のプロモーションコピーにも、クリストファー・ノーランの名前がかなり前面に出ていて、「名前で客が呼べる監督」として日本でも一般層に認知が上がってきている。今回は第二次世界大戦のイギリス、フランスを始めとする連合軍と、ドイツ軍との戦いにおけるダイナモ作戦という「撤退」をテーマにした戦争映画であった。今回はネタバレ無しで。

 

感想

極めてオリジナリティ溢れる戦争映画だと思う。突然、ただ戦場に放り込まれて「そこで起こっている事」を目の当たりにしている様な気持ちになる作品だ。シナリオらしいシナリオも無い。兵士たちが空爆から逃げ惑い、水の中で溺れ苦しみながら必死に生き抜く様を、圧倒的なビジュアルと共に106分に渡り鑑賞する。よって緊迫感は凄まじい。ほぼ無名の新人役者たちが主人公の為、常に緊張を強いられ、誰がいつ死ぬか分からない死の恐怖が画面に付きまとう。更に映画音楽の巨匠ハンス・ジマーが奏でる、時計の針が進む音が配された巧妙なスコアとSEにより、神経が圧迫される。結果、とても観ていて疲れる映画なのである。

 

構成も特殊だ。陸海空と、3つのパートから映画は構成されているが、それぞれのパートの時系列と時間軸はバラバラに編集されている。陸のストーリーはある1週間、海は1日、空は1時間の出来事を、なんの説明も無くシームレスに繋げて編集しているので、さっきまで朝のシーンだったのに、突然夜になり、また昼になるという事が平然と起こる。登場キャラクターによって、今どのパートの話なのかは理解出来るのだが、もはやこの先、映画がどう転がっていくのか?は全く分からないという作りになっており、まさに戦場にいる感覚に近いパニック感が演出されている。

 

敵兵であるドイツ軍がほぼ登場しないのも特徴だ。今作は戦う事よりも、撤退を遂行する作品という事もあり、まるで「姿が見えない敵」からの攻撃からいつも逃げている様な、キャラクターたちの寄る辺なさを観客も感じる作りなのである。

 

また、クリストファー・ノーランと言えば、デジタル主流になりつつあるデジタルシネマに対し今もフィルム主義者として有名だが、今作の豊かなビジュアルは、かなりその恩恵に預かっていると言えるだろう。本当に(どうやって撮ったの?)と思える程、戦闘機が被爆して撃沈する様、砂浜に空中から砲撃される様、ダンケルクの浜辺に兵士たちが密集している様など、CGIでは表現出来ない、とてつもないリアリティのある映像が続く。

 

パンフレットによれば、IMAXフィルム撮影が全体の75%、65mmフィルム撮影が25%らしいが、これだけ高いスペックで撮影された本作は絶対にIMAXデジタルシアターで観る事をオススメする。日本にIMAXフィルム上映や、70mmプリント上映の映画館は存在しないが、せめてIMAXデジタルシアターで観てこそ、ノーランが考える「本来のビジョン」に近いものを感じられると思うし、とにかく映像の凄さが肝な作品の為に、通常上映では勿体ない。特にこの映画に関しては、家庭でのDVD鑑賞では恐らく作品の価値が大きく変わってしまうのでは無いだろうか。

 

いわゆる戦争をテーマにしている作品だが、流血シーンやグロテスクな描写はほとんど無い。このテーマを扱っているのに、あまりに血が流れないのは逆に不自然だし、戦争映画としてのメッセージ性は薄くなるが、そもそも本作はそこを狙ってはいないのだろう。そういう意味では、開かれたエンターテイメント作品と言える。個人的には「インターステラー」や「インセプション」の様な、凝った世界観と設定で構築された作品の方が好みではあるが、このテーマでこれだけ新しい手法と緊張感を演出できる監督はやはり稀有だと思う。思わず「ダークナイト」シリーズを再度観返して、そのあまりの面白さと才能に舌を巻いたが、次回作もあまり時間を置かずに発表してほしいものだ。クリストファー・ノーランも本作で、すっかり巨匠の仲間入りといった感がある。

「新感染 ファイナル・エクスプレス」を観た

「新感染 ファイナル・エクスプレス」を観た。

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監督:ヨン・サンホ
日本公開:2017年

 

第69回カンヌ国際映画祭で上映されたのを皮切りに世界の映画祭で熱狂を呼び、世界中から買い付けオファーが殺到したという、韓国産ゾンビパニック映画「新感染」をレイトショーで鑑賞した。夜遅い回だったのに、いかにも映画好きという客層で混んでいたし、会場のリアクションがとても豊かで、楽しい映画鑑賞だった。今回はネタバレ無しで。

 

感想

韓国映画のレベルの高さは、本当にすごいと思う。すでに世界中で作られたはずの「ゾンビ映画」という、手垢のついた題材なのに、なぜにここまで面白い映画に出来るのか。 今年亡くなったゾンビ映画の巨匠、ジョージ・A・ロメロ監督も、まさか韓国からこれほど本格的なゾンビ映画フォロワーが登場するとは、想像していなかったに違いない。

 

ベースは本当にオーソドックスな、ゾンビ映画のお約束を踏襲したパンデミックものだ。ゾンビに噛まれると感染する、感染するとゾンビになって人を襲う、ゾンビの知能は低い、実は極限状態の人間が一番怖いなどでお馴染みのアレである。今回のゾンビは「走るタイプ」なので、ダニー・ボイル監督「28日後」や、ザック・スナイダー監督「ドーン・オブ・ザ・デッド」の系譜だが、ガラスの向こう側に無数のゾンビが張り付いているビジュアルは、ロメロの78年度版「ゾンビ」のオマージュも感じる。

 

とにかく過剰なサービス精神で、矢継ぎ早に事態が展開する為、映画がまったく停滞する事がない。いわゆるダレる時間が無いのだ。また登場人物たちがキチンとキャラクターとして生きて(活きて)いる。各登場人物が自分のキャラに合わせて、その時々で的確な判断をするので、よくある「ストーリーの為だけの不自然な行動」が極めて少なく、観ていて納得度が高いし、それ故にハラハラする。また韓国映画の特徴かもしれないが、次に誰が死ぬのか?が全く読めないのも良い。今回の映画は、主人公たちが相当に過酷な状況下に置かれるので、最後まで生き残るキャラクターも少なく、最後の最後まで気が抜けない。

 

そして、ストーリーの緩急も良い。主人公は幼い娘と一緒にこの極限状態を生き抜く事になるのだが、パニックスリラーの裏にはしっかりと人間ドラマが描かれている。身重の妻を持つ夫婦や、老姉妹、学生カップル、会社の重役など様々な環境の人物が、自分たちの感情で行動し、時には自己犠牲を払って他人を助けたり、逆に人を陥れたりしながら行動していく。その様に感情を動かされるのだ。劇中、本当に自己中心的な悪人が登場するのだが、観ている間に心底そのキャラが嫌いになったし、まさかゾンビ映画で泣かされるとは思わなかった。それほど、僕はこの映画を楽しんだという事である。

 

そしてラストの伏線の回収とそのメッセージ、カタルシス。劇場からも思わず声が漏れていたが、最悪の事態を予感させてからのある展開、そしてエンドクレジット。切れ味バツグンで見事という他ない。編集のテンポ感と見せるべき順番が的確なのである。この作品の監督ヨン・サンホは、元々はアニメーション監督で、実写では初監督作品らしい。すごい映画作りのセンスだと思う。

 

パク・チャヌク監督「お嬢さん」、ナ・ホンジン監督「哭声/コクソン」、キム・ソンフン「トンネル/闇に鎖された男」、キム・ソンス監督「アシュラ」と、今年の新旧監督による韓国映画の充実ぶりは、偶然ではないだろう。ハリウッドの作品とは違う路線でありながらも、世界に向けてこれほど高いレベルの作品を提供し続けているのは、素直に素晴らしい事だと思う。

 

ゾンビ映画というジャンルムービーなので、観る人を選ぶのは十分承知だが、グロテスク表現もほとんど無い作品だし、とにかく「面白い映画」だ。「新感染 ファイナル・エクスプレス」、文句なしにオススメの作品である。

 

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