映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

エンタメ系会社員&バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。劇場公開されている新作映画を中心に綴っていこうと思います。

「アス」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「アス」を観た。

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監督:ジョーダン・ピール

出演:ルピタ・ニョンゴ、ウィンストン・デューク、エリザベス・モス

日本公開:2019年


製作費約500万ドルという低予算ながら全米で約1億7500万ドルの大ヒットを記録した、「ゲット・アウト」の監督ジョーダン・ピールが放つ待望の新作。「ゲット・アウト」はアカデミー脚本賞を受賞し、アフリカ系アメリカ人では初の快挙を成し遂げたわけだが、そんなジョーダン・ピール監督の新作もやはりホラー映画である。全米では、初週に「ゲット・アウト」の2倍以上となる7100万ドルを稼ぎ、初登場1位を獲得している。出演には「それでも夜は明ける」のオスカー女優ルピタ・ニョンゴ、「ブラックパンサー」のウィンストン・デューク、「ハンドメイズ・テイル」のエリザベス・モスら。今回もネタバレありで感想を書きたい。

 

あらすじ

夫のゲイブ、娘のゾーラ、息子のジェイソンとともに夏休みを過ごすため、幼少期に住んでいたカリフォルニア州サンタクルーズの家を訪れた妻アデレードは、不気味な偶然に見舞われたことで過去のトラウマがフラッシュバックするようになってしまう。そして、家族の身に何か恐ろしいことが起こるという妄想を次第に強めていく彼女の前に、自分たちとそっくりな「わたしたち」が現れる。

 

感想&解説

ジョーダン・ピールの前作「ゲット・アウト」は、現代のアメリカ社会でいまだに存在する、「黒人差別意識」をコンセプトに置いて、それをホラー映画というフォーマットに落とし込んだ、ある意味で「社会派ホラー映画」といえる作品だった。本作もその「社会派ホラー」というコンセプトは踏襲していると言える。ただ、今回は「生まれながら持ってる人と持っていない人」、言い換えれば「階級と貧富」を作品のテーマにしていると感じた。


ストーリーの骨格はある家族に元に、自分たちそっくりの「ドッペルゲンガー」が現れて、理不尽に命を狙われるという話である。映画の冒頭では、なぜこのドッペルゲンガーが突然現れて、なぜ自分たちを襲うのか?が不明な為に大変に不気味で恐ろしいし、赤のつなぎと弟のマスク姿などはビジュアル的にもインパクトがあって面白い。前作の「ゲット・アウト」の時にも感じたが、この監督の画面構成力は素晴らしいと思う。また実はコメディの要素もかなり多く、緊張感の高まっている場面に限って、独特の間で笑えるセリフが挟み込まれる。特に本作の夫ゲイブはお笑い要員といえるだろう。あるキャラクターが殺される直前に、スマートスピーカーに「警察を呼んで!(Call the police)」と呼びかけると、N.W.Aの「Fuck the Police」がかかり、絶望しながら絶命するというシーンなども、ホラー映画として思わず笑ってしまう。


ドッペルゲンガー」にひたすら襲われる家族が逃げ惑い延々と戦う姿を観ているうち、実はこのドッペルゲンガー達はこの家族以外にも存在しており、世界中で同じような惨劇が起こっていることが分かってくる。そして、「ハンズ・アクロス・アメリカ」という、人と人が手をつないでアメリカ大陸を横断しようというコンセプトの、80年代に実在した募金イベントを模したように、ドッペルゲンガーたちは赤いつなぎを着て、世界中で手を繋いでいる模様がメディアによって放送される。後から調べたのだが、このイベントは10〜35ドルを寄付するとTシャツがもらえて参加可能という内容だったらしいが、1億ドルの寄付金目標のうち実際は3400万ドルほどの収益に留まり、実際に寄付された金額は僅か1500万ドルだったらしい。


ジョーダン・ピール監督は、子供ながらにこのイベントに「悪夢的な印象を持った」と語っているが、この「人と人が手をつなぐ」という行為と、10~35ドルという寄付金額のアンバランスさに違和感を感じるのは事実だろう。ドッペルゲンガーが、被害者から「お前ら何者なんだ?」と聞かれて「We’re Americans.」と答えるあたりにも、監督からの痛烈なメッセージを感じる。タイトルの「アス(US)」とは「UNITED STATES」とのダブルミーニングで、地下に閉じ込められたクローン人間が貧困層、地上の人間たちが富裕層という、現代のアメリカに蔓延する格差を表現しているという訳だ。


ところが、この強いメッセージ性が先行するあまり、どうしても映画の脚本という意味では、突っ込みどころが満載で乗り切れなかったのが事実である。このあたりは前作「ゲット・アウト」の感想にも近い。結論、このドッペルゲンガーたちは、アメリカ政府によってつくられたクローン人間で地上にいるオリジナルの人間たちとつながっており、その行動も同期してしまうという設定なのだが、事実としては全くそうは見えない。事実、ドッペルゲンガー家族の登場シーンから、オリジナルの家族とは全く違う行動を取るし、妻アデレードの幼少期クローンは偶然地上に出てきたのに、なぜ他のクローン人間たちは今まで地上に出てこなかったのか?地下世界は地上と同じくらい広い場所が、政府によって作られているという事なのか?全世界の人のクローンを作って、そもそも何がしたかったのか?など、設定について深く考えだすとクラクラしてくる。正直、最後のクローンとアデレードが入れ替わっていたというオチも、この設定であれば想像の範囲内で驚きも少ない。


ジョーダン・ピール監督の作品は、常にアメリカ社会に疑問を投げかけて議論を呼ぶ。それをエンターテイメント作品として上手く演出して、多くの人に観てもらえるようにコーディネイトしているのは事実だろう。そういう意味では、非常に存在意義のある映画監督だと思う。ただ、個人的はもう少しだけでも作品内の世界観が成立するような設定にしてくれないと、そこがノイズになってしまい映画の中に入り込めない。なんとも歯がゆい作品である。もちろん次回作も観るつもりだが。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を観た。

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監督:クエンティン・タランティーノ

出演:レオナルド・ディカプリオブラッド・ピットマーゴット・ロビー

日本公開:2019年


全世界待望のクエンティン・タランティーノ9作目となる長編監督作。レオナルド・ディカプリオブラッド・ピットの初共演作であると同時に、アル・パチーノ、カート・ラッセル、ブルース・ダーンといった名優も脇を固める非常に贅沢なキャスティングの作品だ。さらに本作は実在の女優シャロン・テートを演じた、マーゴット・ロビーが素晴らしい輝きを放っているのだが、まさにこれこそが本作のコンセプトに直結しているので、後述したい。今までのタランティーノ作品を想像していると、161分という長さもあり鈍重な作品に感じるかもしれないが、映画愛に溢れたタランティーノならではの作品に仕上がっていたと思う。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

テレビ俳優として人気のピークを過ぎ、映画スターへの転身を目指すリック・ダルトンと、リックを支える付き人でスタントマンのクリス・ブース。目まぐるしく変化するエンタテインメント業界で生き抜くことに神経をすり減らすリックと、対照的にいつも自分らしさを失わないクリフだったが、2人は固い友情で結ばれていた。そんなある日、リックの暮らす家の隣に、時代の寵児ロマン・ポランスキー監督と、その妻で新進女優のシャロン・テートが引っ越してくる。今まさに光り輝いているポランスキー夫妻を目の当たりにしたリックは、自分も俳優として再び輝くため、奮闘の日々を続ける。やがて1969年8月9日、彼らの人生を大きく巻き込む、ある事件が発生する。

 

感想&解説

どうやらこの映画を観て、「何が言いたいのか解らない」という感想の方が一定数いるようだが、それも無理からぬ事だと思う。いわゆる映画ファンであれば、ロマン・ポランスキー監督とその妻であるシャロン・テートの身に1969年8月に起こった事件はある程度の知識があるのかもしれないが、特にこの日本ではそこまで老若男女が知っている事件ではないだろう。だが、この作品を観るにあたって、最低限この「シャロン・テート事件」の顛末だけは知らないと、本当に何が描きたかった作品なのか?が全くわからない。だが、いわゆる作品上でこの事件についての説明がある訳でもないし、この事件をテーマ的に掘り下げる作品でもない。ただ、この映画を理解するには「シャロン・テート事件」の結末を知っている事が絶対条件になる。いわば、この映画の本当の主役はディカプリオでもブラピでもマーゴット・ロビーでもなく、実際の「シャロン・テート」その人だからだ。


シャロン・テート事件」とは、ヒッピー文化が全盛期を迎えた1969年8月9日に、当時ロマン・ポランスキー監督の妻で新進女優、そして当時は妊娠8カ月だったシャロン・テートが、カルト集団「マンソン・ファミリー」によってハリウッドの自宅で友人3人とともに惨殺された事件のことだ。ハリウッド史上最大の悲劇とも言われており、この事件を起点にアメリカのヒッピー文化が衰退していった訳だが、本作はこの1969年8月9日という「Xデー」に向かって、進行していく構成になっている。このラストシーンに向けて、主にディカプリオが演じる俳優のリック・ダルトンブラッド・ピットが演じるスタントマンのクリス・ブース、マーゴット・ロビーが演じるシャロン・テートの3名が過ごす日常が描かれていくのだ。


この3名は60年代のハリウッドを生きており、いわゆる「映画業界」の人間だ。リック・ダルトンは、落ち目の俳優で今は主演から降ろされ、悪役として撮影に参加しているし、そのリックのスタントダブルであるクリスは撮影自体にも呼ばれず、リックの運転手や屋敷のメンテなどをしながら食い繋いでいる。シャロン・テートは「哀愁の花びら」に出演した新進気鋭の女優だが、まだまだ知名度は低く、映画館のチケット売りにも気づいてもらえない。そう、劇中で登場する「大脱出」のスティーブ・マックイーンのようなスターには程遠い、なんとかハリウッドの片隅でサバイブしている人間たちが本作の主要キャラクターなのである。だが、彼らにはひとつの共通点がある。それは「映画」を心から愛しているという点だろう。それは、本作の監督であるクエンティン・タランティーノの視点と重なる。


この映画には、キャラクターが映画やドラマに出演していたり、それを観ているシーンが多数出てくる。その中でも、シャロン・テートが自らの出演作を映画館で観るシーンがあるのだが、その多幸感たるや。自分の演技が多くの観客を楽しませているという事を、身をもって感じているというシーンなのだが、実際にシャロン・テートが出演している「サイレンサー第4弾/破壊部隊」を観ながら、シャロン・テートを演じているマーゴット・ロビーが本当に嬉しそうな顔をして、観客と一緒に映画を観るという、メタ構造的なシーンである。このシーンのマーゴット・ロビーは実に可愛い。本作のマーゴット・ロビーは、幸せと輝きに満ちていた当時の女優シャロン・テートを見事に表現していると思う。


また、ディカプリオが迫真の演技で悪役を演じきった後、子役に言われる言葉に思わず涙するシーンや、ブラッド・ピットがマンソン・ファミリーのアジトでブルース・ダーンと交わすシーンや、ブルース・リーと戦うシーンなどの魅力的なこと。今作の登場人物は、観客が彼らを好きになってしまう要素に溢れたキャラクターに仕上がっている。それは、古き良きハリウッドで懸命に生きる「映画人」としての彼らを、タランティーノ自身が愛しているからだろう。だからこそ、この後に起こる悲劇を観客は予感してしまい、それがある意味でこの物語の唯一の推進力となっている。逆に言えば、本作は明確なストーリーはないと言える。


ところが、観客が覚悟している「シャロン・テート事件」の顛末に対して、タランティーノは驚くべき結末を用意しているのである。今までの作品でも「イングロリアス・バスターズ」のラストでヒトラーを火だるまにしたタランティーノだったが、今作ではなんとシャロン・テートは殺されず、マンソン・ファミリーはディカプリオとブラピによってボコボコにされるという胸のすく展開を見せるのである。この史実改変によって感じるのは、あの時代に暗い影を落としたシャロン・テートの死を回避する事による、タランティーノの60~70年代ハリウッドとその時代の映画への強い愛情だ。ディカプリオはこの作品に対して、「この映画は、この業界、ハリウッドという場への祝福のような作品だと思っている」とコメントしたらしいが、ポランスキーとリック・ダルトンが会話するラストシーンには、映画人としての強い祝祭感がある。この二人による新作がいつか制作されるかもしれないという、あり得ない未来すらあのシーンからは感じさせるからだ。もちろん、その作品にはスタントマンのクリフも出演しているだろう。


いつもの過度なバイオレンス描写もかなり抑えめで(とはいえ、ラストにあるにはあるが)、大掛かりなアクションシーンも少ない。キャストの豪華さに比べて、間違っても派手な映画とは言い難い本作ではあるが、描いているテーマから言っても、映画ファンなら必ず観るべき作品だと思う。タイトルの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」は、「昔々ハリウッドで」という意味だが、このお伽話はタランティーノのハリウッドへの愛、映画への愛を強く感じる作品になっていると思う。だからこそ、この作品のラストシーンには感動させられるのである。


最後に音楽だが、相変わらず劇中ではまるでDJのようにさまざまな曲がかかりまくる。突然、ディープ・パープル「ハッシュ」が鳴ったと思ったら、ホセ・フェリシアーノ版「カリフォルニア・ドリーミング」やストーンズの「アウト・オブ・タイム」などの選曲センスは相変わらずの冴えを見せている。いつものタランティーノ作品のように、またサントラを買ってしまいそうだ。

「ロケットマン」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

ロケットマン」を観た。

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監督:デクスター・フレッチャ

出演:タロン・エガートンジェイミー・ベルブライス・ダラス・ハワード

日本公開:2019年


昨年の大ヒット作「ボヘミアン・ラプソディ」で降板したブライアン・シンガー監督に代わり、再度メガホンを取ったデクスター・フレッチャー監督の新作。グラミー賞受賞を始め、世界的に評価されているミュージシャンのエルトン・ジョンをテーマにした、自伝ミュージカル作品である。「キングスマン」シリーズのマシュー・ボーンが製作を担当しており、同シリーズのタロン・エガートンがエルトン役を演じている。今作は「ボヘミアン・ラプソディ」のようにアーティストの歌声を使う手法ではなく、タロン・エガートン本人が歌っておりその歌唱力にも注目が集まっている。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

イギリス郊外の町で両親の愛を得られずに育った少年レジナルド・ドワイトは、音楽の才能には恵まれていた。やがてロックに傾倒し、ミュージシャンを目指すことを決意したレジーは、「エルトン・ジョン」という新たな名前で音楽活動を始める。そして、後に生涯の友となる作詞家バーニー・トーピンとの運命的な出会いをきっかけに、成功への道をひた走っていく。

 

感想&解説

本作を観る時にどうしても意識してしまうのは、クイーンのフレディ・マーキュリーをテーマにした昨年の「ボヘミアン・ラプソディ」だと思う。日本でも130億円を突破した昨年の大ヒット作品だし、実在の海外アーティストの半生を描く音楽映画、そしてフレディ、エルトン共にLGBTである事をカミングアウトしている事など、どうしても類似点が多くて似たような内容かなと思ってしまうだろうが、実際の方向性はまったく違う映画であった。


まず一番わかりやすいポイントは、本作は完全に「ミュージカル映画」だという事だ。冒頭から少年期のエルトン・ジョンが「The Bitch Is Back」という楽曲に乗せて、エルトン本人の癇癪や母親の気性の荒さをテーマに歌い踊る。いわゆるキャラクター紹介を歌詞に託しているのである。その後、「I Want Love」という楽曲では家族に愛されない孤独な少年の心情をしっとりと歌い、「SATURDAY NIGHT'S ALL RIGHT FOR FIGHTING」では、300人のエキストラと共に遊園地を舞台に、驚異のワンカット撮影を行い、若きエルトンのロックで破天荒な部分を描いている。この場面だけでも、この映画を観る価値は十分にあると感じる名シーンだった。


そして、何といっても本作の一番の白眉は「Your Song」が生まれる場面だろう。クリエイティブパートナーである作詞家バーニー・トーピンから歌詞をもらったエルトンが、それを読みながらピアノに座り、ふと「Your Song」を歌いだすシーンの美しい事といったら。コードを探り手探りでメロディを紡ぎだすそのシーンは、曲が生まれる瞬間のマジックを見事に捉えていたし、劇中で描かれるエルトンとバーニーの「片思い」の関係性とタロン・エガートンの歌声が伝える歌詞が相まって、恐ろしくエモーショナルなシーンになっていたと思う。僕はここで思わず号泣してしまった。


また初めてのアメリカ公演のシーンで、「Crocodile Rock」をプレイするエルトンの身体が宙に浮くシーンの高揚感と、それを観ている観客たちの体も浮いてくることでのライブの熱狂度を伝える映像表現も虚をつかれた。こういった映画ならではのファンタジックな表現が突然現れるのも、この作品の特徴だ。酒とドラッグで酩酊したエルトンがプールの底で、幼い自分と再会するシーンでかかる曲は映画表題の「Rocket Man」。文字通り宇宙飛行士をテーマにした楽曲で、家族と離れて宇宙を孤独に彷徨う男を歌詞にしていて、これが本作で描かれるエルトンの孤独と重なる。


そう、この作品は非常に悲しいトーンの作品なのだ。個人的に一番、鑑賞後に「ボヘミアン・ラプソディ」との差を感じたのはこの部分である。もちろん「ボヘミアン・ラプソディ」もフレディ・マーキュリーの死という悲劇性を表現していたが、あの作品で最後に感じるのは、ライヴ・エイドの「クイーン」の演奏によるカタルシスだ。映画の造りとして、その最後の一点に向けて全てが演出されていて、観客は最後の「We Are The Champions」を聴く頃には、興奮と感動の涙を流す構成になっていた。だが、本作の「ロケットマン」は違う。

 

エルトン・ジョンは現在72歳。もちろん存命中で、本作の製作総指揮も務めている。本作はそのエルトンの80年代までのキャリアだけを描いており、彼がアーティストとしては成功するものの、親の愛やLGBTとしての愛を求めるが得られず、足掻き、失望して、酒やドラッグやセックスにまみれている時代を切り取った作品なのだ。決してヒロイックなだけの映画ではないのである。だからこそ、本作ラストのカタルシスは極めて薄い。正直、映画の後半で映画が明らかに失速するのはこれが原因である。依存症更生施設で「I’m Still Standing」を歌うラストシーンは実際のMVを模してはいるが、全体にもの悲しさが漂う着地になっている。


とにかく映画前半はエルトン・ジョン楽曲のアレンジも含めて、クオリティの高いミュージカル作品として文句なしに楽しめる。また、エルトン・ジョンの「ジョン」は、ザ・ビートルズジョン・レノンから取った事や、エルトン作品はバーニー・トーピンの詞が先行で作られていたなど本作で初めて知った事も多く、音楽映画としても興味深い作品だった。PG12という事で、結構ハードめの男性同士のラブシーンがあったり、映画後半はかなり陰鬱なトーンになる事による好みは分かれるとは思うが、主演のタロン・エガートンによる歌と踊りのクオリティも含めて、エルトン・ジョンに対して知識の薄い方でも、ミュージカル好きなら十分に楽しめる作品になっていたと思う。エンドクレジットでかかるのは、本作の為にエルトンとバーニーが書き起こし、タロン・エガートンとデュエットした「(I'm Gonna)Love Me Again」だ。最後のクレジットまで必聴である。

「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」を観た。

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監督:ユン・ジョンビン

出演:ファン・ジョンミン、イ・ソンミン、チョ・ジヌン

日本公開:2019年

 

北朝鮮の核開発をめぐり緊迫する1990年代の朝鮮半島を舞台に、韓国工作員の活動を描いたスパイサスペンス。韓国のゴールデングローブ賞と呼ばれる「百想芸術大賞」で作品賞、イ・ソンミンが獲得した男性最優秀演技賞の2部門を受賞し、数々の映画賞を総ナメしているらしい。監督は「悪いやつら」のユン・ジョンビン。主演は「哭声コクソン」で悪徳祈祷師を演じていたファン・ジョンミン。改めて、韓国映画のレベルの高さを思い知らされる骨太の傑作であった。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

1992年、北朝鮮の核開発をめぐって朝鮮半島の緊張状態が高まる中、軍人だったパク・ソギョンは北の核開発の実態を探るため、コードネーム黒金星(ブラック・ヴィーナス)という工作員として北朝鮮に潜入する命令を受ける。事業家に扮したパクは3年にもおよぶ慎重な工作活動の末、北朝鮮の対外交渉を一手に握るリ所長の信頼を得ることに成功し、北朝鮮の最高国家権力である金正日と会うチャンスをものにする。しかし1997年、韓国の大統領選挙をめぐる祖国と北朝鮮の裏取引によって、自分が命を賭けた工作活動が無になることを知り、パクは激しく苦悩する。果たして彼は祖国を裏切るのか、それとも国が彼を切り捨てるのか。また北朝鮮はパクの工作に気づくのか。

 

感想&解説

鑑賞しながら、一番思い出したのは2011年のトーマス・アレフレッドソン監督「裏切りのサーカス」であった。もちろん、「裏切り〜」はイギリス秘密諜報部を描いた作品の為、作品のルックスは全く違うが、東西冷戦を舞台に水面下で行われる様々な情報戦と裏切りを描いた作品と、北朝鮮核兵器を巡り南北のヒリヒリした駆け引きが描かれる今回の「工作」は作品のタッチが近い気がする。どちらも派手な銃撃戦やカーアクションがあるタイプのスパイ映画ではなく、映画の中心にあるのはあくまで心理戦と人間ドラマなのだが、そのレベルが非常に高いので鑑賞後の満足度は高いだろう。


本作の中心人物は4名だ。事業家になりすまし北朝鮮の上層部に接触し続ける元軍人のパク・ソギョン、北朝鮮内で強い影響力を持ち、常に冷静な対外経済委員会所長リ・ミョンウン、また潜入中のパク・ソギョンに指示する国家安全企画部の室長チェ・ハクソン、さらに北朝鮮の国家安全保衛部の要員チョン・ムテク。北朝鮮と韓国側で2名ずつ配置された、この4名がそれぞれの立場と状況からドラマを展開していくのだが、彼らの配置と設定が巧みな為、劇中で不自然なセリフや行動が無く、映画の世界観にしっかり没入できる。


作品の構造は、主人公のパクが北朝鮮の核開発の状況を探る為、スパイの身分を勘ぐられないように北朝鮮の幹部と接触しながら、ビジネスマンとして振る舞う駆け引きを、観客はハラハラしながら見守ることになる。いわゆる「バレる?バレない?サスペンス」だ。この演出が見事な為に、主人公パク・ソギョンが絶体絶命のピンチに陥る度に、本当にドキドキさせられる。特にまだ冒頭の主人公パク・ソギョンと外経済委員会所長のリ・ミョンウンの間に信頼関係が形成されていない、円卓の食事シーンなどは、録音テープの存在がいつバレるかと素直に手に汗握るシーンになっている。この北側のリ所長は本質的には韓国側ともビジネスを通して、もっと開かれた北朝鮮になるべきだと感じているキャラクターであり、本作のもう一つの見どころは、このパクとリ所長の北と南を越えた友情にある。特にラストシーンには、時計とネクタイピンというお互いの贈り物という小道具を活かして、共に民族分断を憂う男たちの熱い想いが伝わる為に、まんまと感動させられるのである。


もう一つのこの映画の白眉は、主人公パクが北朝鮮に呼ばれて、最高権力者キムジョンイルに接見するシーンであろう。キムジョンイルに会うまでの途方もないプロセスと、非人道的な扱いもさることながら、目を合わせてはいけない、言葉を遮ってはいけないなどの謁見ルールと、その緊張感からまるで自分がその場に居合わせたかのような気分になる、ここは名シーンだったと思う。さすがにロケは出来ない為に韓国にセットを作ったらしいが、過去の映画でも観たことのない北朝鮮という国の独特のリアリティが感じられた。


本作「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」は、シナリオ、役者の演技、プロダクトデザイン、衣装、セットとどこを取っても、非常に高いレベルで作られた傑作スパイサスペンスだと思う。国という組織と政治に翻弄される、男たちの駆け引きと友情を描いた骨太の作品として、こんなに公開規模が小さいのがもったいない位によく出来た作品だ。DVDリリース時にでも良いので、是非お見逃しのないように。

「アルキメデスの大戦」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

アルキメデスの大戦」を観た。

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監督:山崎貴

出演:菅田将暉舘ひろし柄本佑笑福亭鶴瓶

日本公開:2019年


久しぶりの実写邦画の感想になる。レビューなどでも非常に高い評価を得ている作品で、原作は「週刊ヤングマガジン」連載のコミックス。1930年代の日本を舞台にした歴史ドラマである。戦艦大和の建造計画を食い止めようとする数学者を菅田将暉が熱演。監督・脚本・VFXを担当するのは、「ALWAYS」シリーズなどの山崎貴。今回フィルモグラフィを改めて観たが、ものすごい多作な監督だと驚かされた。まったく前知識なしで鑑賞した為、タイトルのイメージから戦争映画だと思っていたが、テーマが戦争というだけで歴史サスペンスに近いジャンルだと感じた。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

昭和8年(1933年)、第2次世界大戦開戦前の日本。日本帝国海軍の上層部は世界に威厳を示すための超大型戦艦大和の建造に意欲を見せるが、海軍少将の山本五十六は今後の海戦には航空母艦の方が必要だと主張する。進言を無視する軍上層部の動きに危険を感じた山本は、天才数学者・櫂直(菅田将暉)を軍に招き入れる。その狙いは、彼の卓越した数学的能力をもって大和建造にかかる高額の費用を試算し、計画の裏でうごめく軍部の陰謀を暴くことだった。

 

感想&解説

山崎貴監督の作品は全て観ている訳ではないが、どうにもわざとらしい大仰な演出と、VFXシーン以外の平凡さで、過去作にはあまり良い印象が無かったが、今作はそれがほとんどないのに驚かされた。主演の菅田将暉は天才数学者で、何でも寸法を測らないと気が済まないという設定なので、そもそもリアリティのないキャラクターなのだが、それでも観客が感情移入できる「主人公」としてしっかりと成立しているし、彼の演技も素晴らしかった。


特に後半の会議室内で行われる、黒板に計算式を書いて、造船に掛かる実質のコストを導き出すシーンの迫力には目を見張る。あの計算式は、本当に専門家の監修を経ていて実際に成立するらしい。もちろん菅田将暉は丸暗記して撮影に臨んだと思うが、かなり専門性の高いセリフを話しながら、あの計算式を次々と板書していくシーンは、アクション映画で感じるような「肉感的」なカタルシスがあり、演出の高揚感も相まって非常に興奮させられた。脇を固める、舘ひろし橋爪功田中泯といった名バイプレイヤーとのアンサンブルもあり、本作一番の名シーンになっていたと思う。


今作、山崎貴監督が得意とするVFX全開のシーンは、冒頭6分ほどに集約されている。大平洋戦争を舞台に戦艦大和が、米海軍機の猛攻を受け3千人の将兵と共にその姿を海に没していく姿が、生々しく描かれる。これがまた圧巻で、戦艦大和の巨大さとそれに相反する圧倒的な無力感、そしてそれに乗船している日本兵たちの為すすべの無さが見事に表現されていたと思う。このシーンが冒頭にある為に、何故こんな戦艦が作られてしまったのか?が観客の頭に残り、劇中で菅田将暉演じる櫂直というキャラクターが熱弁する、大艦巨砲主義による戦艦の建造の無意味さを身を持って感じる事が出来る。


それと同時に、映画冒頭で「戦艦大和が製造された事実」が明示されている故に、主人公の櫂直がこれほど努力しても、結局は戦艦は作られてしまうのだという事が観客に伝わってしまい、最初は作劇的には上手くないと感じたのだが、実はこれこそがこの作品の「ドンデン返し」的なサスペンス要素を強めており、あえてのミスリードが非常に魅力的な作品になっているのである。


櫂直の天才的な頭脳と行動力により、一旦は巨大戦艦製造はストップする。だが、映画ラストにこの戦艦製造を推進していた、田中泯が演じる、造船中将の平山から驚愕の思惑が語られる。日本国民は日露戦争以来の勝ち戦に熱狂していて、今回のアメリカ戦も当然、また勝つと信じている。だが実際は国力や物資の違い過ぎるアメリカに勝てるはずはない。更に日本人は「玉砕魂」を持っていて、最後の一人になるまで降伏しない。負け方を知らないのだ。だからこそ、日本人が滅亡する前に、「大和」という名前が付けられた超巨大戦艦が沈められれば、国民や軍の戦意が消失し、何とかこの勝ち目の無い戦争を、最小限の被害で終わらせられるかもしれないというのである。それを聞いた櫂直は、最終的には平山と軍艦大和を作るという判断をするのだ。


もちろん、こんな事はフィクションだ。このオチに怒る人が居てもおかしくないだろう。実際の大和は、アメリカに沈没させられる為に造船された訳ではないだろうからだ。だが、こういう戦争映画があっても良いと思う。ラストシーンで、出航した大和が夕日を背に大海原へ行くシーンを観ながら、高揚感を得る観客はいないだろう。それはあの船がこれからどうなり、何人の人間があの船上で死ぬのかを観客は知っているからだ。こういう新しいタイプの厭戦映画が観られた事は、素直に嬉しい。


冒頭シーン以外にほぼ戦闘シーンはなく、タイムリミットサスペンスとスリリングな頭脳戦が楽しめる作品だ。数学のチカラで戦艦製造を止めようとした男の物語であり、ロン・ハワード監督の2001年「ビューティフル・マインド」を思い出させるような「天才の頭の中」を表現した描写も懐かしい。何故、人は勉学を学ぶのか?のストレートな解答も用意されていて、宮崎駿監督「風立ちぬ」も思い出したが、オトナの観客向け知的エンターテイメントとして本作は非常に多様性を持った、そして山崎貴監督が放った見事な傑作だと思う。