映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

エンタメ系会社員&バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。劇場公開されている新作映画を中心に綴っていこうと思います。

「ハッピー・デス・デイ/ハッピー・デス・デイ2U」を観た(ネタバレ無し&解説アリ)

「ハッピー・デス・デイ/ハッピー・デス・デイ2U」を観た。

f:id:teraniht:20190716230711j:image

f:id:teraniht:20190716230732j:image

監督:クリストファー・ランドン

出演:ジェシカ・ローテ、イズラエル・ブルサード、ファイ・ヴ

日本公開:2019年

 

今回は「ハッピー・デス・デイ」と「ハッピー・デス・デイ2U」という、シリーズもの2本を続けて鑑賞した。まずかなり公開規模が小さく、限られた環境じゃないと観られない為、映画館で観るのはハードルが高いと思うが、本作はDVD化された時でも良いので絶対に観た方が良い作品だと思う。結論から言えばオススメである。特にこの「1」と「2」は、あまり時間を置かずに続けて観た方がいい。この二本は、劇中のセリフでも出てくるが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の「1」と「2」の関係に近くて、完全にストーリーが繋がっている為、記憶が新しいうちに観た方が楽しめるからだ。監督はクリストファー・ランドン。過去「パラノーマル・アクティビティ」シリーズの脚本などを手掛けていたらしいが、今回は素晴らしい仕事をしたと思う。今回は、ストーリーが肝の作品なのでネタバレなしで感想だけを書きたい。

 

あらすじ

女子大生で遊んでばかりのツリーは、誕生日の朝も見知らぬ男のベッドで目を覚ます。慌しく日中のルーティンをこなした彼女は、夜になってパーティに繰り出す道すがら、マスク姿の殺人鬼に刺し殺されてしまう。しかし気がつくと、誕生日の朝に戻っており、再び見知らぬ男のベッドの中にいた。その後も同じ一日を何度も繰り返すツリーは、タイムループから抜け出すため、何度殺されても殺人鬼に立ち向かう事になる。

 

感想&解説

大仰な大作ではない、予算やキャストから見ればいわゆるB級作品だが、本当に面白い。まず、ホラー映画という紹介のされ方をしているが、これは語弊がある。マスクを被った殺人鬼に何度も殺されて、その度に同じ日の朝に目が覚めるというストーリーのため、観客は何度殺されても主人公は生きて目が覚めるのを分かっている。よって怖くなりようがないのだ。「1」は冒頭こそホラー的な演出もあるが、どちらかと言えば、このマスクの真犯人の正体をめぐるサスペンス映画というのが正しいだろう。90年代に「スクリーム」というホラーサスペンスシリーズがあったが、あれのかなりホラー色を抑えたイメージである。


「1」に関しては、何度殺されて行動を変えても結局、マスクの犯人に殺されてしまう為、遂に真犯人を探し出す行動に出る主人公ツリーと、その友人カーターの騒動を描く。何度も殺されながら、容疑者たちのアリバイを確認する流れは、まるでゲームのようだし、2014年トム・クルーズ主演「オール・ニード・イズ・キル」を思い出したりもした。ただ一番近いのは、この映画のラストでもカーターがセリフで言及していたが、1993年のビル・マーレー主演「恋はデジャ・ブ」である。


特に何度タイムループするうちに、最初は性悪のビッチだった主人公ツリーが、過去に母親を亡くしたトラウマや、それによる父親との確執を乗り越え、さらに友人の大切さなどに気付き、人間的に成長していくあたりなど、構造的にかなり近いだろう。本作の肝はまさにここにあり、犯人当てのサスペンス要素、何度も死ぬ事を題材にした事によるコメディ要素、そして主人公が葛藤を乗り越えて成長するドラマ要素がうまいバランスで配されており、観客の強い興味を持続させるのである。サスペンスとしてもミスリードあり、どんでん返しありと完成度も高く、伏線も回収しながらしっかりと最後まで楽しめる。更に「1」は上映時間96分とタイトな為、全く飽きる事なく最後まで持っていかれるのである。


そして「2」に関しては、なんとここにSFの要素が入ってくる。このタイムリープが何故起こったのか?という理由を、SF的な演出と「ある装置」で説明されるのだが、その理由や整合性などどうでも良くて、とにかく「バック・トゥ・ザ・フューチャー」的なタイムリープジャンルの娯楽性と、想像を超えたストーリー展開の為、興味が終わりまで途切れない。「2」に関しては、もはやホラー要素はほぼゼロに近い。ただ前述のように「1」で起こった事を「2」ではかなりひっくり返してくる展開になるので、「1」のシーンを頭に置いて観た方が確実に楽しめるだろう。この辺り、シリーズものとしても面白い。


主演のジェシカ・ローテは「ラ・ラ・ランド」の序盤で、主人公ミアの友人役として緑の服で踊っていた子で印象が薄いが、今作ではとても良い。「1」冒頭のビッチっぷりから、終盤の成長を遂げた後、それから「2」のコメディエンヌぷりまで、表情から演技までとても魅力的だ。もちろんすごい美人なのだがふとした可愛らしさもあり、これから他の作品でも目にする機会が増えるのではないだろうか。


ストーリーが魅力の作品の為、あまり深くは語れないのだが、素直にこれだけ時間を忘れて楽しめた作品は久しぶりな気がする。難しい事は何も考えずに、スクリーンで起こる出来事に笑って、泣いて、ドキドキできるという意味ではほぼ完璧な娯楽作品だろう。それだけにもっと公開規模を大きくして、いろいろな人に観て欲しいと心から思う。オープニングのユニバーサルピクチャーロゴから、遊び心に溢れたこの傑作、見逃すにはあまりに惜しい。

「トイ・ストーリー4」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

トイ・ストーリー4」を観た。

f:id:teraniht:20190713091744j:image
監督:ジョシュ・クーリー

出演:トム・ハンクスティム・アレンキアヌ・リーブス、アニー・ポッツ

日本公開:2019年

 

言わずと知れたピクサーの大ヒットシリーズ「トイ・ストーリー」の9年ぶりの新作が、遂に公開となった。大傑作だった「トイ・ストーリー3」が見事なエンディングだっただけに、「4」を制作中と聞いた時は半信半疑だったが、本当に公開されてしまった訳である。監督は「インサイド・ヘッド」の共同脚本を担当していたジョシュ・クーリー。なんと長編は今回の「4」が初監督作との事で、制作総指揮のアンドリュー・スタントンも思い切った人選をしたと思う。まさにこの辺りがピクサーらしいし、この作品のテーマも関連していると思うが、さて感想としてはどうだったか。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

ウッディたちの新しい持ち主となった女の子ボニーは、幼稚園の工作で作ったフォーキーを家に持ち帰る。ボニーの今一番のお気に入りであるフォーキーを仲間たちに快く紹介するウッディだったが、フォーキーは自分を「ゴミ」だと認識し、ゴミ箱に捨てられようとボニーのもとを逃げ出してしまう。フォーキーを連れ戻しに行ったウッディは、その帰り道に通りがかったアンティークショップで、かつての仲間であるボー・ピープのランプを発見する。一方、なかなか戻ってこないウッディとフォーキーを心配したバズたちも2人の捜索に乗り出していく。

 

感想&解説

正直、観終わった後の素直な感想は、「こりゃ思い切った事をしたなぁ、ピクサー」である。ネット上のレビューがかなり批判方向であるという事は、なんとなく知っていたが、それもそのはずだ。特に今までのトイ・ストーリーが好きなら好きであるほど、今作の展開は許せないと感じるだろう。特に評価が分かれるポイントは、もちろんラストである。


まず、今回のトイ・ストーリーは非常に辛い話だ。前作で成長したアンディからボニーの手に渡り、やっと再び子供に愛してもらえるはずだったウッディは、何故かボニーには遊んでもらえない。そればかりか、フォーキーなる先割れスプーンで作られたお手製おもちゃばかりを可愛がるボニーの為に、ウッディは四苦八苦しながらフォーキーを守る。自分はボニーに無視され続けているのにだ。本作は完全にウッディの自己犠牲の話なのである。またフォーキーは、自分をおもちゃではなくゴミだと認識しているので、すぐに自ら捨てられようと行動する。その度に二言目には「フォーキーが無い」とボニーは大騒ぎするのだ。この不条理な感じ、特に大人であれば、今まで一度や二度は経験があるのではないだろうか。


更に今作、「2」まで登場していた磁器の人形であるボー・ピープが、久しぶりに再登場する。あのおしとやかだった女性の人形である。ところが、今作のボー・ピープは、ずっと持ち主がおらず、アンティークショップから逃げてきたという設定の為、自らアクティブに行動する、以前からは考えられないくらいに活発なキャラクターに生まれ変わっている。ウッディにどんどん命令して、自ら指揮をとりながら、作戦を進行していく。まるで以前のウッディのようにだ。本作のウッディはあまりに自主性がなく、リーダーシップを発揮しない。ボー・ピープの後ろをひたすら追いかけるだけだ。この男女のキャラクターの役割の変化は、いかにもアメリカの会社であるピクサーが取り入れそうなテーマだが、これも従来のシリーズのファンには複雑な気持ちになるだろう。本作のウッディやバズは、映画終盤まで非常に弱くて頼り甲斐がないのだ。


そして問題のラストシーンである。今までのシリーズでは、「おもちゃは子供の側にいることが最高の幸せである」、「仲間たちとの友情は何よりも大事だ」という、二つのテーマを描き続けてきた。だが、本作のラストはその両方ともを否定する。ラストでウッディは、バズやジェシー達の仲間と離れてボニーの元には戻らず、ボー・ピープと共に、移動遊園地という新しい環境で生きるという選択をする。特定の持ち主の元に固執せずに、多くの子供たちに触れ合うという道だ。もちろんこれは「3」の最後で、ボニーの為を思って苦渋の決断でウッディを手放した、あの大好きだったアンディを裏切る行為だし、自ら過去のアイデンティティを否定する行動だろう。今までのシリーズで、あれだけ育んできたバズたちとの友情をないがしろにする行動でもあると思う。これを持って、「こんなのはトイ・ストーリーではない」と激怒している人が多いのも、十分に納得出来る。今までの、特に大傑作だった「3」を根本的に否定する作りだからだ。


だが、その一方で「今までの環境に固執しないで、新しい自分を選べばいい」という、作品からの非常に大人なメッセージのようにも感じる。もう、ウッディがボニーに愛される事はないだろう。またあの子供部屋に戻れば、彼はふたたび押入れの中で「選ばれない辛さ」を感じる日々となるのだ。それよりも、愛するボー・ピープと共に新しい人生を進むという選択をしたウッディに、僕は正直親指を立てたくなった。もちろんトイ・ストーリーシリーズとしては許されないストーリーだ。それは理解できる。だが、ウッディという「個人」の選択として、これは勇気ある行動だと感じたのだ。離婚や転職など、生きていれば様々な選択を迫られる事がある。その度に、人は「より良い人生」の為に、自分で進む道を選んでいく。そこには失うものやリスクもあるだろう。でも、そこで新しい人生を選ぶ事を誰も否定出来ないのだ。


ウッディは人ではなく、おもちゃだという意見もあるかもしれない。だが、あれだけ様々な人の為に自己犠牲を貫くウッディを観て、僕は彼をただのおもちゃだとは思えない。女の子に愛されたい人形ギャビー・ギャビーの為に、ボイスボックスを差し出すウッディには胸が締め付けられた。本作のラストカットは満月だ。「3」のラストカットが「1」のオープニングと循環する、「雲の壁紙」だった事を思うと、今作がもっとダークでシリアスなトーンであることが表現されている。あの美しい循環は本作によって決定的に壊れてしまったのだ。最後に聞く事になる、バズとウッディの二人による「無限の彼方にさぁ行くぞ」のセリフの抑えたニュアンスと共に、95年から第一作目が始まり、24年を経て成長したウッディが愛するパートナーと共に、新しい人生を選んだ姿は、同じ男として僕には頼もしく映ったのである。


さて、今までの文章から本作「4」は、暗くて辛い話かと思うだろうが、もちろん従来通り、笑えるコメディシーンも多い。特に今作のお気に入りキャラは、ダッキー&バニーという射的の景品ぬいぐるみコンビだ。もう、本作の笑いは全て彼らが持っていくと言って良いくらいである。劇場で何度も声をあげて笑ってしまった。おそらくコメディシーンは今までのシリーズで、一番出来が良いと思う。ただ、ちょっとシュール方向のギャグなので、やはり大人向けかもしれないが。


流石にこれ以上、トイ・ストーリーシリーズを続けるという愚挙を犯す事を、ピクサーはしないだろう。いや、そうあって欲しい。全てを捨てて、新しい生き方を選んだウッディの今後を描くのは、それこそ蛇足だからだ。長編初監督作がトイ・ストーリーの最新作という、ジョシュ・クーリーの人選といい、ウッディのラストでの選択といい、誰もが注目する「トイ・ストーリー」の続編という大作で見せた今回のピクサーの挑戦に、僕は素直にエールを送りたい。この「トイ・ストーリー4」は誰もが笑顔になれる、従来のシリーズ作品の様なハッピーエンドではない。仲間たちとの安穏とした、暖かくてピースフルなトイ・ストーリーではない。ウッディは成長し、自分の人生を選択して外の世界に飛び出していった。劇中、ボー・ピープはウッディに「世界はこんなに広いのよ」と言う。さて、この映画を観た自分はウッディの様に、いつか新しい世界に飛び出せるだろうか。

「ゴールデン・リバー」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「ゴールデン・リバー」を観た。(完全ネタバレ&解説アリ)

f:id:teraniht:20190707220506j:image
監督:ジャック・オーディアール

出演:ジョン・C・ライリーホアキン・フェニックスジェイク・ギレンホールリズ・アーメッド

日本公開:2019年


2015年「ディーパンの闘い」のジャック・オーディアールが監督を務め、第75回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した作品。パトリック・デウィットの小説「シスターズ・ブラザーズ」を原作にしている。最初に予告を観た時から、豪華な役者陣だしサスペンス要素が強そうだったので、公開を楽しみにしていたが、実際に観終わると予告の印象とはかなり違う事に驚いた。東京の劇場は公開館数が少ない為か、年配の方を中心に超満員だったのだが、いわゆる「西部劇」を期待して観に来ていたのかもしれない。映画が終わった後の微妙な空気感が印象的だった。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

ゴールドラッシュに沸く1851年アメリカ。最強と呼ばれる殺し屋兄弟の兄イーライと弟チャーリーは、政府からの内密の依頼を受けて、黄金を探す化学式を発見したという化学者を追うことになる。政府との連絡係を務める男とともに化学者を追う兄弟だったが、ともに黄金に魅せられた男たちは、成り行きから手を組むことに。しかし、本来は組むはずのなかった4人が行動をともにしたことから、それぞれの思惑が交錯し、疑惑や友情などさまざまな感情が入り乱れていく。

 

感想&解説

監督のジャック・オーディアールはフランス人なのだが、フランス出身の監督がアメリカが舞台の西部劇を撮るとこうなるのか、と変な感心をしてしまう。とにかく西部劇の「お約束」を外しまくって作られた作品で、予告編やポスターを観て感じた「金を巡って、4人の男たちがお互いを騙し合ったり殺し合うサスペンス西部劇」だと思っていると、実は全く違う作風の映画で驚かされた。予告編に見事に騙された訳だ。本作は、実はもっと牧歌的なロードムービーであり、サスペンスの要素などは微塵もない、ストーリーも意外性はあるが割とシンプルなヒューマンドラマであった。


シスターズ兄弟という変わった名前の殺し屋兄弟(ジョン・C・ライリー&ホアキン・フェニックス)が、一帯を仕切る提督の命令により、黄金を河から見つけられる「予言者の薬」の化学式を発見したという化学者ウォーム(リズ・アーメッド)を追っている。提督の連絡係であるモリス(ジェイク・ギレンホール)は先に科学者ウォームと接触していたが、ウォームの「暴力のない理想郷を作る」という思想に魅力されて、ウォームと二人で金を見つけて逃げる事を選ぶ。という訳で、ストーリーとしては二組の追うコンビと追われるコンビの逃走劇になる。


ただそれもつかの間で、モリスとウォームが提督からの別の追っ手から襲撃を受け、それをシスターズ兄弟が助けたことと、父親へのトラウマという共通点により、4人の間には友情が芽生える。そして4人で黄金を探すために河を塞き止める作業を開始する。遂に河に薬品を入れて、川底の黄金が光り出すとそれを必死に集める4人。だがその薬品は劇薬で、長い時間は河に入っていられず、たまに水で薬品を洗い流しながら作業を進めなければならないのだが、欲に目が眩んだホアキン・フェニックス演じる弟が、もっと金が見つかりやすくする為に、薬品を大量に河に入れてしまう。


その影響でウォームとモリスが死んでしまい、更に弟も大怪我をして腕を切断するハメになってしまうという状況に陥る。そんな時にも、裏切った兄弟を追いかけて、提督の追っ手は命を狙いにくる。なんとか彼らを撃退しながら、地元であるオレゴンに提督を殺しに戻るシスターズ兄弟だが、戻った時には提督はすでに寿命で死んでいた。そして兄弟は母親の元に帰り、そのまま幸せな時間を過ごして、映画は終わる。


実はこのタイトルになっている「ゴールデン・リバー」についての描写はほとんどなく、この邦題には予告編に続いて違和感が残る。この作品は、99%「シスターズ兄弟」について語った映画で、やはり原題の「THE SISTERS BROTHERS」の方がしっくりくるだろう。それにしても、変なバランスの作品である。重要人物だと思っていた、ジェイク・ギレンホールはあっさりと死んでしまうし、映画の大半はこの兄弟たちの痴話喧嘩と友情をこれでもかとコッテリ描く。その中で、ジョン・C・ライリー演じる兄が特にコメディリリーフとして良い味を出しているし、傷ついた愛馬を看病する姿など魅力的に描かれている。いわば一番ルックス的には華がないが、ほとんどジョン・C・ライリーが主人公の作品だと言って差し支えないだろう。


映画のラストシーンは、兄弟が母親の元に帰る場面だ。弟は風呂に入り、兄はベッドに横になっているシーンで、突如「THE SISTERS BROTHERS」とタイトルが表示されて、映画は終わる。弟が強い憎悪から父親を殺した事が劇中で語られるが、この余りに唐突なシーンは、今まで数えきれない程の罪を犯した彼ら兄弟は母親への胎内回帰を願っているのだと感じた。この辺りのセンスもフランス人監督っぽい。とにかく、西部劇ならではの決闘シーンや派手なアクションシーンはほとんどなく、意図的にカタルシスを遠ざけた作風の為に、退屈だと感じる人も少なくないだろう。ただ、観終わった後の余韻は悪くない。ジョン・C・ライリーの台詞や演技も良かったし、もう一度観るともっと好きになる気がする、かなり独特な作品だった。

「ハウス・ジャック・ビルド」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「ハウス・ジャック・ビルド」を観た。

f:id:teraniht:20190623215528j:image
監督:ラース・フォン・トリアー

出演:マット・ディロンブルーノ・ガンツユマ・サーマン、ライリー・キーオ

日本公開:2019年


奇跡の海」「ドッグヴィル」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「ニンフォマニアック」とタイトルを並べるだけで、あまりの個性的な作風に頭痛がしてくる、デンマーク生まれの鬼才ラース・フォン・トリアー監督。そのラース・フォン・トリアーが、マット・ディロンを主演に迎えて、あるシリアルキラーの12年間を過激に描いたサイコスリラー作品が、本作「ハウス・ジャック・ビルド」だ。カンヌ国際映画祭で上映された際は、そのあまりの過激さに賛否両論を巻き起こし、途中退場が続出、アメリカでは修正版のみが正式上映を許可されるなど物議を醸している。大手レビューサイトRotten Tomatoesでは支持率59%と、こちらも賛否両論のようである。日本では無修正完全ノーカット版をR18+指定で上映ということで、早速鑑賞してきた。冒頭に登場するユマ・サーマンの老けっぷりに驚愕しつつ、今回もネタバレありで。

 

あらすじ

1970年代のアメリカ、ワシントン州。建築家を目指すハンサムな独身の技師ジャックは、ある日、車が故障し立ち往生している女性を助ける。しかし彼は、その女性の無礼な言動から思わず彼女を殺してしまい、そこからアートを創作するように、次々と殺人に没頭していく。5つの殺人エピソードと、彼の夢である「自分の家」を建てるまでのシリアルキラーの12年間とは。

 

感想&解説

口が裂けても「面白い映画だった」とは言えない内容だが、映画体験としては強烈で忘れがたいものになる作品だ。過去のラース・フォン・トリアー監督作品と同じく、この映画を観て激烈に怒ったり、非難する人がいても仕方がない。いわゆる「シリアルキラーもの」「サイコパスもの」と言われる、狂った殺人鬼が次々と人を殺していく内容なのだが、本作の主人公「ジャック」のネーミングは、もちろん19世紀イギリスで、大量殺人を犯した「切り裂きジャック」から来ているのだろう。特筆すべきはこの作品、ハリウッド映画では絶対に描けない「ある一線」を平然と超えてくる。とにかく、こちらの倫理的な価値観をグラグラと揺さぶり、不快にさせる描写が満載なのだ。


では、その一線とは何かと言えば、この作品を観た人なら絶対に忘れられない、あの狩りのシーンだ。なんと母親と幼い男の子二人を高台からライフルで狙い、しかも彼女たちを鹿の親子になぞらえて、一番小さな子供から殺していくという行為をラース・フォン・トリアーは赤裸々に描く。あまつさえ、その頭が吹き飛んでいる子供の死体と共に、母親にピクニックを強要するシーンが放つ凶々しさとあまりの不謹慎さには、思わず目を瞑りたくなった程だ。そしてジャックはその後、母親に好きな数字を言わせて、その数字の秒数だけ逃げる時間を与えながら女を背中から撃つという非道ぶりを発揮する。本作のマット・ディロン演じるジャックは映画史でも指折りのサイコパスとして描かれていると思う。


それは彼が殺した死体を使って、写真を撮ったり、死体を変形させたりする、ジャックが「アート」と呼ぶ行為にも表れている。特に幼い弟の死体に対して彼が行う行為は余りにも非人道的だ。他にも、女性の乳房を切り取って財布にしたり、一発のフルメタルジャケット弾で何人を一気に殺せるかの実験を試みたりとジャックの行動には余りにも非倫理的な側面が強い。全て反キリスト的な行動なのである。だが、何故かジャックは常に警察には捕まらない。尋問されたり、自ら死体の写真を新聞社に送ったり、死体を担いで出歩いたり、被害者が窓から大声で助けを求めても、である。特に車で死体の袋を引き摺りながら逃げるシーンで、家まで血の跡が残ってしまう場面での、突然の大雨には思わず笑ってしまった。これでは、まるでファンタジーである。これらの描写から本作の主人公ジャックは、もはや人間の手には負えない超人的な悪の存在であることが示唆されていると感じた。


だからこそ、本作の唐突な終盤の展開にも、監督には一貫した流れがあるのだろう。60人もの死体を積み上げて作った「家」の床から、地獄への通路が続いていたという驚きのストーリー展開の事である。この時の地獄への案内人ヴァージは、イタリアの詩人ダンテが執筆した「神曲」で、ダンテを地獄案内の旅へと連れて行く詩人ウェルギリウス(英語ではヴァージル)の事らしい。ここからジャックとヴァージは地獄巡りへと向かうのである。「神曲 地獄篇」での憤怒者の地獄を表現した、フランスの画家であるドラクロワが描いた「ダンテの小舟」とそっくりのシーンが現れる事からも、この意図は分かりやすく表現されている。あのジャックが着る赤のローブはこの伏線だった訳である。そして最終的にジャックは、地獄の底から崖を渡って逃れようとするが最後は地獄へ落ち、映画はそのまま呆気なくエンドクレジットとなる。


エンドクレジットでかかる曲は、レイ・チャールズの「旅立てジャック」。歌詞の内容と合わせて、まさに観客の溜飲を下げる作りになっているのは上手いし、ジャックの殺人シーンでは、度々デヴィッド・ボウイの「フェイム」が使われており、名声が人生を堕落させるという内容が、自らのアートを表現したいという顕示欲にかられたジャックのキャラクターとシンクロする。更にバンの前でジャックがカメラに向かって、言葉の書かれたフリップを落としながら見せていく姿は、ボブ・ディランの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」のMVそのままで、この辺りの表現は、ラース・フォン・トリアーサブカルチャーな一面が垣間見えて、興味深い。


冒頭に書いたように、とにかくラース・フォン・トリアーの悪趣味さと枠に囚われない表現の両方が体感できる、あまりにユニークな映画体験であったと思う。ただ確実に観る者を選ぶ作品だし、特に女性が一方的に殺されるシーンが多い為、不快に感じる方も少なくないだろう。また最後にこの作品、とにかく終始カメラが揺れまくり、フォーカスが合わない画が多い。もちろん殺人シーンや車での運転シーンなど、まるでジャックの隣にいるようなドキュメンタリータッチな演出を狙っていると思うが、映画館であまり前の方に座ると酔ってしまう為、この映画に関しては少しスクリーンから離れた席に座った方が良いと思う。

 

食事直後の鑑賞もあまりオススメしないし、若いカップルでの鑑賞も避けた方が良いかもしれない。この制約の多い感じが、なんともラース・フォン・トリアー監督作らしい。ただ、個人的には次回作も観てしまうだろうと確信出来るほど、ハリウッド作品では味わえない中毒性がある作家なのは間違いない。

「スノー・ロワイヤル」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「スノー・ロワイヤル」を観た。

f:id:teraniht:20190614232222j:image
監督:ハンス・ペテル・モランド

出演:リーアム・ニーソン、トム・ベイトマンエミー・ロッサム、トム・ジャクソン

日本公開:2019年


リーアム・ニーソン主演最新作。ノルウェー映画「ファイティング・ダディ怒りの除雪車」を、ハリウッド作としてハンス・ペテル・モランド監督自らがリメイクした作品。共演はケネス・ブラナー監督の「オリエント急行殺人事件」のトム・ベイトマンなど。一言で言えば「あえて外した作品」だ。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

雪の町キーホーで模範市民賞を受賞するほどの真面目な除雪作業員ネルズ・コックスマン。ある日、一人息子が麻薬の過剰摂取に偽装されて地元の麻薬王バイキングの組織に殺されてしまう。裏で組織が糸を引いていることに気付いたネルズは、ある時は素手で、ある時は銃で、ある時は除雪車で、一人また一人と敵を殺していく。しかし、敵対するネイティブアメリカン麻薬組織の仕業と勘違いしたバイキングはネイティブ組織を襲撃。相手もその報復に出る。静かな田舎町で起きた久々の事件に、地元警察はテンション上がりっぱなし。ネルズの戦いは、全く思いもよらない方向へと進んでいくのだった。

 

感想&解説

リーアム・ニーソンといえば、ブライアン・ミルズ監督「96時間」の戦うお父さんや、2014年「フライト・ゲーム」、近作だと2018年「トレイン・ミッション」などの、巻き込まれながらも戦う男というイメージが強く、なぜか圧倒的に強い「無双感」が魅力の俳優だと思う。本作「スノー・ロワイヤル」の主人公ネルズ・コックスマンも基本的には同じ路線のお父さんによる復讐ものだと映画前半では思わせられるが、中盤からはあれよあれよと違う方向にストーリーが進んでいく。これはリーアム・ニーソンという俳優のパブリックイメージを完全に意識した上の配役で、この「外し感」がこの作品の魅力のひとつになっている事は間違いない。


映画の前半で、一人息子を麻薬組織に殺されたリーアム・ニーソンは、その犯人を捜そうと組織の関係者を一人一人血祭にあげながらボスの「バイキング」という男に近づいていく。このあたりの描写は、結構リアルな暴力描写も含めて往年のリーアム映画を観ている感覚で、「待ってました!」とテンションが上がる。ただ、今回の主人公はただの除雪作業員という設定の割にはやたら強いなぁと思っていると、この麻薬組織のボス「バイキング」が、敵対するネイティブアメリカンの麻薬組織の仕業だと思い込み、勝手に抗争が始まっていく。そしてリーアム・ニーソンがストーリーの中心から外れていくあたりから、徐々に違和感が出てくる。


また各キャラクターの設定もあまりに独特で、トム・ベイトマン演じる「バイキング」という麻薬王は、健康オタクのドSキャラで小さな息子に小説「蠅の王」を薦めるような最低男だし、事件が起こる田舎の警察官はなんにも事件の解決には貢献しないが、殺人事件にやたらテンションが上がりまくっている変人だし、麻薬組織の部下もモーテルの清掃員を専門に狙うナンパ師で大して役には立たないし、兄の「ウイングマン」はリーアム・ニーソンと間違えて殺されるし、その妻はいつも怒っているアジア人だし、全員キャラは立っているが感情移入できる人物は皆無である。強いて言うなら、バイキングの息子は、超天才の小学生でいじめられっ子だが、めちゃくちゃいい子という好感が持てるキャラクターだが、やはり漫画のような設定なのは否めない。


また演出面でも、リーアム・ニーソンが息子の死体と面会するシリアスなシーンでも、死体が安置されている台の高さを上げるシーンが異常に長かったり、リーアムが死体を滝に捨てるシーンが同じカットで事務的に何回も繰り返されたり、敵味方関係なく人が死ぬ度にテロップで名前が出るのだが、後半はわざとそれが雑になったり、とにかく登場キャラクターたちは大真面目なのだが、演出としては完全に笑わせにかかっているというバランスなのだ。リーアム・ニーソンの妻役で名女優ローラ・ダーンが出演しているのだが、ほぼなんの活躍もせずに途中で家出してしまうという展開もその一環だろう。


コーエン兄弟の96年作「ファーゴ」と比較されているようだが、あの作品の洒落たオフビート感よりも、本作の方がもっとシンプルにバカバカしい作品だと思う。オチのシュールさも含めて、このあえての「外し感」が楽しめるか否かで大きく評価が分かれる作品だろう。しかもアクションシーンは数える程しかなく、アクション映画を期待しても見事に裏切られる。年間で何十本も映画を観ていて、普通の作品を観飽きたような玄人は楽しめるかもしれないが、映画としての純粋な楽しさがあるか?と言われるとちょっと首を捻りたくなるような尖った作品であった。正直、個人的にはそこまでノレなかったと素直に告白しておきたい。